森川先生に頭を下げた夏月は、既に茶托の上に置いてあった湯呑みをシンクに置いた。後は部屋に戻って二人の会話が終わるのを待つだけ。
 今のままだと父も森川先生も、おそらく何も教えてくれないはず。それは当然のことだ。ボンドは個人情報なのだから。高野先生も言っていた通り、一個人の情報を他人である夏月に話して良いわけがない。それは父も同じ。だからこそ父は夏月に部屋に戻るよう指示をした。
 でも自分だって太一をどうにかしたかった。最近の太一は明らかにおかしい。どうして紗雪と付き合っているのか。もしかしたらボンドが大きく関わっているのかもしれない。森川先生と紗雪が親子だということも、余計に関心を高めた。
「それじゃ私は部屋に戻るから、終わったら声かけてね。お父さん」
 そう言って夏月はリビングを離れ、二階にある自室へと向かう。
 リビングで話す声は廊下には響かなかった。星野家のドアは遮音性を兼ね備えている。それは父がよく家に人を招いて、話し合いを行うからだ。
 以前夏月は父に聞いたことがあった。どうして家で話し合いを行うのか。父は笑って答えてくれた。家で話し合うのは、より親身になって話せるからと。
 親身になって話すための手段の一つとして、父はキッチンに併設してカウンターテーブルを作った。カウンターテーブルだと向かい合って話すことができない。そのため隣に話し相手が座る構図になる。父は言っていた。向かい合うよりも隣で肩を並べて話す方が真剣な会話ができて、色んなアイデアが生まれると。だから父は家でよく話し合いをする。
 夏月の小さい頃からこうした話し合いは行われていた。その度に夏月は自分の部屋に閉じこもることになる。
 いつもは気にならないことだ。父の仕事であって私には関係ないから。
 だけど今回は違った。太一が関わっているかもしれない話し合いがされる。しかも太一が嘘をついている理由がわかるかもしれない話し合いだ。
 このままで終われるはずがなかった。だから夏月は一つの可能性にかけた。こうして素直に部屋へと戻るのも全ては演技。後は父と森川先生が話し合いを始めるだけでいい。
 嘘をつく太一に、全ては近づくためなのだから。