二〇四五年。星野教授が発表した論文の信憑性が、非常に高いと話題になった。恋愛バラエティ番組内でできたカップルの中で、結婚した人、しない人が出てきた。そして結婚してから数年で離婚する人、しない人も現れた。幸せな家庭を築いている人達のボンドを見てみると、ボンドで最高のカップルと言われる人がほとんどだった。逆に言えば、ボンドで最高のカップルと言われる人達の中に、離婚した人達は一組もいなかった。
 まだ五年。そう思う人もいるかもしれない。
 でも、もし最高のパートナーが見つかるなら。恋愛の形が数値で分かるようになるのなら。人々のボンドに対する関心は、時間が経つとともにさらに高まっていった。
 二〇四七年。星野教授の論文は国を動かすこととなった。二十歳以上の人達に、自分のボンドを知る権利を与えたのだ。通常の健康診断の項目にある血液検査の欄に、ボンド検査という項目が加わった。こうしてボンドは、人々の間で一般的なものになっていった。
 それからというもの、ボンドは人々の恋愛の決め手の一つとなりうる存在になっていた。マスコミも大きくボンドを取り上げ、ボンドの解析をする番組が数多く放映された。もはやボンドは、恋愛や結婚を決める重要な要因の一つになっていた。
 そして一年後の二〇四八年。ボンドは少子高齢化と言われ続けた六〇年の歴史に、終焉をもたらす情報源になりうるのではないか。とある国会議員の発言に、雅樹は星野教授と共にその話に乗っかった。
 そして二〇五一年。とある高校でボンド検査が導入されることになった。ボンドの発展のために。人々が望む真実の幸せを見つけるために。
 そのモデル校に選ばれたのが、太一の通う堀風高校だった。