「もう少しだけ、待ってほしい」
ユリにこれを言う義理も、ユリが首を縦に振る必要もない。
けれど、わたしもユリに同じ言葉を返すためには、この旅を終わらせなければいけない。
あの日、夏哉がいなければ、今ここにはない命でこの場に立っているわたしが。
この先、夏哉がいなくても生きていけることの証明を、ユリにだけは示していなければいけない。
他の誰も知らなくても、わたしとユリだけに見える壁だとしても。
「嘘ついたら許さないから」
何が嘘なのかもわからないけれど、頷いて答えると、ユリは踵を返して自分の家へと入っていった。
わたしもユリに背中を向けるように、門を開ける。
家にお母さんがいることはわかっていたから、なんとなく、中に入るのはやめた。
玄関の前に座って、携帯を開く。
伸びたイヤホンの先を地面スレスレにブラつかせながら、開いたのは写真のフォルダ。
中学2年生のときに1台目の携帯を壊して、これは高校生になってから新しくしたものだ。
写真の枚数は80枚。
テスト範囲のメモとか掲示板の内容だとか、もう必要のないものを消していくと、残りは30枚ほどになった。
その30枚を、ひとつひとつ、拡大していく。
夏哉の後ろ姿。
部活中の夏哉の隠し撮り。
こちらにピースサインを向ける夏哉。
不意をついた夏哉の横顔。
両頬いっぱいにパンをくわえた夏哉。
「嘘でしょ」
せめて、クラス写真の1枚や2枚、それから風景の写真もあると思っていたのに、見事に夏哉の写真しかない。
ほとんどが夏哉ひとりの写真で、他の人やわたしが写るものはない。
ぜんぶが夏哉で出来ていた。
親指の腹で夏哉の顔をなぞる。
くすぐったい、と笑うことも。
なんだよ、と不機嫌そうにすることもない。
夏哉ってこんな顔をしていたんだ。
忘れたくても忘れられないと思っていたはずの面影は、たった2ヶ月と少し見なかっただけで、しっかりと薄れていた。
こちらを向いて笑う夏哉の瞳を拡大してみるけれど、そのガラス玉のような黒い眼に写っているはずのわたしが見えない。
このとき、わたしはどんな顔をしていたのだろう。
一緒に写っていたらわかったはずの表情がわからない。
どんな顔をしていたのか、教えてくれる人ももういない。
ころころと変わる豊かな表情が、画面越しですら眩しい。
瞬きを忘れて画面に見入っていると、急に夏哉の顔が消え、着信画面に切り替わる。
「はい、終わった?」
『おー、冬華どこにいんの?』
「自分の家。来た道ちょっと戻ってきて」
言いながら、道路へと顔を覗かせると、同じように携帯を耳に当てたナオキがこちらへ駆けてくる。
「先生が冬華によろしくって。良かったら今度家においで、ってさ」
「あー……そっか。うん、わかった」
夏哉のお父さんに直接会いたくなかったのは、手紙のことを話させていないせいでもある。
わたし宛の手紙にも、他の人への手紙にも、夏哉のお父さんに宛てた言葉はひとつもなかった。
別にお父さんに手紙を残しているのかもしれないけれど、それだっていわゆる遺書と呼ばれるものを、夏哉が書いているとは思えなかった。
書いているとしたら、一体どんな内容で、と考えただけで夏哉のお父さんの心情を察してしまって、顔が合わせづらいというのもある。