暑くなり始めて暫く経った頃。注文していたスーツも無事に出来上がり、でもそのスーツの出番が無いままいつも通りの日々を過ごしていた。
「あ、溜めてたアニメ消化しないと」
夜中は寝て居ることが多いので深夜アニメは録画して後で観ることが多い。実家にいた頃からこう言うスタイルなのだけれど、あの頃は妹もたまに一緒に観ていたなと、そんな事を思い出す。
家を飛び出してからだいぶ経ったな。それを思うと感慨深い。別に、家族仲が悪いわけじゃなかった。居心地が悪いわけでもなかった。じゃあなんでオレが家を飛び出したのかというと、原因は除霊の時に使っている道具だ。
一般的に悪霊に限らず霊とか、有象無象と言った物は生の力に弱い。そして生はそのまま性に通じる。何が言いたいかって言うと、オレの除霊道具はいわゆるアダルトグッズでそれを除霊用に沢山所持している。仕事で振り回している時は全然気にしていなかったのだけれど、なんとそれらを妹に見られてしまったのだ。妹は悲鳴を上げることも軽蔑の目で見ることもなく、へーそんなの使ってるんだ。という反応だったのだけれど、どんだけクールにスルーされても妹に見られたらいたたまれなさがカンストするのでそのまま勢いで家を飛び出してしまった。
「ああ、もう何年も家に帰ってない……」
母ちゃんが作る麻婆豆腐を食べたいなと思いながら冷たい麦茶を飲む。
ふと携帯電話が鳴り始めた。すぐに手に取って開いてみるとメールを着信したようだった。送り主はリンで、今度上野で開催されるコンサートに一緒に行かないかという誘いだった。日程的には問題ないので脊髄反射で行くと返信してしまった。
返信してから考える。どんなコンサートなんだろう。勤から前に聞いた話だと最近はゲーム音楽をオーケストラで演奏するコンサートとかも有るみたいだし、リンの職業柄そんな感じなのかな?
「あー、でも、コンサートっていうと、ちゃんとした服着てかないといけないんだよな~」
勤やジョルジュから聞く限りだと、コンサートは改まった服装で行くのがマナーとのことだからそんな服うちに有ったかなと思い返す。うん、有る。作って貰ったばっかりだわ。まさかこんな所でスーツが役に立つとは思わなかったので心の中でツツジに感謝した。
そしてコンサート当日の夕方。待ち合わせ場所の上野駅前にはきっちりとしたスーツを着たリンしか待っていなかった。
「おっすお待たせー。あれ? 今日はリンしかいないの?」
奏は勿論、勤も呼んだ物だとばっかり思っていたのでそう訊ねると、リンはこう答える。
「実は今日のコンサートのチケット二枚しか無くてさ、呼ぶのに丁度良いのがイツキだけだったって言う」
「そうなのか? 奏は?」
チケットを受け取りながらまた訊ねるとリンは横断歩道の向こう側に有る建物を指さす。
「今回奏は出演側なんだよ。それで招待チケット分けて貰ったってわけ」
「わお」
奏が出演側ってアニメのコンサートなのだろうか。それはそれですごい。
入場時間が近づいてきているので、取り敢えず会場に入ろうと揃って移動を始めた。
会場に入り観客席に座ってから渡されたコンサートの目録を見て驚いた。そこにはオレの知らない曲ばかりが並んでいて、けれども見るからにクラシックだという事がわかる物だったからだ。
「え? なんでクラシック?」
疑問に思ってリンに問いかけるとこう言う事だった。
「奏って元々クラシックの歌手なのだぜ?」
「ええええ」
全然知らなかった。それでアニソン歌ってるのまではわかるけど、声優やってるのはいまいち上手く繋がらない。でも奏もなんで声優やってるのかわからないって言ってたしそう言う物なのかなぁ。いまいち事態を飲み込めないでいるうちに開演の時間が来た。
それから数時間。クラシックのコンサートなんて退屈なだけかと思ったけれど、生の演奏というのは迫力があって思わず聴き入ってしまった。特に驚いたのは奏の独唱だったのだけれど、驚くほど高い声で歌っていてついつい性別を疑ってしまった。
余韻を引きずりながら観客席を出てロビーでリンと話をする。この後奏と合流出来るかどうかとの事で、奏が打ち上げに出ずに切り上げるのなら一緒に軽く一杯引っかけていこうかと言うことになっているそうだ。
「来れるかどうかは一通り片付いたらメールするって言ってた」
携帯電話を片手にリンが言う。片付くまではどれくらい時間が掛かるのだろう。しばらくふたりでロビーで立っていてその間周りから人が居なくなって、妙に静かになった。
リンの携帯電話が鳴る。どうやら奏はオレ達と合流出来るようだ。
「裏口から出てくるみたいだからそっち回ろうか」
「おうよ」
見た目よりも暗く感じるロビーから外に出て建物の裏口へと回った。何故だろうロビーから出た外も必要以上に暗く感じる。ただ暗いだけで無く、街灯もあるのに周りの空気に墨を流したようだった。
「なんか不気味だな」
リンがそう呟いてほんのちょっとだけ経った頃にスーツ姿の奏がやって来た。
「リン先輩、イツキさん、お待たせいたしました」
「よう久しぶり」
オレが片手を上げて声を掛けると奏はにこりと笑って頭を下げる。ようやく揃ったなと言いながら、リンが先導して歩き始めた。
ふと、リンが左側を向いた。何だろうと思ったら視線の先にはすでに門が閉め切られている美術館がある。
「そういえばここ、外にも銅像有るんだよな」
そう言いながら閉じた門の上から中を覗き込んでいる。つられてオレも同じように中を覗き込んだ。
幾つか大きな物が置かれているのはわかるけれど、どんな物なのかは暗くてわからない。これは昼間見た方が良いのだろうなと思ったその時、頭の上を何かが掠めた。沢山の羽ばたきが聞こえる。
「先輩、イツキさん、これは一体……!」
悲鳴じみた奏の声に周りを見渡すと、人の半分ほどもある目の数がまばらな蝙蝠が大量にオレ達を取り囲んでいた。
「これ、小動物館から逃げてきたとかですかね?」
「だといいなぁ!」
お互い抱き合って怯える奏とリン。どうしたもんか、明らかに有象無象の類いだけど生憎今日は退魔用の道具なんて持ってきてないぞ。仕方ない、これを使うか。
オレは携帯電話を取りだしてインターネットに繋ぐ。すぐさまにブックマークしているアダルトサイトを表示させ、携帯電話を畳んで握ってその拳で蝙蝠を殴りつける。
殴られた蝙蝠は体勢を崩して悲鳴を上げたけれど消え去る気配は無い。どうするか。勤やジョルジュに助けを呼んで今から間に合うというか、来るまで間を持たせられるか。
リンや奏に噛み付こうとする蝙蝠をその都度殴り飛ばしながら考えていると一際大きな羽音が聞こえた。
「私の部下達に手を出すのはやめて貰おうか」
大きな羽音の方向からその声は聞こえた。声の主の方を向くと、美術館の低い門の上に立つ人影。その背には大きく黒い羽を背負っている。
「お前が親玉か! 手を出すのやめて欲しかったらそっちが引っ込め!」
そう言い返すとそいつは溜息をついてこう言った。
「ああ、私の部下達が人間との契約も無しに不躾なことをしたのは申し訳無い。すぐに引き取らせよう」
その言葉の後そいつが指を鳴らすと、オレ達の周りに居た蝙蝠達は一斉に飛び上がり、美術館の敷地にあるなにやら大きい四角い物に吸い込まれていった。
「お前達もこんな夜更けに我々のテリトリーを侵すような真似は慎め。
特に今日は星の並びが悪い」
門の上に立っていたそいつも門の上から姿を消す。それでも安心できずに何度も周りを見渡して、心なしか街灯が明るく感じられたところでリンと奏に声を掛ける。
「もう大丈夫だからな」
すると奏が震えた声で訊ねてきた。
「イツキさん、先程の蝙蝠はなんだったのでしょうか」
その質問にオレは答えられない。具体的になんなのかわからないのだ。だからこう答える。
「後ほど有識者会議開くわ」
「お守りが欲しい」
数週間前、上野の美術館の前で有象無象に取り囲まれた件についての有識者会議と言う名の食事会をいつもの三人で開いた時に、オレがそう呟いた。いつでも身につけていられるようなそんな物が欲しいとあの時本気で思ったのだ。
よっぽどメンタルに来ているというのが伝わったのだろう、隣に座った勤がオレの頭を撫でる。
「確かにお前お守りらしいお守りって持ってないもんな」
「おまえら、なんかオレでも相性良さそうなお守り知んない?」
心配してくれているのに甘えながらそう訊ねると、向かいに座って居るジョルジュが梅酒のグラスをテーブルに置いてこう言った。
「イツキは無宗派だからなかなかに難しいけれど、パワーストーンなんてどうだい?」
「パワーストーン、そういうのもあるのか」
なるほどパワーストーンか。今まで話に聞いてはいたけれど、実際に扱ったことはない。でも宗派が限定される数珠やロザリオに比べたら、オレとの相性は良いかも知れない。でも。
「パワーストーンって結構いい加減って言うか良くないのもあんだろ? どうやって選ぶんだ?」
オレの疑問に今度は勤が答えてくれる。
「俺がたまにお世話になってるお店で良い所が有るんだけど、今度そこ案内しようか?」
そう言えば勤は除霊の仕事の時、たまに石を使っているんだっけ。それなら信頼できそうだし今度案内して貰おう。
そんな話をして、その店はジョルジュも行ったことがあるというので日程を合わせて三人で行ってみることにした。
そしてそれから暫く。いつものように秋葉原で待ち合わせて、そのまま電車に揺られて四駅ほど。駅直結のビルに入りエスカレーターで上へと上って行く。
あまり人通りが多い駅ビルじゃないけどこんな所に信用のおけるパワーストーン屋が有るなんて意外だ。
エスカレーターを下りてフロアの中を勤が先導して歩く。すぐにガラスの棚に石を並べている店が目についた。入り口から狭い店内に入り周りを見渡すと、確かにこの店に置かれている石からは強い力を感じるし悪い気配も無かった。
「いらっしゃいませ」
店員の声に奥の棚の方を向くと思わず表情が固まった。
「あれお兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
不思議そうな顔をする店員と勤。勤はオレとジョルジュのどちらが店員の兄かと思った様で交互に顔を伺っている。ジョルジュも驚いた顔でオレの方を見てるし、これはもう腹をくくるしか無い。
「よ……よぅステラ、久しぶり~」
赤味の強い金髪をボブにまとめた気の強そうな顔をしたこの店員が、オレの妹のステラだ。家を飛び出して以来会っていなかったので気まずさがこの上ないのだが、どうやらステラの方はその辺り特に気にしていないようだ。
「お兄ちゃんが来るとは思ってなかったけどまぁいいや。あ、勤さんもゆっくり見ていって下さい」
勤のやつそんな覚えられるほどこの店来てるのかよ。オレより勤の方が仲良かったらどうしようと若干の不安を感じつつ店内を見て回る。
ふとステラが気まずそうな顔でこう言った。
「ごめ、勤さんとお兄ちゃん、ちょっとお店見てて貰えます? すぐ戻りますんで」
「え? はい」
「良いけどどうした」
不思議に思っている間にもステラはレジの鍵を閉めて早足で店から出て行ってしまう。それを見てジョルジュも不思議そうな顔をしている。
「この店は客に店を任せたまま店員が席を外すなんて事が有るのだね」
「まぁうん。ワンオペフルタイム当たり前って聞いてるから」
「黒い」
なんであいつそんなブラックバイトしてんの……
ステラが席を外して少しして。なにやら騒がしい声が聞こえてきた。なんだかただならぬ雰囲気を感じて身を固めていると、目出し帽を被って刃物を持った数人の男が現れた。
「おい! 金を出してこの鞄の中に入れろ!」
「抵抗したらどうなるかわかってるんだろうな!」
「ヒェー! 強盗だ!」
どうしよう、抵抗して倒したいけど正直俺達三人は人が相手だと弱い。精神的に弱いのではなく物理的に弱い。特にジョルジュなんて体力無いし走って逃げるのもしんどいぞ。
ステラが丁度席を外しているのが救いだけれど、勝手にお店のお金を渡すわけにはいかないし渡すにしてもレジの鍵はかかってる。レジを壊せるほどオレ達は物理的にも精神的にも強くは無い。
こうなったら人質になるのもやむなし。だれか、だれか警察を呼んでー!
そう思っていたら、突如眩しい光が周囲を包んだ。
なんだ? 霊的な物のようなそれとはちょっと違うよくわからない気配だ。驚いて声も出せないでいるうちに光が収まり、何故か強盗達は床にうずくまっていた。
そして、いつの間にか現れたふたまたにわかれたとんがり帽子にレオタード姿の少女の姿。彼女は強盗の頭を蹴飛ばしながら名乗りを上げる。
「魔法少女ダイヤキング参上!
オラッ! 大人しくしろ! オラッ!」
持っていたガムテープで強盗の手首足首を拘束する彼女に、俺は思わず仏顔で声を掛ける。
「ステラ何やってんの?」
そう、魔法少女を自称した彼女は顔を隠していないし、その顔がどう見ても妹のステラなのだ。そして案の定こう返ってきた。
「名前で呼ばないでよ! くっそ顔隠してないデザインなの致命的なバグだわデザイン変更したい!」
「デザイン変更」
魔法少女を名乗った妹を見て、まぁ確かに、大丈夫かな? とは思ったけど、それはステラからすればオレもそう言いたいところが沢山有るだろうしお互い様だろう。それに魔法少女はそうそう見掛ける物では無いけれど、事件があるとニュースとかでも取り上げられる確かな存在なのだ。
そうは言ってもいざ目の前に現れると驚くし、妹が魔法少女だという事実はそう簡単に飲み込めない。
「お兄ちゃん、お父さんとお母さんには黙ってて! こんなの知られたらいたたまれなくて家出もんだわ!」
「わぁ、その気持ちわかるぅ~」
そんなやりとりをして居る間にも携帯電話を取りだした勤が警察に通報しているし、ジョルジュもステラを宥めようとしているのかこんな事を言う。
「そんなに恥ずかしがらずとも良いではないですか。魔法少女も立派な仕事です。胸を張って良いんですよ」
それを聞いて、ステラは顔を真っ赤にして一瞬言葉を詰まらせた後こう叫んだ。
「せめてもう少しまともな衣装デザインだったら胸を張れました!」
「デザイン」
確かに昔からアニメの魔法少女に特に憧れという物を抱いていなかったステラとしては、この一昔前の魔法少女のようなデザインはつらい物が有るのだろう。でも、ステラにデザイン丸投げしたらなんというかこう、魔法少女とは認識しがたい物になった様な気が。
デザインについて嘆くステラに、オレもジョルジュも何も言えない。ステラは尚も嘆く。
「先代魔法少女のマジカルロータスのデザインが羨ましい!」
魔法少女マジカルロータスというと、バレリーナみたいなチュチュと蝶を模した仮面が可愛いと、女の子達の間で大人気だった子だ。
「え? なにお前ああいうお姫様系が着たかったの?」
意外に思いながらそう訊ねると、ステラは死んだ魚のような目をする。
「私も顔を隠したかった」
「せやな」
それから、ステラは変身を解いて来ると言ってバックヤードへと引っ込んでしまい後に残されたのは事態を飲み込み切れていない勤とジョルジュと床に転がった強盗犯、もう何でも良くなってるオレだった。
夏の暑さも真っ盛りな頃、リンと奏に誘われて飲み会をする事になった。
リンも奏も他に友達がいるんじゃないかとも思ったけれど、このふたりで飲みに行く時にお互いの友人をそれぞれ誘うとなるとなかなか大変でけれどもふたりだけだと少し寂しいと言う事でオレに声を掛けたらしい。
勤にも声をかけたとのことだったけれど、勤は兄に飲みに誘われていたらしく今回メンバーから外れているそうだ。
なんというか兄弟で飲みに行くっていう勤がなんとなく羨ましいような。成人前に家を飛び出して帰っていないオレは、まだ未成年の妹はともかく親とも一緒に飲んだことが無い。
ちょっと気持ちが落ち込んだけど、折角の飲み会なんだしテンション上げていこう。携帯電話で時間を確認して、出かけるために部屋着から着替え始めた。
今回の飲み会、店のセレクトは奏がしたと言う事ですっかり陽がくれた街中を奏に先導されて歩いて行く。
なんだろう、新橋集合って言われたから割と大衆的な飲み屋に行くのかなと思っていたのだけど、ついて歩けば歩くほど周囲の高級感が増していく。
オレと同じような不安を感じたのかリンが緊張した声で訊ねた。
「あの、どこ向かってんの?」
「カクテルバーですよ。リン先輩が甘いお酒が好きなので」
「カクテルバーかぁ」
それを聞いて、カクテルバーがどんなところなのか想像する。オレが飲むようなきつめの酒って置いてるのかな?
オレの疑問を察したのか奏がちらりとオレの方を向いてにこりと笑う。
「イツキさんが好きな辛くて強めのお酒もありますから」
「そうなの? やったぜ」
ビルに囲まれた狭い道を暫く歩き、奏が周りを見渡して足を止めた。
「このビルの七階に有るお店です」
そう言って入り口から中に入りエレベーターのボタンを押す。気のせいだろうか、さっきからずっと感じてるけどすごく高級そうな雰囲気がする。
こわごわエレベーターに乗り店へと案内される。エレベーターを降りた所に有るその店は、随分とこぢんまりとしていた。
「いらっしゃいませ」
挨拶をする店員に促されオレ達はカウンター席に座る。右から、奏、リン、オレの順に並んだ。
それにしてもこんな店来るの初めてだぞ。奏は慣れてるんだろうけどリンはどうなんだろう。そう思って表情を伺うと緊張のしすぎか笑顔になっている。さらに向こうに視線をやると奏がきょとんとした顔をしてリンとオレを交互に見ている。
「あれ? リン先輩もイツキさんもどうかしましたか?」
「いきなりの高級っぽい店でどうしたもんかと思ってる」
「me too.」
オレとリンのその言葉に、奏はようやくオレ達がこう言う店に慣れていないのだと気づいたようで、やらかしたと言う表情になる。
「すいません、そこまで気が回らなくて……
でも、ここでしたらどう言った味の物が飲みたいかマスターに伝えれば要望通りの物を作っていただけるので」
「わぁ、高級感吹っ切れてる」
奏の言葉にいささか混乱していると、リンは少し考える素振りを見せてからこう言った。
「まぁ、こう言う店に来るのも勉強のうちだと思って予算の範囲で楽しもうか」
「なんか申し訳無いです」
とりあえずおつまみや飲み物の注文は奏に任せ、まずはこの場に慣れようとオレとリンは神経を集中させた。
出された酒は奏の言う通りちゃんと好みを反映されたものだった。お通しのドライフルーツを囓りながらちびちび飲んでいるとリンがオレにこう訊いてきた。
「そう言えばイツキってひとり暮らしって聞いたけど、お盆とか実家帰った?」
オレはカクテルをひとくち舐めて答える。
「オレは帰ってないけどリンは帰ったん?」
「ぼくちゃんは一応顔見せには行ったよ」
なるほどな。やっぱ余程仲が悪いとかでもない限り、お盆は帰るもんなのかな。そう言えば勤もお盆は毎年実家にいるって言ってたし。
まぁあいつの場合、お盆は実家が激務だから手伝いに行かないとってのも有るみたいだけど。
オレ達のやりとりを聞いて顔を赤くした奏がぼんやりと言う。
「イツキさんはご家族と不仲なのですか?」
「あ~」
痛いところを突かれた。別に不仲なわけじゃないけど、帰りづらい理由はさすがに話しづらい。
そこでふと思い出す。そう言えばこの前、不慮の事故とは言え一番顔を合わせづらいステラに会って何事も無かった。それを考えるとむしろ顔を見せに帰った方が父ちゃんも母ちゃんも安心するかも知れない。
「あ~でもな~」
奏の質問に答えることなく曖昧な言葉が口から出る。いきなり飛び出して数年間顔も見せなかったオレのことを、どう思ってるんだろう。それが不安だった。
「不仲でないのでしたら、たまには顔を見せに行かれた方がご両親も安心すると思いますが」
「そうなんだよな~」
奏の言葉が正論過ぎて反論できないけど、心の引っかかりは取れない。
そうしているとリンが奏に訊ねた。
「そう言えばお前は実家行ったの?」
すると奏は額で手を押さえて言う。
「いえ、僕は実家暮らしなんです。
ですけれど……そろそろひとり暮らしをしようかと思っているんですよね」
妙に歯切れの悪い言葉になんだか複雑な事情を感じる。
「やっぱひとり暮らしで気ままにやりたい?」
リンのその問いに奏は溜息をつく。
「気ままにと言いますか、実は今の僕の職が両親は気に入らないみたいで……それで、少し家に居づらいのです」
「なんでや」
「今の職のどこが気に入らないって?」
オレみたいな奴に比べたら奏はよっぽどまともな仕事をしている。なのになんで気に入らないって話になるんだろう。
リンとオレの疑問に奏がぽつりぽつりと事情を話す。
なんでも、クラシックの歌手をやっていること自体は両親も悪く言わないというか好意的なのだという。けれど声優の方が両親は気に入らないようで、いつまでもアニメなんかにかまけてるんじゃないとたまにチクチク言われるそうだ。
まぁ確かに、オレ達の親世代に限らずアニメに否定的なやつが多いのは知ってる。でもだからといって、それを生業として生活をする人を否定して良いかって言ったらそれは違うと思う。
そう思うのはオレがアニメ好きだからかも知れないけど。
「そっか。ひとり暮らしの目処は立ってんの?」
少ししんみりした顔のリンがそう訊ねると奏は首をゆっくり左右に振る。なんというか、なかなかしんどいな……
そんな奏を見ていたら、よく考えずに家を出るって言いだして親もそれに協力してくれたのに、一度も家に帰ってないオレはすごくわがままで子供っぽいような気がしてきた。
「仲が悪いわけではないのですけれどね」
溜息をついてドライフルーツを囓る奏は、心なしか泣きそうな顔をしている。ドライフルーツを口に含んだまま小さなグラスに入ったカクテルを口に流し込んでいる。
なんだろう、楽しく飲みに来たはずなのに妙にしんみりしてしまっている。オレも、多分リンも何も言えないまま暫く黙り込む。
ふと奏が呟いた。
「ああ、先輩に恋人になって欲しい」
「ちょっとそれは聞き捨てならねぇな?」
突拍子もない奏の言葉にリンがにっこり笑って返す。それを聞いて奏ははっとした顔をする。
「あ、すいません、リン先輩ではなく大学の先輩のことです」
「それはそれでなんでいきなりそこに話が飛んだのか気になるよ」
「ほんとかなー? ほんとかなー?」
突然の発言に驚きはしたけれど、おかげで雰囲気が和やかになった。たぶん酔っててよくわかんなくなってただけだと思うけど、心の中でグッジョブを送って置いた。
日差しも段々穏やかになり涼しい風が吹くようになり始めた頃。その日は珍しく原宿で三人揃って夕食を食べていた。勤は霊園に、ジョルジュは美術館に用事があったらしく、オレはただ単に買い物に来ていただけなのだけれど、表参道駅の入り口でたまたまばったり会った。それで折角だからみんなで食事をしようと店を探してうろついているうちに原宿まで来たのだ。
この店の売りはガレットとか言うクレープみたいな物で、おいしいにはおいしいけどオレにはちょっと物足りない。あとでコンビニでおにぎりでも買って食べるかなと思いながらガレットを噛みしめる。
「そう言えばもう十月だけどさ」
ビールをぐっと飲み込んでから話を始める。勤とジョルジュが視線を送ってきた。
「おまえらハロウィンはなんかやんの?」
その問いにジョルジュが当然と言った顔をして返す。
「特に何もしないよ。ハロウィンの翌日とその次が本番だからね」
「そうなん?」
「諸聖人祭にミサに行って、その次の死者の日にお墓参りに行くんだよ」
ちょっとしたお彼岸じゃん。
「え? ハロウィンってキリスト教のお祭りじゃないの?」
「違うよ……でも、元々はケルト系だとは聞いたけれど、僕も詳しくは知らないんだ」
「ああ、うん。結構ハロウィンをキリスト教のお祭りだと思ってるやつ多いからイツキの驚きはわからないでもない」
「なんだよ勤も知ってたんじゃん、教えてくれよ~」
思わずむくれていると、ジョルジュが困ったように笑う。
「まぁ、みんなで楽しめるイベントが多いのは良いんじゃないかな。マナーさえ守れば」
「アッ、ハイ」
「ここ近年ハロウィン後の渋谷のポイ捨てゴミやべぇよな」
マナーさえ守れば否定的なわけじゃないのか、そこはなんとなく安心した。それから勤の方を見て訊ねる。
「勤はハロウィンなんかやんないの?」
「正直に言うと、なにやればいいのかわかんないってのが実情だな」
「あ~わかる。確かになにやればいいのかわかんない」
そんな感じで誰も実施しないハロウィンの話で盛り上がりつつ料理と酒を楽しんで、気がついたら閉店時間になっていた。
いい気分になったしよし帰ろうと地下鉄の駅に向かう。駅は表参道沿いにあるので三人で話をしながら通りへと向かう。
ふと違和感を感じた。妙に人の気配が少ない。いや、無いと言っていいほどだった。
平日のこの時間、いくらなんでも人が全くいないというのはおかしい。勤とジョルジュも疑問に思ったようで、訝しげに周囲を見渡しながら歩いている。参道に出ると、街灯が妙に必要以上に明るい。なのに密度の高い闇を感じた。
「……なんだか様子がおかしくないかい?」
ジョルジュがジャケットのポケットから布の袋を取り出して言う。
「なんかやばい感じすんな」
オレも携帯電話を開いて、非常時用のアダルトサイトを表示させて、畳んで握る。勤もベストのポケットから布袋を取り出している。なだらかな坂になっているその上の方を見ていた勤が、袋から数珠を取り出して叫んだ。
「有象無象の大群が来るぞ!」
それに応えてジョルジュも布袋からロザリオを出して握り、そのまま内ポケットから水の入った数本の試験管を取り出す。そう言えばオレもこんな事が突然会った時のために、いつものあれの小さいボトルを持ち歩いてるんだった。それを思い出してボディバッグから粘度の高い液体が入ったボトルを引っ張り出した。
でも、これであいつらをなんとか出来るのか? あまりにも多勢に無勢すぎる。目の前に迫った蠢く大群を見て怯んでしまう。
だめだそんな事を考えてる暇はない。最低限飲み込まれないようにしないと。
そう思ったその時、何かが割れる音がして、白い矢が雨のように襲い来る大群に降り注いだ。矢で射られた蠢く塊は蒸発し、そこから伝染するように群れの一部分がぽっかりと空いた。
「あんたたちこっちにおいで!」
その声と同時にオレの背中が引っ張られたので、そのまま勤とジョルジュの腕を掴み引っ張った人物の方向へと走り出した。
参道から少し離れた場所まで逃げオレを引っ張った人物を見ると、声から察しは付いていたけれど知った顔だった。
「おうツツジ、助かったわ」
背中に円筒形の布バッグを背負い、手には木で出来た小さな弓を持ったツツジが呆れたようにオレ達を見てる。
「全く、あんたみたいな子が神無月のこんな時間に表参道なんて通るもんじゃないよ」
「え? なんかわかんないけどごめん」
一体どう言うことなんだろう。不思議に思っていると、ジョルジュと勤もツツジにお礼を言っている。
「ありがとうございます、助かりました」
「危ないところをありがとうございました。そっか神無月かうっかりしてた……」
三人でツツジに頭を下げて、それからはっとしたようにジョルジュが勤に訊ねる。
「あれ、ところで『かんなづき』? というのはなんだい?」
その質問に答えたのはツツジだった。
「毎年十月になるとね、八百万の神様達が出雲に会議をしに出て行っちゃうんだよ。
それでその間出雲以外の各地には神様がいなくなるから、その時期のことを『神無月』って呼ぶんだ」
「神様がいなくなる? それはとても大変な事なのでは?」
ジョルジュはそう言って驚いているけど、オレの疑問は他の所に有った。
「でも、その神無月にオレらみたいなのがそこの参道通るのよくないってなんで?」
その質問にも、ツツジは答えてくれる。
「そこの参道は昔から気枯れたやつらが集まりやすい場所でね。特に神無月なんかは抑える物が何も無くなるから、イツキみたいな拝み屋が夜中に彷徨くと危ないんだよ」
「ヒェッ……まじか……」
「たまにうっかりあんたみたいにふらふらしてるのがいるから、毎年期間限定で私がこの辺をパトロールしてるんだよ」
ふとツツジが勤とジョルジュに目をやる。手元に持っている数珠やロザリオが気になったようだ。それを見てツツジは溜息をつく。
「さて、イツキのお友達も同業みたいだし丑三つ時を過ぎるまでは参道沿いは危ない。夜が明けるまで時間つぶせるお店紹介しようか」
その言葉に、先程の大群を思い出しているのだろう、ふたりとも表情を強張らせてただ頷いていた。
ツツジに案内されたのは朝五時まで営業しているダイニングバーだった。なんでもオレ達みたいなうっかりをやらかす拝み屋というのは時々いて、そういうのを保護した時によく使う店らしい。
すっかり酔いが覚めてしまったので、改めて飲み直す。勤とジョルジュも飲み直すのかなと思ったら、余程肝が冷えたらしくジュースを飲んでいる。
ふと、オレは気になったことをツツジに訊ねる。
「そう言えば、こんな夜中にこんな所来てて旦那さんは心配しない?」
すると、ツツジの答えはこうだった。
「まぁ心配はされるけど、こう言う仕事もやってるってのは話してあるからある程度納得はしてくれてる。
あと、帰ってから甘やかしてるから」
「それで納得すんだ」
その話を聞いた勤が心配そうな顔でツツジに言った。
「でもツツジさん、こう言うお店に連れてくるとなると、その、よくないことを考えるやつもいるんじゃ……」
なにか思い当たる節でもあるのか、ツツジがふっと暗い顔をする。
「まぁ、今のところ大丈夫だけどその可能性はなくならないんだよね」
ツツジは溜息と共にそう呟いてコーヒーを飲む。このことについては、きっと長いこと悩んでいて解消していないのだろう。眉間の皺が深い。
「実家に帰る度に相談はしてるんだけど、まぁ、世の中そう思い通りには行かないねぇ」
その一言を聞いて、こっちの仕事もかなり負担になっているのだろうなと思ったし、それと同時に家族に悩みを相談できるツツジが羨ましくも頼もしくも感じた。
世間はすっかりクリスマスムード一色になった頃。みんなクリスマスはどうするんだろうと思うようになった。
去年まではそんな気にしていなかったし、そもそもジョルジュはミサがあるとあらかじめ言っていた気がするのでそこは家族で過ごすのだなと言うのがわかるけれど、勤はどうするんだろうと思った。
暇なようだったらクリスマスに会ってふたりで飲みにでも行って良いかもと思ったので、電話をかけて訊いてみた。
『おう、どうしたイツキ。手に負えない仕事でもあるのか?』
「いや、おまえが毎年クリスマスをどう過ごしてるのか気になって。
って言うか、そもそもクリスマス実施してんの?」
そう言えば勤の実家はお寺だった。クリスマスという習慣自体が無いかもしれない。電話をかけてからその事に気づいて少し気まずかったけれど、勤はあまり気にならなかったようで説明してくれた。
『うちもイベントとしてのクリスマスはやってるよ。ただ、家族で集まって鳥とケーキを食べる日って位の認識だから、日にちにずれはあるけど』
「もはや概念と化したクリスマスだな」
なるほど、やっぱクリスマスって家族で集まるもんなんだな。でも、日にちにずれが有るって事は、当日は空いていたりするのだろうか。
「あの、クリスマス当日って空いてる?」
思い切って訊いてみると、気まずそうな声が聞こえてきた。
『あー、悪い。今年は家族全員が集まれそうなのクリスマス当日なんだよ。二十四、二十五って泊まりで行くんだ』
「お、おう」
家族の予定がそれじゃあ、わがままは言えないなと、妙にしょんぼりしてしまった。
もしかしたら、これを機にオレも一度家に顔を出した方が良いのかも知れない。
どうしよう。今更急に実家に行って、ステラはともかく、父ちゃんと母ちゃんはどんな顔をするだろう。
すぐに決められるほど、思い切れなかった。
そして来るクリスマス。結局オレは、リンとふたりで飲み屋でぐだを巻いていた。
「そう言えばリンはクリスマスに実家戻んなくて良いの?」
焼酎を飲みながらそう訊ねると、リンは困ったような顔をする。
「一応呼ばれはするんだけどさ、それで行ったら行ったで『来年は彼女連れてこいよ!』って言われるもんだからクリスマスに帰るのめっちゃしんどい」
「そりゃしんどい」
クリスマスと言えば恋人と過ごす日っていうイメージ確かにあるなぁ。あんまり実感は無かったけど、たまたまオレの周りに、クリスマスは恋人と過ごすってやつが居ないだけな気がする。
そう言えばと、リンにまた訊ねる。
「ところで、奏は仕事? 今日空いてないって」
すると、また困ったように笑ってリンが言う。
「いや、あいつ大学の先輩の家行ってるんだってさ」
「え? 大学の先輩って、いつだったか恋人になって欲しいって言ってたあの?」
「そうそう」
まじでか。オレの近場でもクリスマスにおうちデートするやつが遂に現れた! ……と思わずぽかんとしていたら、こう言う説明が続いた。
「なんでも、その先輩が年末にコスプレするって言うんで、その衣装を作るの手伝いに行くんだってさ」
「コスプレ」
「毎年のことらしいよ」
それはそれですごいというか、おいしい展開なのでは? やっぱこう、なんて言うか、コスプレって言うとエロスなイメージあるし。あれ? でも、どうなんだろう。奏の先輩って恋人にしたいって言うのは聞いたけど、性別は聞いてないんだよな。
「と言うか、奏って裁縫できんの?」
ちょっとよくない妄想をしそうになったので自主的に話を逸らすと、どうやらリンも似たような妄想をしていたようで、はっとしている。
「元々ボタン付けくらいは出来てたらしいんだけど、大学進学後、その先輩の手伝いで刺繍まで出来るようになったって言ってたにゃーん」
「仕事以外にもそこまで情熱を向けられるのがすごいにゃーん」
リンに合わせてそうおどけて言うけれど、仕事以外に情熱を向けられるって言うのは、本当にすごいと思った。結局、オレなんかは仕事以外に何かやる事って言ったら、ただ漫然とテレビを観るか、ぼんやりとゲームをやるくらいでこれと言った趣味が無い。
羨ましい。そう思ったのが顔に出たのだろうか、リンがにやっと笑ってこう言った。
「お前も、仕事以外になんか夢中になれる物欲しい?」
なんだろう、妙に悪巧みをしているように見えるので不安があったけれど、でも、夢中になれる物が欲しいのは確かだ。
「う、うん……」
恐る恐る頷くと、リンはおもむろに鞄の中から分厚い本を取り出してテーブルの上に乗せる。表紙には、不気味で禍々しい異形の絵が描かれている。
「それじゃあ、これ貸すから今度TRPGのセッションやる時是非ご参加下さい!」
「TRPG?」
RPGだったら昔からやってるゲームの中にいくつか有ったからどういう物か想像がつくけど、TRPG?
「……って、なんぞ?」
いまいちわからなくて説明を求めると、リンは熱く語ってくれた。
「TRPGって言うのは、テーブルトークRPGの略で、プレイヤーとゲームマスターが揃って、ダイスを振ったり役を演じたりトークしたりで進めていくゲームだよ」
「それって、なんかゲーム機とか必要?」
「いや、ほんとルールブックとキャラクターシートとダイスが有れば出来るから。こわくないからこっちおいで」
なんかめっちゃ必死じゃねえ?
でも、ここまで熱く勧めるくらいの物なら、オレも熱中できるのではないだろうか。それならばと、早速渡された本を開いて中身を見てみる。するとどうだろう。さっぱりわからない!
「なにこれ、呪文が並んでる……」
「あー、いきなりるるぶ渡してもピンと来ないか。じゃあ、今度セッションやる時都合つくようだったら見学来る?」
「お、おう……」
おもちゃを前にした子供のように良い笑顔になっているリンを見て、この呪文さえなんとか理解出来れば、きっとすごく楽しい物なのだなと思った。それなら、飛び込んでみても良いかも知れない。
「じゃあ、今度セッション? ってのやる時、声かけてくれよ。見に行くから」
「やったぁ、かしこまり!」
その後、ふたりでTRPGの事について盛り上がりながら酒を飲んで、なんだかんだで楽しいクリスマスを過ごせたのだった。
クリスマスも終わり、街中はすぐにお正月ムードになった。
改めて、ここ一年のことを思い返す。勤やジョルジュと友人らしい関係になったのは去年の中頃からだったし、リンや奏に会ったのは、今年の初め頃だ。
短い期間でオレの周りは急に変わって、その変わり方はオレにとってきっと良い物だ。
年が明けて三が日のうちに、リンがTRPGのセッションに誘ってくれる事になっている。その時に、またリンの学生時代の友人を紹介してくれると言っていた。
去年の初め頃にはほとんど無かった、人との繋がりが出来て、増え始めた。その事に戸惑いがないかと言われたら、正直言うと有る。
でも、ここで逃げ出したらオレはまたひとりぼっちだ。もうあんな、寂しいかどうかもわからなくなる、孤独である事に気づけない孤独なんて味わいたくない。
変わるのが周りだけじゃだめだ。オレも、自分で変わらないと。
そう思っても変わるのはこわいし、何からやれば良いのかもわからない。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
不安になって泣きそうになる。
与えられるだけじゃダメなんだ。頭がくらくらして涙が零れる。しばらく黙ったまま泣いて、ひらめいた。
自分から取りに行けばいいのでは?
大晦日の昼間、オレはスーツを着て、髪もきっちり整えて、いつものドクターバッグには着替えを詰めて電車に乗っていた。
閑散とした車内で何度も携帯電話を開く。液晶に映しているのは、三日前に母親から届いたメール。次の元旦は実家で過ごすつもりなんだけれど良いだろうかという内容を送ったのだけれど、その返信だ。
『もちろん良いですよ。
都合の良い時間に来て下さい』
少し他人行儀に書かれたそのメールを見て、仕方なくこう返しているだけなのだろうかとも思ってしまう。
でも、ここでやっぱり行くのをやめたなんてできない。やめたりなんかしたら、折角変わるきっかけを掴みに行く決心が揺らぐ気がした。
重くなる足に気合いを入れるためにスーツを着て、今まで仕事の時でもしたことが無いくらいに身なりを整えた。髪を整えるのは普段もやるから手際よく出来たけれど、結び慣れないネクタイは、形がきれいになるまで何度も結び直した。
こう言う格好をしてると、ちゃんとした会社に勤めてるとか、そういう風に見えるのかな。母ちゃんは勿論、父ちゃんもオレがどんな仕事をしているのかを知らない。実家にいた頃は、日雇いバイトをして生活してるのかと思われていて、まぁ日雇いではあるな。そうなんだけれど、まさか拝み屋をやってるなんて言えなくて、ずっと本当のことを言わずに、そうこうしてる内に家を出た。
仕事のことを訊かれたらどうしよう。さすがにそこまでは話す勇気が無いし、そもそも実家最寄りの駅に近づくにつれ動悸がしてくる。
最寄り駅に着いた。
電車を降りて、ホーム中程の階段を下りる。昔は駆け上がれるくらい短い階段だと思っていたのに、妙に長く感じた。連絡通路から改札階へ下りていく。だんだん改札前の景色が開けてきて、思わず足が止まった。改札前に、コートを着て、マフラーをぐるぐる巻いて、イヤーマフまで着けたステラが立っているのだ。
改札にICカードを当てて通り抜ける。歩道へ続く短い階段の手前にいるステラに声をかけた。
「よう、誰かと待ち合わせしてんの? それともオレのこと待ってた?」
つとめていい加減っぽく笑ってそう訊ねると、ステラはポケットからICカードを出して目を逸らした。
「いんや、コンビニ行こうと思って出てきたんだけど、そろそろお兄ちゃんが来るような気がしたからちょっと覗いただけ」
「そっか。じゃあコンビニ行く?」
「うん。
ああそうそう、コンビニでの買い物、お兄ちゃんが払ってくれてもかまわんよ?」
「オレがかまうよ」
そんな風に笑い合って、途中コンビニでポテトチップスとチョコレートを買う。ああは言ったけど、お代は結局オレが出した。
家に向かう途中、ステラが真面目な顔で口を開いた。
「お兄ちゃん、何か黙ってて欲しいことってある?」
黙ってて欲しいことそれはまぁ、あれだ。
「仕事についてかな。
って言うか、ステラもオレの仕事は知らないんだよな?」
「いや?」
「え? 知ってんの?」
仕事のことは、ステラにも話したことは無い。一体どこで知ったのだろう。それとも、何かの勘違いか?
「拝み屋なのは、ちょっと前から知ってた」
「え……なんで……」
引っ越した後に何か証拠が出たのか、それとも父ちゃんか母ちゃんが知らぬ間に勘づいていたのか、どっちだろう。そう思っていたら、こう返ってきた。
「お兄ちゃんの部屋にあったアレ、あまりにも数が異常だったんで、高校の友達に相談したんだよ。そしたら、その子のお兄ちゃんが、ああいうのを拝み屋がお祓いに使う事あるからそうなんじゃないかって」
「まじかよすげぇな。その通りだ。
と言うか、オレの知らない所でオレのぱずかしいこと広めるのやめてくんねぇ?」
「アフターカーニバル」
「せやな」
まさかあれでバレるとは思ってなかった。でも、確かに年頃の女の子がいきなりあんな物大量に見たら少なからずショックは受けると思うし、不安になって友人に相談したくなるのもわからないでもない。
「まぁ、仕事については黙っておく」
「おう、サンクス」
「だから、私が魔法少女なのも黙ってて。
もし話に出したらぶっころがすかんな」
「アッ、ハイ」
本気で魔法少女だってバレるの恥ずかしいんだな。
その後お互い黙り込んで、家の前に着くまで静かだった。辿り着いたのは、細い路地が入り組む住宅街にある、四角いフォルムで比較的近代的な作りの一軒家。ここがオレの実家だ。
ステラが玄関の鍵を開けて声を掛ける。
「ただいまー」
中に入って、ドアの前で固まってしまったオレを見て不思議そうな顔をしている。そうだよな、そんな緊張するほどの事でもないんだよな。
オレもドアを開けて、おそるおそる中に声を掛ける。
「た、ただいまー……」
すると、奥からぱたぱたどたどたと足音がして母ちゃんと父ちゃんが姿を見せた。
「イツキ、おかえり。随分早かったね」
「おう、上がれ上がれ。お前と飲むのに酒用意してあんだからよ」
思いの外すんなり迎えられて、拍子抜けした。もう少しこう、家になかなか入れてくれないとか有るかと思ってた。
靴を脱いで上がり、リビングへと向かう。寒い廊下から暖かいリビングに入ると、父ちゃんが言ってたように、缶ビールとあたりめなどのつまみが用意してあった。
「お父さんねえ、あんたが帰ってくるって聞くなり、一緒に飲むんだってお酒買い込んできたんだよ」
「お、おう」
「母ちゃんだって、イツキの好きなビスケットサンドのアイスあんな買い込んできて、人の事言えないじゃん?」
「ん、んー、そっか」
なんだろう、こんなに歓迎するほどオレの帰りを待っててくれたのなら、もっと早く帰ってきてもよかった。今更そんな事を思っても遅いけど。
父ちゃんが椅子に座り、オレも向かいに座る。それから、ステラもごく自然にオレの隣の椅子に座った。
「お父さん、缶ジュース貰うよ」
そう言って、缶ジュースを開けて、ポテトチップスの袋も開けている。オレも、おっかなびっくり缶ビールに手を伸ばして、プルタブを開けた。
「えっと、じゃあ、いただきます」
既に缶ビールを開けてた父ちゃんと乾杯をして、ビールを喉に流し込む。
その様子を見てた母ちゃんが、父ちゃんの隣に座りながらオレに言う。
「それにしても、まさかあんたがそんなかしこまった格好で来ると思ってなかったし、そんな服持ってるとは思わなかったねぇ」
そうだろうなぁ。ちょっと前まで、こんなカッチリした服は当分必要無いと思ってたし。
「どんな仕事か知らないけど、そう言うの買えるくらいには稼いでんだな。えらいえらい」
父ちゃんまでそんな事を言って、でも、どんな仕事をしてるのかの言及はしてこなくて、ひどくほっとした。
ステラも、オレの方を見ないままに言う。
「お兄ちゃんがそう言う格好してると普通に残念なイケメンだから、すごい友達に紹介したくない」
「おお、褒められてんのかディスられてんのかわかんねえなこれ」
その言葉でみんな笑って、ようやく緊張がほぐれた。オレが居なかった間の話をして、たまにちょっと黙り込んで、はぐらかしたこともあるけれど、今まですごく離れていると思ってた家族との距離が縮まった気がした。
想像上の距離を勝手に作って、勝手に怯えてたのはオレだけなんだ。そう思うと恥ずかしいけれど、あったかくて安心した。
今度の正月で、家族に甘える練習をしたら、今度は勤やジョルジュ、それにリンと奏にも程良く甘えられるように頑張ろう。
今まで扉を閉じてたのは、オレ自身だったんだ。