冷たい風がビルの隙間を吹き荒れる頃。オレはとあるビルを訪れていた。
そのビルは丸々ひと棟を使っている会社が入っていて、頭の悪いオレでも規模の大きい、本来なら縁がないであろう企業なのだろうなと言うのが察せられる。けれどもここに来ることには慣れていて、今回もどこへ行けば良いのか、案内無しでもわかる。
エレベーターに乗り、いつもの応接間へと向かう。同乗している他の社員からは怪訝そうな目を向けられているけれども、それももう慣れた。
中程の階で降りて目的の部屋へと向かう。無機質な廊下を歩き味気ない白いドアを叩く。
「お待たせしました。泉岳寺イツキです」
オレがそう中へ向かって名乗ると、どうぞ。と声がかかる。
「失礼します」
ドアを開けそう言って中に入ると、待っていたのは焦げ茶色のスーツを着た小柄な女。赤いアンダーリムの眼鏡を掛けたその顔も、もう見慣れた物だった。
彼女がソファを勧めるので座ると、やれやれと言った顔でこう切り出した。
「大体察しは付いてると思うけど、今回も掃除を頼みたいんだよね」
そう言って、このビルのフロアマップを机の上に広げる。マップの中には何カ所か赤いペンで丸く囲った部分が有り、オレはそれを目で追っていく。
「いつも思うんだけどさ」
マップを受け取り俺は彼女に言う。
「この程度の掃除、オレに頼まなくてもツツジだったら自分で出来るんじゃないのか?」
「私でも出来るけどね、私がやってるとその間本職が滞る。そうして出来る損失を被るよりあんたに外注した方が良いって言う上の判断だよ」
そう返す彼女の名前は湯島ツツジ。オレは詳しく知らないけど、この会社の中でも異例の出世を果たし重要なポジションに就いていると言う話を聞いたことがある。その話を聞いた時、ツツジは自慢話は好きじゃないけど。なんて言ってたっけ。
彼女が言葉を続ける。
「それに私は今、旦那と後輩の方をなんとかするのに注力したいからね。
正直外注できるならこっちの掃除は丸投げしたい」
「おー、はっきり言う言う」
ツツジの旦那と後輩は人の怨念を買いやすい職業だと聞いた。ざっくりと話を聞いたことはあるけど、難しすぎてオレには理解出来ない仕事だというのがわかったくらいだ。
それはそれとして、ツツジはその仕事に向けられる悪い物を除けるのに気を遣いたいと言うことだろう。
まぁ、それでオレに仕事が回ってくるならそれで構わない。オレだって仕事が無きゃ食っていけないしな。
オレの仕事は退魔師だ。この世の良くない物をねじ伏せる仕事で、ツツジも昔は似たようなことをやっていたようだ。
ただ、余程こわい目に遭ったのかそれとも激務過ぎたのか、周りにはおばけが苦手だって言ってるみたいだけど。
ツツジとの打ち合わせも終わり、フロアマップとモップを持ちビルの中を移動する。仕事中なるべく目立たないように上下移動は階段だ。
指定された中でも一番下の階から処理をしていく。赤く印をつけられた場所に行くと、隅が妙に薄暗くなりその影が蠢いているように見える。
オレが近づくと、その影はもぞもぞと動いて天井へ上ろうとする。天井に上られるとそのまま上の階へ移動しかねない。すかさずポケットから小さなボトルを取りだし、その中に入っているとろりとした液体を影にかけた。
じゅう。と言う音がする。影は液体のかかった部分を赤く溶かしながら動かなくなっていく。影が消えるまで液体をかけ何も異常がなくなった所で、残された液体をモップで拭ってその場を離れる。
これを指定された場所全部でやっていくのだけれど、まぁ毎回毎回上の階に逃げられたりなんなりして結局全フロア回るなんて事も珍しくない。
オレが処理を任されたこの黒い影は、人の悪意の塊だ。これを放っておくと悪い影響が出るというのをツツジは知っている。はじめ会社の上司にその報告をしたところ真面目に取り合って貰えなかったらしいのだが、会長のところまで話を通した結果、処理をした方が良いと言う話になったそうだ。会長にこういった事に対する理解があったのか、それともツツジ自体が会長と何か繋がりがあるのか、それはわからないけれども、とにかく俺の所に依頼が来た。
この掃除の仕事は体力的にはしんどい物があるけど、それ以外は危険が少なくて報酬も良いのでいい案件だ。
まぁ、悪意なんて寄せられないに超したことは無いんだけど。
時折上の階へと悪意を取り逃がしつつ、屋上まで出て処理を終わらせた。屋上まで来るのは久しぶりだったけど、今回も無事に掃除を済ませられた。
携帯電話を取りだして、ツツジにメールを送る。依頼完了と言う事と、報酬はいつもの口座に振り込んで置いてくれと言う内容だ。
メールの送信も終わりオレは右手に持ったモップを見る。すっかりびしゃびしゃになってしまっていて、用具置き場に返す前に洗っておかないとなと思った。
仕事が終わった後、オレは秋葉原に向かった。同業者で友人の二人が食事に誘ってくれているのだ。暫く電車に揺られ、秋葉原に着いてから到着メールを送る。待ち合わせの場所はわかっている。駅前にある飲み屋で、個室がある所だ。
中央口を出て、すぐそこのホテルの二階に外の階段から上がる。すると店の前で藤色の髪を肩より上で切りそろえている、きちんとした身なりの男が待っていた。
「やあイツキ、お疲れ様」
「おっすおっすお待たせ。もしかして、ジョルジュはずっとここで待ってたん?」
「いや、メールが来たから出てきたんだよ。さて、中で勤が待っているよ、入ろうか」
オレを出迎えてくれたジョルジュの後について店内に入る。照明が落ち着いているせいかいささか暗く感じる店内を歩き、個室に入った。
「ようイツキ、お疲れ」
水の入ったコップをテーブルの上に置き、右手を挙げて挨拶をする彼。ワイシャツにベストときっちりしているようにも見える服装なのに、くだけた感じがするのは腕まくりをしているせいだろう。少し伸び気味の緑のはねっ毛を首の後ろに手で除けている彼に声を掛ける。
「おう、勤もお待たせ。先に飲んでても良かったのに」
「そうは言ってもさ、注文する時まとめて言った方が手間かかんないかなって」
話しながらオレとジョルジュが席に着くと、勤がオレにメニューを手渡した。
「俺とジョルジュはなに飲むか決めてあるから、イツキも選んでくれよ」
「はいはい。少々お待ちを~」
ドリンクメニューに目を通して、芋焼酎を頼もうと決める。それから次に出てきたのはフードメニューだ。
「折角三人揃っているんだから、鍋なんて良いと思うのだけど」
メニューを指さしながらジョルジュがそう言う。そういえば、こいつ家ではあんまり鍋物を食べないんだっけ。
鍋と言っても何種類かあるのでどれにするかと言う話をして、結局黒豚のしょうが鍋に決まった。
店員を呼んで注文を済ませ、飲み物はすぐに運ばれてきた。オレの所には芋焼酎が、ジョルジュの所にはパイナップルのワインが、勤の所にはモヒートが置かれる。みんなそれぞれグラスを手に持って乾杯をする。焼酎を口に含むと辛いけれども甘かった。
暫くして鍋が運ばれてきて。みんなで具をつつきながら仕事の話をする。一応、退魔師という仕事に限らずだろうけれど、他には漏らせないようも多々有る。それでもある程度、問題の無い範囲でなら情報を共有して置いた方が何かと便利なのだ。
仕事の話をして、近況の話になって、それから、日常のたわいのない話になる。
去年の今頃は、こんな話をする相手なんて居なかった。だから、何気ない話を出来るのが妙に嬉しかった。
そのビルは丸々ひと棟を使っている会社が入っていて、頭の悪いオレでも規模の大きい、本来なら縁がないであろう企業なのだろうなと言うのが察せられる。けれどもここに来ることには慣れていて、今回もどこへ行けば良いのか、案内無しでもわかる。
エレベーターに乗り、いつもの応接間へと向かう。同乗している他の社員からは怪訝そうな目を向けられているけれども、それももう慣れた。
中程の階で降りて目的の部屋へと向かう。無機質な廊下を歩き味気ない白いドアを叩く。
「お待たせしました。泉岳寺イツキです」
オレがそう中へ向かって名乗ると、どうぞ。と声がかかる。
「失礼します」
ドアを開けそう言って中に入ると、待っていたのは焦げ茶色のスーツを着た小柄な女。赤いアンダーリムの眼鏡を掛けたその顔も、もう見慣れた物だった。
彼女がソファを勧めるので座ると、やれやれと言った顔でこう切り出した。
「大体察しは付いてると思うけど、今回も掃除を頼みたいんだよね」
そう言って、このビルのフロアマップを机の上に広げる。マップの中には何カ所か赤いペンで丸く囲った部分が有り、オレはそれを目で追っていく。
「いつも思うんだけどさ」
マップを受け取り俺は彼女に言う。
「この程度の掃除、オレに頼まなくてもツツジだったら自分で出来るんじゃないのか?」
「私でも出来るけどね、私がやってるとその間本職が滞る。そうして出来る損失を被るよりあんたに外注した方が良いって言う上の判断だよ」
そう返す彼女の名前は湯島ツツジ。オレは詳しく知らないけど、この会社の中でも異例の出世を果たし重要なポジションに就いていると言う話を聞いたことがある。その話を聞いた時、ツツジは自慢話は好きじゃないけど。なんて言ってたっけ。
彼女が言葉を続ける。
「それに私は今、旦那と後輩の方をなんとかするのに注力したいからね。
正直外注できるならこっちの掃除は丸投げしたい」
「おー、はっきり言う言う」
ツツジの旦那と後輩は人の怨念を買いやすい職業だと聞いた。ざっくりと話を聞いたことはあるけど、難しすぎてオレには理解出来ない仕事だというのがわかったくらいだ。
それはそれとして、ツツジはその仕事に向けられる悪い物を除けるのに気を遣いたいと言うことだろう。
まぁ、それでオレに仕事が回ってくるならそれで構わない。オレだって仕事が無きゃ食っていけないしな。
オレの仕事は退魔師だ。この世の良くない物をねじ伏せる仕事で、ツツジも昔は似たようなことをやっていたようだ。
ただ、余程こわい目に遭ったのかそれとも激務過ぎたのか、周りにはおばけが苦手だって言ってるみたいだけど。
ツツジとの打ち合わせも終わり、フロアマップとモップを持ちビルの中を移動する。仕事中なるべく目立たないように上下移動は階段だ。
指定された中でも一番下の階から処理をしていく。赤く印をつけられた場所に行くと、隅が妙に薄暗くなりその影が蠢いているように見える。
オレが近づくと、その影はもぞもぞと動いて天井へ上ろうとする。天井に上られるとそのまま上の階へ移動しかねない。すかさずポケットから小さなボトルを取りだし、その中に入っているとろりとした液体を影にかけた。
じゅう。と言う音がする。影は液体のかかった部分を赤く溶かしながら動かなくなっていく。影が消えるまで液体をかけ何も異常がなくなった所で、残された液体をモップで拭ってその場を離れる。
これを指定された場所全部でやっていくのだけれど、まぁ毎回毎回上の階に逃げられたりなんなりして結局全フロア回るなんて事も珍しくない。
オレが処理を任されたこの黒い影は、人の悪意の塊だ。これを放っておくと悪い影響が出るというのをツツジは知っている。はじめ会社の上司にその報告をしたところ真面目に取り合って貰えなかったらしいのだが、会長のところまで話を通した結果、処理をした方が良いと言う話になったそうだ。会長にこういった事に対する理解があったのか、それともツツジ自体が会長と何か繋がりがあるのか、それはわからないけれども、とにかく俺の所に依頼が来た。
この掃除の仕事は体力的にはしんどい物があるけど、それ以外は危険が少なくて報酬も良いのでいい案件だ。
まぁ、悪意なんて寄せられないに超したことは無いんだけど。
時折上の階へと悪意を取り逃がしつつ、屋上まで出て処理を終わらせた。屋上まで来るのは久しぶりだったけど、今回も無事に掃除を済ませられた。
携帯電話を取りだして、ツツジにメールを送る。依頼完了と言う事と、報酬はいつもの口座に振り込んで置いてくれと言う内容だ。
メールの送信も終わりオレは右手に持ったモップを見る。すっかりびしゃびしゃになってしまっていて、用具置き場に返す前に洗っておかないとなと思った。
仕事が終わった後、オレは秋葉原に向かった。同業者で友人の二人が食事に誘ってくれているのだ。暫く電車に揺られ、秋葉原に着いてから到着メールを送る。待ち合わせの場所はわかっている。駅前にある飲み屋で、個室がある所だ。
中央口を出て、すぐそこのホテルの二階に外の階段から上がる。すると店の前で藤色の髪を肩より上で切りそろえている、きちんとした身なりの男が待っていた。
「やあイツキ、お疲れ様」
「おっすおっすお待たせ。もしかして、ジョルジュはずっとここで待ってたん?」
「いや、メールが来たから出てきたんだよ。さて、中で勤が待っているよ、入ろうか」
オレを出迎えてくれたジョルジュの後について店内に入る。照明が落ち着いているせいかいささか暗く感じる店内を歩き、個室に入った。
「ようイツキ、お疲れ」
水の入ったコップをテーブルの上に置き、右手を挙げて挨拶をする彼。ワイシャツにベストときっちりしているようにも見える服装なのに、くだけた感じがするのは腕まくりをしているせいだろう。少し伸び気味の緑のはねっ毛を首の後ろに手で除けている彼に声を掛ける。
「おう、勤もお待たせ。先に飲んでても良かったのに」
「そうは言ってもさ、注文する時まとめて言った方が手間かかんないかなって」
話しながらオレとジョルジュが席に着くと、勤がオレにメニューを手渡した。
「俺とジョルジュはなに飲むか決めてあるから、イツキも選んでくれよ」
「はいはい。少々お待ちを~」
ドリンクメニューに目を通して、芋焼酎を頼もうと決める。それから次に出てきたのはフードメニューだ。
「折角三人揃っているんだから、鍋なんて良いと思うのだけど」
メニューを指さしながらジョルジュがそう言う。そういえば、こいつ家ではあんまり鍋物を食べないんだっけ。
鍋と言っても何種類かあるのでどれにするかと言う話をして、結局黒豚のしょうが鍋に決まった。
店員を呼んで注文を済ませ、飲み物はすぐに運ばれてきた。オレの所には芋焼酎が、ジョルジュの所にはパイナップルのワインが、勤の所にはモヒートが置かれる。みんなそれぞれグラスを手に持って乾杯をする。焼酎を口に含むと辛いけれども甘かった。
暫くして鍋が運ばれてきて。みんなで具をつつきながら仕事の話をする。一応、退魔師という仕事に限らずだろうけれど、他には漏らせないようも多々有る。それでもある程度、問題の無い範囲でなら情報を共有して置いた方が何かと便利なのだ。
仕事の話をして、近況の話になって、それから、日常のたわいのない話になる。
去年の今頃は、こんな話をする相手なんて居なかった。だから、何気ない話を出来るのが妙に嬉しかった。