骨、筋、血管が一緒くたに浮き出ていて、皮の余った細い腕のどこにそんな力があるのだろう。

何かを止めようとするとき、人は見かけよりもずっと強い力を宿す。行かせてはいけないと、意地でも留めておかねばいけないと察知する能力が、大人の方が優れている。


かぶりを振って涙の粒を払い飛ばすと、俯いた視界に夏哉のバッグが映る。

もがくようにしてそのバッグに手を伸ばし、中のクリアファイルを引っ張り出す。

何も知らないのは嫌だ、と謙虚な望みを吐いていたくせに、今はもうぜんぶ知りたいって思ってる。

白紙の便箋が歪むのも構わずにぐしゃぐしゃに捲っていくと、真ん中にメモが挟まれていた。

コピー用紙の紙質のちがいなんてわかりもしないけれど、たぶん、手紙に入っているメモと一緒のものだ。


ひっくり返すと、そこには携帯の電話番号が書かれていた。

番号で覚えている連絡先は、自宅と自分のものくらいだ。

両親の番号も夏哉の番号も、覚えていない。


番号のメモを手に、ヒサコさんの体をそっと押す。

腕を解こうとしても離れてくれなかったのに、片手を添えるようにして押した体は簡単に離れていった。


ヒサコさんへの手紙の中に、最後の行き先へのメモが入っているはずだけれど、その前にしなければならないことがある。

このメモに書かれている番号が、わたしの想像通りの人に繋がったとして、何ができるかなんてわからないけれど。

真実は裏付けるべきだと思うから。

たとえその真実が、どれほど切っ先のするどい槍だとしても。


「あとで、戻ってきます」

「冬華ちゃん、どこに行くの? 私も一緒に行くわ」

「大丈夫です」


わたしは意志の強い人間ではないから、会って一時間も経っていない間柄であっても、本質は見抜かれてしまうのだと思う。

それでも、この旅が始まった頃に比べたら、わたしも随分変わった。

瞳に瞳を映すことで、この言葉が嘘にならないことが伝わればいいと願いながら、自分の携帯とメモを片手に立ち上がる。


ヒサコさんの家の敷地を出て、ちらりとコウトくんの家を見遣ると、玄関の前でお母さんの後ろに隠れ、こちらを伺う男の子の姿。

怯えたような、眉を下げて泣きだしそうな顔をしているから、安心させるように微笑んで見せる。


笑うことも、まだ少しぎこちない気はするけれど、できるようになった。


少し離れた電柱のそばに立ち止まって、ダイヤルに番号を打ち込む。

指の震えはもう止まっていて、心は凪いでいた。

ワンコール、ツーコール。

コール音がずっと続いて、やがて途切れた。


知らない番号は非通知にでもしているのか、それとも見知らぬ人からの電話は出ないようにしているのか、電話を取れないのか。

色んな理由が浮かんだけれど、出るまで戻らないと決めて、もう一度かけ直す。

コール音が続き、そろそろ切れるかと、耳につけた液晶を離そうとしたとき、プツ、とこれまでとは違う音が聞こえた。


『……はい』


声だけでもわかる、こちらを訝しむ様子に、ごくんと生唾を飲み込む。

この音、もしかしたらマイクが拾ったのかもしれない。


「もしもし。あの、わたし、橘です」

『橘……って、橘さん?』


わたしの名前までは覚えていないのか、絞り出すような声のあとに名字を復唱する。

アカツキくんの中で、電話の相手が橘冬華であることが結び付けば、わたしの名前を覚えているかどうかなんて関係がない。


「話があるの。夏哉のことで」

『……今? いいけど、思い出話とか得意じゃないんだよ、俺』

「思い出話じゃないよ。アカツキくん、この電話が嫌でしょう。その、嫌な理由のことを話したい」


受話器の向こう側で、アカツキくんが息を飲む音が聞こえた。

核心を突けばいいのに、この通話が一方的に切られてしまうことを恐れて、わざと回りくどい言い方にした。