目の前に机と椅子が沢山並べられた光景が広がっている。学生なら、誰もが当たり前のように目にする教室の光景。だけど紗雪はその光景に懐かしさを覚えた。
 特に息苦しさは感じない。視界がぼやけることもない。
 学校に通うことができている。皆と同じように、教室に登校できている。
 ただそれだけのことなのに、紗雪にとってはとても嬉しいことだった。
 これで太一との約束を果たすことができる。今日からはもう、逃げずに頑張れる。
 そう思えるだけの勇気をたった今、得ることができたから。
「紗雪ちゃん……」
 名前を呼ばれた紗雪は、声のする方へと視線を向ける。そこにいたのは夏月だった。まさか教室に人がいるとは思っていなかった紗雪は、ざわついていた気持ちを静めるために深呼吸をする。そして身体ごと夏月の方へと向けて、口を開いた。
「おはよう」
「うん……おはよう」
 紗雪の挨拶に、夏月は少し躊躇いつつも返事をしてくれた。ほっとするも、次に何を話せば良いのか紗雪にはわからなかった。いつも自分から話すことを避けていたからなのかもしれない。咄嗟に対応できるだけの力が、紗雪にはなかった。
 そんな何も話そうとしない紗雪に、夏月が口を開く。
「学校、来れたんだ」
 その冷めた声に、紗雪は思わず身を竦ませる。
「うん……約束したから」
 何とか口にしたものの、その声音は自分でも驚くほど低かった。紗雪の声が聞こえなかったのか、夏月が紗雪の方へと近づいていく。思わず紗雪は一歩後ずさりした。
 そんな紗雪の行動を気にも留めず、夏月は紗雪に質問をぶつける。
「ねえ、紗雪ちゃんは太一のこと、どう思っているの?」
「どうって……」
「太一とまだ……付き合ってるの?」
 どんどん近づいてくる夏月に、追い詰められるような感覚に紗雪は襲われる。思わず目の前の夏月から視線をそらした。
「私は……別れるって太一に言った」
 付き合っているのかなんて、紗雪にもわからなかった。
 そもそも自分と太一は、付き合っているふりをしていただけ。だから付き合っていないと答えるのが正しいのかもしれない。
 でも太一の言葉を思い出すたびに、どう答えるべきなのかわからなくなる。
 嘘だとわかっていても、太一の言葉が本当だったらと願っている自分がいる。
「なら……太一のこと、そろそろ解放してくれないかな」
「解放って……そんな……別に私……」
「ずるいよ、紗雪ちゃん」