ペンで裏面に夏哉の名前を記して、ユリの家のポストに滑り込ませた。

紙の端を掴む指先が、引っ付き合って離れない。

ここで離してしまったら、ユリの手に渡ってしまったら、きっと二度と取り返せない。

夏哉を知るためのピースがひとつ欠けてしまう。


それ以前に、封筒の中に同封されているはずの次の宛先へのヒントを得なければ、この旅は続けられない。

どうしたって逃げられないように、夏哉はとても上手に計画していた。


半分ポストの中に沈んだ封筒を引き抜き、決意が鈍らないうちにインターホンを押した。

ユリの両親の車はどちらも出ている。

つまり、この家にいるのはユリひとりだ。

平日の昼間にもならないような時間だけれど、ユリが自宅にいることはほぼ確信に近い。


この一ヶ月、ユリが苦手だとか嫌いだという理由だけで先延ばしにし続けていたわけではなくて、わたしはもう何度もこの家のインターホンを押している。

最初のうちは、窓から顔を覗かせる姿を見かけたり、インターホンの向こうから声が聞こえたこともあったけれど、一度もユリが玄関を開けたことはなかった。


また居留守を使う可能性は十分にあるし、訪ねてきたのがわたしだとわかった時点で応答されない気がする。

そして、その予想は外れなかった。

プツン、と一瞬繋がったが、すぐに途切れる。


いつもなら、二度目はない。

今日は逃げてはいけない。

また明日、なんてないつもりで粘らなければ。


一瞬繋がったということは、今ならまだ、ユリはインターホンのモニターのそばにいるはず。

間髪入れずにインターホンを連打し、繋がっていないことは承知でマイクに向かってユリの名前を呼ぶ。


家の中にいるユリに届くほどの声量で叫ぶことは出来ないけれど、どのタイミングで繋がるかもわからないから、何度も繰り返し呼び続けていると、プツン、と微かな音が聞こえた。


「あっ! ユリ……」

『うるさい。何の用?』


スピーカーからトゲが生えたのかと錯覚するほど、低く鋭い声が聞こえた。

ノイズ混じりのスピーカー越しに声にすら怯んでいたのでは、顔を突き合わせて話すことなんて出来ない。

負けじと、こちらもはっきりと一言一句を紡いでいく。


「夏哉のことで話があるから、出てきてくれないかな」

『今更夏くんのことで話? あんたどんな神経してんの?』

「ユリに聞いてほしいことがあるの。わたしもユリに聞きたいことがあって……」

『帰って』


ぶつり、と音声が途切れる。

懲りずに何度もインターホンを押すけれど、ユリは頑なに応答をしない。


繋がったところで、こうなることはわかっていた。

短いながらも言葉を交わせただけで、これまで応答がなければ諦めていた日々に比べたら、十分な進歩だ。


このままインターホンを押し続けても、ユリはもう出てきてくれないだろう。

あとでもう一度来ると決めて、一旦家に帰ることにした。


卒業証書と三年間使い続けたカバンは押し入れの中へ。

制服はクリーニング後に学校へ持っていくため、畳んで黒い布地の袋に入れておく。