玲子は祐一の頬にキスをしてバタバタと部屋を出て行った。海外に留学経験もあり、仕事で海外出張も多い玲子にとって、頬にキスは日常の出来事なのかもしれない。
 けれど美月にとってはその行為は少し新鮮なものに映っていた。そんな視線を受けて祐一も少し違和感を感じている様子だが、玲子は気にせず毎朝そうして出かけるのだ。

 まるで嵐のように慌ただしい玲子がいなくなると、途端にダイニングは寂しさのような空気が広がる。
 テレビの音がやけに耳に触る。さっきまでテレビがついている事すら美月は認識していなかったくらいだ。

「玲子さん、相変わらず忙しいんだね」
「ああ、みたいだな」

 美月は祐一と再会したものの、どう接したらいいのかわからないでいた。けれどそれはきっと祐一も同じ気持ちなのではないかと美月は思っていた。
 美月の両親が離婚したのは、美月がまだ小学校二年生だった頃だ。離婚してからは母親の美希と一緒に住み、祐一は養育費を払うだけで一度もその姿を見せることも、会いにくることもなかった。
 そんな風に思春期を祐一無しで過ごしてきたせいか、再び再開した美月と祐一の間には、どこか相入れれぬ違和感という名の溝ができていた。

「玲子さん、いい人だね」
「……ああ」

 口数の少ない祐一。玲子がいなくなると途端に居心地が悪くなった、ダイニング。けれど美月はそれでも、以前の家よりか何十倍もこの家の方が居心地が良かった。

「じゃあ父さんも仕事に行って来るから、出て行く時は戸締りするんだぞ」
「うん、わかった。行ってらっしゃい」

 美月は父親の広い背中を見つめながら、小学生だった頃の自分を思い返していた。

(そういえば、お父さんとの最後の日も、こんな風にあの背中を見送ったんだっけ……)

 そんな風に過去の出来事を思い返しながら、美月はとっくに冷たくなった食パンにバターといちごジャムを塗った。
 サクッという食感を感じながら、朝食を食べほした後、真新しいスクールバックを肩に下げ、家を出た。