夏月の言葉を遮るように声を発したのは紗雪だった。
「もう……やめて」
「ちょ、紗雪!」
 太一の声に耳を傾けずに、紗雪は人集りをかき分け教室を出て行ってしまった。太一はその後を追いかけようと後に続く。
「待って!」
 太一の手を強引に引いたのは夏月だった。
「放せよ」
「やだ」
「放せって」
 太一は夏月の手を振りほどき、教室を出る。今は紗雪を追いかけないといけない。
「太一の馬鹿!」
 廊下に夏月の声が響き渡る。廊下を歩いていた生徒が、二人の様子を窺うように視線を向けてくる。太一は足を止め、夏月の方に身体を向けた。
「太一は騙されてたんだよ。紗雪ちゃんが嘘をついていた。太一を陥れようとしたんだよ。それなのに、どうして行こうとするの?」
 夏月の言いたいことは太一にも理解できる。でも太一はずっと思っていたことがあった。紗雪が偽りの関係を始めようとしたとき。あの時に紗雪は言っていた。
 ――今はまだ言えない。
 その言葉に嘘をついた理由が隠れているなら。まずはそれを聞くしかないと思った。
「俺は……紗雪の彼氏だから。放っておけるわけがない」
「太一……」
 夏月に背中を向けた太一は、紗雪を追って廊下を走った。
 紗雪の行く場所は何となく予想できた。誰も行くことができない場所。それを考えれば太一にはすぐにわかる。
「おい、月岡!」
 目の前に高野先生が現れ、太一は足を止めた。
「先生。今は話してる暇ないんです」
「朝のホームルームの時間だ。抜け出そうとする君が悪い。教室に戻るぞ」
 高野先生の手が肩に触れた。太一はその手を払いのける。
「紗雪が空き教室に向かったんです」
「空き教室に……何かあったのか?」
 太一は先程の出来事を簡潔に説明した。高野先生の表情がみるみるうちに険しくなる。
「なるほど。しかし星野がそんなことを知っていたとは……月岡」
「はい」
「とりあえず、今は見逃してやる。一限の先生にも伝えとくから、とにかく森川から目を離すな。今の森川の状況、君ならわかるだろ」
「……はい!」
 太一は高野先生に頭を下げて、紗雪の向かったと思われる空き教室に向かう。
 紗雪だって人間だ。先程夏月が言っていたことが事実だったら。一度経験したことがある太一には、紗雪が背負うかもしれない重さが理解できた。