◇定家葛

「あ、お兄ちゃん」

 ドアが開いた音でようやく俺に気付いたのか、カズラはこちらを振り向いて口を開いた。

 大抵はヘッドフォンをしているせいか、ドア越しに話しかけても反応がないのはいつものことだった。
 返事を待たずに入ったのも、それが原因でもある。

「おかえりぃー」

 にへら、と緩みきった笑みを浮かべて、こちらを見るカズラ。

 その姿を見てみると、ゆったりとしたパステルカラーのパジャマからは、未発達の少女特有のスラリとした体躯がうかがえる。

 そこから覗く日光の脅威から解放された肌は、まるで陶器のように白くきめ細かい。

 身体の動きに合わせて揺れるカラスの濡れ羽色の美しい黒髪は、去年から伸ばしっぱなしになっていて、もう腰元まで届いている。
 カズラはとても小柄なので、余計に長く見えてしまう。

 家に引きこもるようになって、カズラは幻想的な美しさを醸し出すようになったと思う。

 穢れきった外界から切り離されれば、人間はこんな儚げな姿になるのだろうか。

 力を込めて抱きしめてしまえば、途端に霞んで消えていってしまうような――

 そんな虚構めいた魅力を今のカズラは有している。

「荷物、届いてたぞ」

「んー。ありがとー、お兄ちゃん」

 脇に抱えていた荷物を見せるとカズラは、表情を緩めて感謝の言葉を告げる。

「あ、でも、ちょっと待ってて」

 しかしカズラはそう言うと、椅子を回転させて再び机の方に向かった。

 視線の先にはパソコンのディスプレイがあり、カズラは流れるように洗練された動きでマウスを操作する。

「このスレ主の釣り宣言待ってるから。
気になるから、もうちょっとだけ……」

「また掲示板か」

 そんなカズラを見て、俺は溜め息混じりに問いかける。

 よく見れば、パソコンのディスプレイは二つある。
 一つは有名な某匿名掲示板、もう一つはアニメらしき動画を再生しているように見える。

 どうやらアニメと並行で掲示板も見ていたらしい。
 器用というか、何というか。

「せかちゃんはエンタメの最先端だからねっ」

「ドヤ顔で言うな」

「今はせかちゃんで何でも情報収集する時代だよ? 
むしろ今どき、ここをまったく見てない方が珍しいし」

「俺は情報に踊らされないんだよ」

 得意満面に語るカズラに、やれやれと肩を竦めて答える。 セカンドちゃんねる。通称・せかちゃん。日本で最大規模の匿名掲示板として有名だが、カズラはここの住人だ。俗に言う“せかちゃんねらー”てやつか。

「喰ログとか、konozamaのステマだらけのレビューより、ここの方が虚飾のない感想があるしね。
顔が見えない分、率直な意見が飛び交ってるのが魅力だし」

「その分、チラシの裏に書いてあるような、何の役に立たない情報も多いけどな」
「そこから有益な情報を見つけ出すのが楽しいんだよ」

「流石は一日の大半をディスプレイの前で過ごしてる人間の言うことは違うな」

「リア充どもが外に出て授業や仕事に打ち込んでいる間、せかちゃんで優雅にネットサーフィンをする……そういうことにカズラは生き甲斐を感じるんだよ」

 呆れ気味で言う俺に、カズラはフヒヒッと不気味な笑みを浮かべながら答える。

 容姿に関しては兄としてひいき目に見ても可愛いとは思うが、そんな笑い方をされては台無しだ。
 まあ、それでも可愛いのだが。

「ほらよ」

 一通りのルーチンワークが終わるのを待つと、荷物をカズラへと手渡す。

「わーい、届くの楽しみだったんだぁ」

 手慣れた調子で梱包を開封していくとカズラは、鼻歌交じりでダンボールからお目当ての代物を取り出していく。

「うーん、やっぱりグッスマン製のフィギュアは出来が良いなー」

「それは何のキャラだ?」

「今春、アニメ化を果たした超大作――
ビックリバスターズのメインヒロイン、夏目凜ちゃんだよっ」

「ギャルゲーじゃねぇか」

「Faultは文学、ビクバスは人生。これ業界の常識ね?」

「どこの業界だよ。というか、随分と大きく出るな」

「いやー、あれは泣けたね……年齢的な問題で、移植版しかできないのが残念だったよー」

 妙に凝ったパッケージから取り出したフィギュアを取り出すと、四方からそれをまじまじと眺めるカズラは、恍惚の表情を浮かべている。

 ――さて。ここまで来ればお気づきかと思うが、俺の妹はオタクだ。

 しかも相当にディープな領域に足を踏み入れてしまっている、かなりコアなオタクだ。

 その守備範囲は広く、ゲームに漫画、アニメにライトノベル。更にポスターやフィギュアまで収集している。

 部屋の中を見渡せば、壁にはアニメやゲームのキャラクターのポスターやタペストリーが貼ってあるし、大きめのディスプレイケースには所狭しと大量のフィギュアが飾られている。布団からはキャラクター柄の抱き枕が見え隠れしてもいる。

 引きこもりとは言えおよそ十六歳、花の女子高生の部屋とは思えない有様だ。

 しかし、妹がこうなってしまった責任の一端は俺にもあるのだ。