◇日課

「とうっ!」

 フィギュアをひとしきり鑑賞し終えると、不意にカズラは勢いよくベッドにダイブした。

 マットレスのスプリングが軋む音と共に、バフンと布団に身体が沈んでいく。

「ふっふっふ――とりゃー!」

 すぐにカズラは身を起こすと、ベッドに腰掛けていた俺に向かって勢いよく抱きついてきた。
 腰にはか細い腕が回され、カズラは俺の胸に顔を埋めてくる。
「えへへー」

「おい、抱きつくなって」

「ペロッ……これは汗!」

「当たり前だろうが。と言うか、汚いから舐めるな」

「クンカクンカ!クンカクンカ! 
スーハースーハー!スーハースーハー!」

「臭いも嗅ぐな!」

「うーん……青春の臭いだね☆」

「どんな臭いだよ……」

「きっと青春が聞・こ・え・る・! 
その瞬間に聞・こ・え・る・!」

「ナニソレイミワカンナイ」

 どうにかカズラを引きはがすと、半眼ジト目になりながらツッコミを入れる。

 いきなり抱きついて来るのはいつものことだが、ワイシャツをめくって脇腹を舐めるのはやめて欲しい。
 危うく変な声が出かけたぞ。

「ぶー。じゃあ、膝枕で我慢してあげる♪」

 無理やり引きはがされると、唇を尖らせて抗議するカズラ。

 しかしゴロンと膝の上に頭を頭をのっけると、仕方ないとでも言わんばかりに笑ってこちらを見上げる。
 そんな妹を見ると、穏やかな気持ちになっていくのが分かる。

 ひきこもりになってからカズラは変わった。
 大きな変化としては一人称が私から自分の名前へと変わり、それに伴って話し方もフランクになった。

 以前は控えめであまり自分を出さない気質だったが、今は天真爛漫にコロコロと表情を変えている。

 周りに遠慮してどこか遠慮がちだった性格も、今ではしっかりと自分をさらけ出せるようになった。

 カズラは優しい人間だ。
 だからいつも自分より誰かを気にしてしまい、自分を押し殺していた。

 だが、今の妹はそんな重圧から解き放たれている。

 今のカズラと接する人間は一部に限られている。
 まだ両親とも、定期的に訪れる教師にも、カズラは会話らしい会話を交わしていない。

 言わば今の定家葛の現実世界には、兄の定家牽牛しか存在していないのと同意義だ。

 だからカズラは他人の目を気にすることなく、あるがままの自分でいられる。

 世間を渡り歩いていくための処世術を取り払い、自分に素直な生き方をする様子はあらゆるしがらみに囚われない幼少の姿をどこか彷彿とさせた。

「それじゃ、お兄ちゃん。いつものお話聞かせて」

 膝の上に頭をのせながらこちらを見上げてそう言った。

「ああ、分かったよ」

 その言葉に頷くと、ポンポンとカズラの頭を撫でながら言葉を切り出した。

 今日、学校であった出来事。
 何の代わり映えもしない俺の学校生活をこれから話すのだ。

 学校から帰ると俺はこうしてカズラの部屋を訪れ、一日の出来事を話して聞かせるのが日課になっていた。
 ちなみにこれはカズラの方からせがまれたことだった。
 
 こうして俺が自分の学校生活を話すことで、カズラ自身が追体験のようなものができるのならば俺自身も本望だ。

「それじゃ、話そうか」

 そして、俺は語り出す。
 定家牽牛のありきたりな日常。その始終を余すことなく。

 今日の話は朝の教室から始まった――

 それは兄として嬉しいことでもあるが、逆に複雑な心地でもある。