bond~そして僕らは二人になった~

「それに森川はボンドに詳しい。だからこそ、月岡の力になってくれるはずだ」
「どうして森川がボンドに詳しいと言えるんですか?」
 高野先生の答えを太一は求めた。高野先生はすんなりと答えてくれる。
「森川の父親は、ボンド発見に関わる薬を作った人だからな」
「えっ!」
 衝撃的な発言に、太一は咄嗟に紗雪へと視線を移す。紗雪は高野先生の発言を気にすることなく、お弁当を食べ続けていた。
「この間、学校で行われたボンドの検査を担当してくれたのは森川病院。そこの院長が森川の父親なんだ。だからこそ、森川が他の人よりもボンドの情報について詳しいはず。少なくとも私はそう思っている」
 太一はこれまでの紗雪の発言を思い出す。ボンドについて書かれた論文を把握していなければ、出てこない発言も確かにあった。それに紗雪本人が父親は医者だと言っていた。
「それに堀風高校が二十歳未満で初めてボンド検査が行われる学校に選ばれたのも、星野教授と森川先生の娘さんがいたから。いなければ、そもそもボンド検査なんて行うはず――」
「先生、それ以上は」
 お弁当を食べていた紗雪が、高野先生の発言を遮るように声を上げた。鋭い一言に、高野先生は目を丸くしている。
「……悪いな、森川」
 高野先生は紗雪に謝罪をすると、太一に視線を向ける。
「まあ私が話したかったことは、月岡に避難場所を用意したということだ。後は二人で話し合ってくれ」
 高野先生はそのまま片手を上げて空き教室から出て行った。先程まで会話の中心だった高野先生がいなくなったことにより、教室内に静寂が生まれる。紗雪は三段目に入っていたおにぎりに手をつけていた。
「あのさ、どうして森川はここで勉強してるんだ?」
 色々と聞きたいことが太一の中で膨れ上がっていた。高野先生の話を聞いたからなのかもしれない。それに昨日紗雪が話してくれたことが、心の何処かで引っかかっている。
「勉強に集中できるから」
 淡々と紗雪は答える。
「家でもできるだろ?」
「家だと落ち着かないの」
「なら、ファミレスでも喫茶店でも。家以外の場所ならいっぱいあるだろ?」
「人がいるから無理。誰かに見られていると思うと、無性に気になってしまうから。でもこの教室なら、監視カメラもないし誰かに見られている気配も感じない。鍵もかけられるから一番落ち着ける。それに先生が帰る九時まで、無条件でここに残ることができるから」
 勉強するために学校に残る。太一には考えられない発想だった。普通の高校生なら部活を頑張ったり、友達と遊んだりしたいはずだ。まだ高校二年生の四月なのに、今から勉強しなければ入れない大学でも狙っているのだろうか。
「そんなに勉強が好きなのかよ」
「……そうね。気が紛れるわ」
 紗雪は水筒に手を伸ばすと、コップにお茶を注いでそのまま一気に飲み干した。
 これ以上話しても無駄だと思った太一は話題を変えた。
「森川のお父さんって、高野先生の言ってた通りの人なのか?」
「……そうよ。私の父、森川雅樹(もりかわまさき)はボンドを仕分けるための試薬を開発した」
「勉強するのは、お父さんの後を継ぐためなのか?」
「そんなわけない。私は継がない。私はボンドを否定したい。そう言ったでしょ」
 紗雪の言う通り、ボンドを否定したいのに父親の後を継ぐのは本末転倒だ。
「そうだったな。ごめん」
 紗雪は謝る太一を睥睨すると、大きくため息を吐いた。
「それよりもうすぐ昼休み終わるけど、あなたは何も食べないのかしら?」
「あっ、教室に置きっぱなしだ」
 気づけばお昼休みも十分ちょっとで終わる時間になっていた。ホームルーム棟から一番離れた場所にある空き教室。ここから教室に戻るだけでも五分はかかる。どう考えても美帆に作ってもらったお弁当を食べてる暇がない。
 すると紗雪が突然席を立った。手に持っているのは重箱の一段目、玉子焼きが入っていた箱。その箱と箸を持ったまま、紗雪は太一の方に近づいてくる。そして箸で玉子焼きを一つ掴むと、そのまま太一の口へと運んだ。
 太一はその場を動けず、紗雪の差し出された玉子焼きを口に含んだ。ほんのりと甘みが広がったと思ったら、徐々に程よいしょっぱさが口の中を支配していく。
「今日のお弁当、実は二人分なの」
 紗雪はそう言い残すと太一の口から箸を抜き取った。
「美味しいかしら?」
 紗雪の問いかけに太一は首を何度も縦に振った。
「そう。良かった」
 笑みを見せた紗雪は席まで戻ると、今度は重箱の二段目を持ってきた。箱の中からから揚げを掴んだ紗雪は、再び太一の口元まで運ぶ。
「ちょ、ちょっと」
 流石に恥ずかしくなった太一は紗雪を静止する。
「じ、自分で食べれるから」
「そう」
 太一は紗雪から重箱と箸を受け取ると、から揚げを掴んで自分の口に入れた。噛んだ瞬間、肉汁が口の中ではじける。冷めていても十分美味しいから揚げだった。今日は食べることができないと思っていたから揚げを、こんな形でもらうことになるとは思っていなかった。それに紗雪は二人分と言っていた。それが太一のために作ってきたことを指しているなら。
 意識した瞬間、胸が痛くなった。以前、柊のことを意識し始めた時に感じた痛み。その時と同じ痛みを太一は感じた。
「このお弁当、森川が作ったのか?」
「そうね。私が作った。さっきは二人分と言ったけど、少し多かったかもしれない」
 紗雪は机に広げてある残りの重箱に視線を移した。どの箱も半分は残っている。
「でも、本当に美味しいよ。玉子焼きはいつも甘いのを食べてたから、新鮮だった」
「私は甘いよりもしょっぱい方が好きなの。だからお砂糖は使わずに、醤油とだしで味付けをしてる。お口に合ったみたいで良かった」
 紗雪がほっと息を吐いた瞬間、教室内に予鈴が響きわたる。掛け時計に視線を移すと、授業が始まる五分前になっていた。
「そろそろ戻らないと」
 太一は机に向かい、箱を重ねるとバッグにしまう。
「月岡君」
「何?」
 呼び止められた太一は紗雪の方に身体を向ける。紗雪はポケットから鍵を取り出すと、それを太一の手に置いた。
「これって……」
「合鍵。あなたも今日からここに来ていいのだから」
 そう告げた紗雪は太一より先に空き教室を後にした。
 太一はその場から動けなかった。まさか紗雪が鍵まで作ってくれているとは。普通なら自分の空間に異性の介入をすんなり許さないはず。太一自身、自分の部屋には勝手に入ってほしくないと思っている。それは身内である美帆も例外ではない。それなのに紗雪はそんなこと気にせずに鍵を渡した。いくら彼女のふりをするからと言って、ここまでしてくれるのはどうなのか。
 でも太一はそんな紗雪の気持ちが嬉しかった。純粋に自分のことを思ってくれていると思えた。お弁当を作ってきてくれた紗雪が何か考えているなんて、今は思いたくなかった。
 今日から空き教室は避難場所であり、紗雪と過ごす場所になる。そう思うと胸の鼓動が早くなった。その気持ちを抑えるように、太一は空き教室を走って後にした。
 誰もいない自室で、星野夏月は物思いにふけっていた。今日学校で起こった出来事が、夏月の頭の中で徘徊している。
 どうして太一は紗雪と付き合うようになったのか。二人が付き合っているという事実に、夏月は納得がいかなかった。太一は高校生になってから変わったはず。それなのにどうして振られた翌日に新しい彼女を作るのか。変わったはずの太一を知っているからこそ、余計に理解に苦しむ。
 夏月はベッドに横になると、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱え、顔を埋めた。ほわほわとした感触が気持ちを落ち着かせる。
 本来、他人の恋路なんて口を挟むべきことじゃないのかもしれない。でも口を挟まずにはいられなかった。夏月にとって太一は大切な人なのだから。

 太一と初めて会ったのは近所の公園だった。最初の印象は、家が隣でよく一緒に公園で遊ぶ友達。それ以上でもそれ以下でもない存在だった。それでも小さい頃から一緒に遊び、家族ぐるみの付き合いをしていたからなのかもしれない。中学校に上がる頃には、夏月の中で太一は特別な友達に変わっていった。
幼馴染という関係を意識し始めたのは、中学二年生の頃。
「二人って付き合ってるの?」
 仲のよかった友達に質問された夏月は、当然否定した。
「付き合ってないって。太一は幼馴染なだけ」
 実際に太一とは付き合っていなかったし、そんな関係に発展するとは思ってもみなかった。だって太一は幼馴染。普通の友達とは少し違うだけ。そう夏月は思っていた。
 太一も夏月に対して、恋愛対象として好きということは思っていなかったと思う。小学生の頃から中学生までの間、太一は気になった女の子がいるとすぐに告白をしていた。自分が興味を持った女の子に好きな気持ちを伝え、そして振られる。その工程を何度も繰り返していた太一は、チャラ男と言われるくらい同学年の間でも噂になっていた。
 もし太一が夏月のことを好きだったら、必ず告白してきたはずだ。それなのに太一が何も言ってこないということは。既に答えは出ているようなものだった。
 中学二年生の頃、そんな太一と毎日一緒に登校していた夏月は、振られて落ち込む太一の姿をみるたびに、叱責していた。
 ――好きな人がすぐにできるのはおかしい。
 何度注意をしても太一はから返事をするだけで、自分の行動を直そうとはしなかった。忠告しても、数週間後には好きな女の子を見つけてきて告白。その行動はもはやずっと変わらないと夏月は思っていた。
 しかし高校生になって間もない頃、太一は急に変わったのだ。
「好きな人ができた」
 そう言われた時は、またいつものことが起こると思った。すぐ告白をして振られる。そして落ち込む太一を慰める。そんな当たり前の未来がやってくることを、夏月は信じて疑わなかった。
 でも太一は告白をすぐにすることはなかった。ずっと静観して動こうとしなかった。
 どうして動かないのだろう。
 太一のいつもと違う行動に夏月は面を食らった。思い描いていた当たり前の未来がぼやけはじめる。どこかで安心していたのかもしれない。太一と付き合う女性はいないと。昔の太一のままなら、絶対に付き合うことはないと言い切る自信があったから。
 でも太一は変わった。好きになった子のことを本気で考え始めたのだ。
自分が言っていた意味をようやく理解してくれた。最初はほっとした気持ちを抱いた。しかしそんな気持ちはすぐに消えてしまった。太一を変えたのは誰なのか。そのことが気になりだした。
 相手はすぐにわかった。柊綾乃。学年でもトップクラスの美少女として知られている、有名人。太一の視線を見るだけで、好きな相手が柊だと知ることができた。小さい頃からずっと隣にいたら嫌でもわかってしまう。
 でもどうして柊に気持ちを伝えないのか。
 普段感じることのない不安を、夏月は抱き始めていた。
 月日は流れ、高校二年生になって一週間が経ったある日。太一の親友で小学生の頃からの付き合いである手塚から、衝撃的な話を聞いた。
「柊さんと太一、付き合うことになったらしい」
 その話を聞いた瞬間、夏月の心中を徘徊していた不安が痛みとなって襲いかかってきた。
 ずっと近くにいたから気づかなかったのかもしれない。でもその関係が当たり前だった。物心ついた時から、太一は夏月の隣にいたのだから。
 最初は信じられなかった。だから夏月は太一の元へ真っ先に駆け寄った。そして太一から本音を聞きだした。結果は手塚の言う通り。太一は柊と付き合うことになった。その時、夏月は初めて自分が馬鹿だったと自覚した。
 いつも隣にいた大切な存在を失った。周囲の人達に仲の良さを問われても、幼馴染と言って本当の気持ちを隠し続けていた。その罰が下ったのかもしれない。
 太一は一年も自分の気持ちと向き合い、真剣な思いを柊に伝えた。だからこそ夏月が口を挟む隙はなかった。
 中学生の時みたいに、強気の発言を太一に言う資格はない。幼馴染として、一人の友達として太一の幸せを願うこと。それしか夏月にできることはないと思っていた。
 太一が紗雪と付き合うことになるまでは。

 翌日。夏月は教室に着くと、既に登校していた太一の元に向かった。
「おっす。太一」
「おう。おはよう」
「あのさ、昨日のことなんだけど」
「そうそう。昨日はありがとな。庇ってくれて」
 太一は笑顔を晒す。その表情を見た夏月は、言いたかった言葉を思わず飲み込んだ。
 夏月は改めて太一との関係を認識する。太一の中では、所詮自分は幼馴染。昨日もはっきりと太一に言われた。幼馴染という壁を取り除けないまま、ずっと関係を維持してきた結果が夏月を苦しめる。
 昨日の夏月がとった行動は、決して太一を庇ったわけではなかった。純粋に有香の発言が許せなかったのだ。下心がないといえば嘘になる。だけどゼロ型だからと言って、太一をけなしていいとは絶対に思えなかった。
「そ、そうよ。全く、いつも世話が焼けるんだから」
 偽りの笑顔を太一に向ける。
 本当に言いたいことを言えないもどかしさが夏月を襲う。言おうと思っていなかった言葉が口から放たれていた。本心ではない、その場を乗り切るための言葉が紡がれていく。
 どうして素直になれないのか。自分自身に腹が立って仕方がなかった。
「それでさ、もう一つだけ夏月に言わないといけないことがあるんだ」
「……何よ」
 太一は席を立つと、夏月に一歩近づいた。夏月は思わず後ずさりする。太一はそんな夏月を気にする素振りもみせず、夏月の耳元に顔を近づけると、そっと囁いた。
「暫くは学校で話しかけないでほしい」
「えっ……」
 予想もしていなかった言葉に夏月は口をぽかんと開けたまま、暫く動けなかった。太一はそのまま夏月の横を通り過ぎ、紗雪の座っている席へと向かって行く。
 昨日のお昼。太一は紗雪と一緒に教室を出て行った。付き合うと言った宣言は嘘ではなかった。二人が教室を出た後、クラスメイトの皆が一斉に太一と紗雪の話を始めた。
「森川さんってやっぱり変だよね」
「月岡はあのゼロ型だぜ。結婚できないって言われてるのに付き合うなんて」
「天才にはある意味、興味を持たれるのかもしれない。森川さんも少し変なとこあるし」
 様々な憶測が飛び交う中、夏月はただ聞いていることしかできなかった。口を挟むと絶対に言われることがあると、夏月自身わかっていたから。
 太一もそれをわかっているのだ。夏月がボンドに関することに首を突っ込むと、必ず言われることがあると。実際に昨日、有香に言われてしまったのでなおさらだ。
 さっきの太一の発言もそう。夏月の知っている太一だからこそ出た言葉。そういう優しさがあるからこそ、太一を好きになったのだ。
 夏月の視線の先では太一が紗雪と会話を交わしていた。一部のクラスメイトがそんな二人を睥睨するように見つめている。その光景にふと違和感を覚えた。
 どうして太一は、紗雪と会話するのだろうか。
 付き合っているから? 違う。
 太一は相手のことを考えられる優しさを持っている。現に太一は柊と別れた。それは柊に迷惑をかけないため。太一がゼロ型ということで、柊が色々と言われるのを避けたかったから。太一はだから柊と別れたはず。
 それなら今、目の前で繰り広げられている光景は明らかにおかしい。太一が紗雪と話すことは、紗雪に迷惑をかけることになるはず。太一なら迷惑をかけないことを一番に考えるはずなのに。
 何かあるのではないかと、夏月は疑わずにはいられなかった。
 幼馴染の感と言って、信じる人がいるだろうか。それでも小さい頃からずっと紡いできた太一との時間があるからこそ、確信をもって言えた。
 今の太一の行動は明らかにおかしいと。
「太一!」
 クラスメイトの視線が一斉に夏月に注がれた。喧騒が止み、静寂が教室内を包み込む。太一も紗雪との会話をやめて、夏月の方に視線を向けた。しっかりとした視線に目をそらしたくなったけど、今だけは太一から目をそらすわけにはいかなかった。
 幼馴染として太一を信じているからこそ、聞かないといけないことがある。
「どうして嘘つくの?」
「……嘘じゃないよ」
 そう告げた太一は、紗雪とまた会話を始めた。太一の声を皮切りに、静まりかえっていた教室内が再び喧騒に包まれる。
 たった一言だった。それでも夏月は太一の返答が嬉しかった。主語がなくても自分の言いたかったことを理解してくれていた。これも幼馴染だからなのかもしれない。
 同時に夏月は一つの確信を持った。
 太一はやはり嘘をついている。太一が自分の意志で紗雪と付き合ったとは思えなかった。
 絶対に何かあるはず。太一が嘘をつかないといけない理由が。
 見えない答えを求めて、夏月は行動を起こすことを決意した。

 家に帰った夏月は、自分よりも太一のことを知っている人を呼び出した。
「夏姉、来たよ」
 そう言って家に上がり込んできたのは、太一の妹である美帆。太一の変化を知るなら、身内である美帆から聞きだすのが最適だと思った。
「美帆ちゃん。今日はごめんね」
「大丈夫。私も夏姉に協力したいと思ってるから」
 玄関口で靴を脱いだ美帆は慣れたように階段を上っていき、夏月の部屋に入っていく。その後を追うように、夏月も自室へと入った。
「夏姉の部屋って久しぶり」
「そうだね。美帆ちゃんが小学生の時に来てくれたのが最後だっけ?」
 夏月が中学二年生の時。太一と美帆が夏月の誕生日を祝うために家に来てくれた。夏月にとって忘れられない誕生日だ。
「あっ、お兄ちゃんが夏姉にプレゼントしたクマのぬいぐるみ」
 美帆は枕元に置いてあったクマのぬいぐるみに手を伸ばすと、頭を撫でた。どこかクマのぬいぐるみも嬉しそうな表情をしているように見える。
「今でも私の大切な宝物なんだ」
 クマのぬいぐるみは、太一がくれた初めてのプレゼント。夏月にとってなくてはならない存在だ。
「それで、夏姉が聞きたいことって?」
 ベッドに腰を下ろした美帆は、足をばたつかせて夏月に視線を向ける。
「太一のことなんだけど」
「お兄ちゃん?」
 美帆に頷いた夏月は本題へと入る。
「最近の太一、何か変なんだよね。いつもの太一じゃないというか……」
「私も夏姉と一緒。特に彼女ができてからのお兄ちゃんは、何か変」
 美帆も同じことを思っていた。その事実にほっとする。
「美帆ちゃん知ってたんだね。太一に彼女ができたこと」
「うん。だって先週の金曜日。学校から帰ってきたお兄ちゃん、やけにニヤついてて。正直気持ち悪かったし、何か良いことがあったってすぐにわかった」
 美帆は少し寂しそうな表情で語るとゆっくりベッドに倒れ込み、話を続けた。
「でもお兄ちゃんがニヤつくのも少しわかるかも。紗雪さん、すごく美人だったし」
 美帆の発した言葉に夏月は違和感を覚えた。金曜日は柊と付き合っていたはずだ。それなのに美帆は今、たしかに紗雪と言った。
「名前……知ってるんだね」
「うん。昨日会った時に名前聞いたから」
 美帆はクマのぬいぐるみに手を伸ばすと、ギュッと抱きしめた。
「夏姉の匂いがする」
 太一と同様、昔から美帆ともよく遊んでいた夏月は、本当の妹のように美帆を可愛がっていた。一人っ子の夏月にとって、太一と美帆の関係は羨ましくもあった。
「他に変わったことってなかった?」
 美帆の頭をなでながら夏月は聞く。
「うーん。昨日、一昨日と続けてお弁当を残したってことかな。あとは……」
 言葉に詰まった美帆は突然起き上がると、頬を真っ赤に染めてクマのぬいぐるみに顔を埋めた。
「美帆ちゃん?」
「な、夏姉が知らなくていいことを思い出しちゃった」
 そう言われると、余計気になってしまう。
「教えて美帆ちゃん」
「……言いたくない」
「太一にとって大切なことかもしれないの」
「……大切?」
 美帆は顔を上げると夏月に視線を向けた。恥ずかしいのか、クマのぬいぐるみで半分顔を隠している。
「うん。太一を理解するために知りたいの。本当のことを」
 今のままでは太一が隠していることに気づけない。わかったこともあるけど、もし美帆の言いたくないことが太一の異変に関係しているのなら。夏月は美帆が口を開くまで問いつめるつもりだった。
「夏姉がそこまで言うなら」
 美帆は息を吐くと、夏月の目を見て話した。
「一昨日の夜。お兄ちゃんの部屋にお弁当箱を取りに行った時、お兄ちゃんが……エッチなサイトを見てたの」
「エッチなサイト……」
「うん。私に見せられないくらい、すごい内容だったって」
 そこまで告げた美帆は、また顔を赤く染めた。
「そう……だったんだ」
 夏月は美帆の言葉に疑問を抱く。妹のことを誰よりも思っている太一が、そんなことを言うとは思えなかった。
「お兄ちゃん、その日はすごく落ち込んでたから。だからエッチなサイトを見たのかなって。でも流石に変態なお兄ちゃんに呆れて。だから昨日のお弁当、から揚げ抜きにしたんだ」
「から揚げ抜きかー。太一、相当ショックだったかもしれないね」
「当然だよ。お兄ちゃん、デリカシーの欠片もないんだから」