太一にしかできないことがある。これは紗雪の彼氏として、紗雪の理解者として求められたと言っても過言ではない。
 空き教室の前に着いた太一はいつもと違う変化に気づいた。いつもは閉鎖されているドアが少しだけ開いていたのだ。いつもの紗雪なら、必ずドアに鍵を閉めて誰も入れないようにするはずなのに。今の紗雪は明らかに判断力を欠いているのが太一にはわかった。
 ドアに手を伸ばしゆっくりとスライドさせる。目の前にはいつもと変わらず、机と椅子が二脚ずつ置かれている。しかしその席に紗雪は座っていなかった。一瞬見当違いの行動をしていたのかと思った。それでも静謐な空間に、微かに響く音を太一は聞き逃さなかった。
 空き教室に入り、ドアを閉めて鍵をかけた。そしてゆっくりと黒板前にある教卓へと歩を進める。教卓の下を覗き込むと、そこには体育座りをして膝に顔を埋めている紗雪の姿があった。
「夏月の言ってたことって本当なのか?」
 太一の問いかけに、紗雪は何も答えようとしない。あの氷の嬢王と言われていた紗雪が、自分を見失う姿を太一は初めて目の当たりにした。それと同時に、もやっとした感覚が太一の中で芽生え始める。
「ゼロ型は俺ではなくて紗雪だって」
 念を押すように太一は紗雪に告げる。それでもやはり紗雪は顔を上げてくれない。いつもの紗雪とは違う様子に、次第に憎悪の気持ちが太一の中で生まれる。
「紗雪は、本当に俺を騙してたのか?」
 紗雪の沈黙が太一に重くのしかかる。いつものように、冷たく切り捨てるような発言をしてくれない。明らかにおかしい紗雪の現状を見ていると、嫌でもわかってしまう。
 太一はさらに歩を進め、紗雪の目の前に立った。そして紗雪と目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「答えてくれ!」
 未だ顔を上げてくれない紗雪の両肩に、太一は手を置いた。紗雪の身体が一瞬ぴくっと動くのがわかる。紗雪は怯えているのかもしれない。そんな震えを感じ取った太一は、それでも手をどけることはなかった。太一は紗雪の彼氏だ。たとえそれが偽りだとわかっていても、彼氏として、一人の人間として聞かないといけないことがある。
 太一の思いが通じたのか、紗雪はゆっくりと顔を上げた。そして冷めた表情のままそっと口を開いた。
「そうよ。私は……あなたを騙してた」
「どうして……」