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 家を出てからも、体調に大きな変化は見られなかった。
 電車を降りた紗雪は、学校までの道のりをゆっくりと歩いていく。早めに家を出たこともあって、周囲に学生の姿はほとんど見られない。
 ついこの間までは、学校に行こうとするだけで視界がぼやけ始めていた。だけど今はそんな状況に陥っていた自分が嘘のように、真っ直ぐ学校に向かうことができている。
 こんなに強い気持ちを持てるのも、全て太一のおかげ。彼がいなかったら、今の自分は絶対に存在していない。
 二日前、紗雪は屋上で死を決意した。悲愴な決意を固めたつもりだった。でも、そんな決意はあっさりと破られた。存在する価値なんてないと思っていた紗雪に、太一は生きる意味を見出してくれた。本当に感謝してもしきれないくらい、太一からは大きな力をもらっている。
 本来なら太一の優しさを受け取る権利なんて紗雪にはなかった。ずっと太一を騙し続け、太一の幸せを奪って、太一の大切なものを無茶苦茶にしたのだから。
 それなのに太一は、まるでそんな出来事などなかったかのように、紗雪の心の中に入り込んできては身を挺して守ってくれた。
 どうして。なぜ。
 そんな疑問を太一にぶつけた時、彼は躊躇わずに答えてくれた。
 ――紗雪の彼氏だから。
 偽りの関係だと認識しているにも関わらず、太一ははっきりと言い切った。
 本音でないことくらい、紗雪も十分わかっていた。
 太一が好きなのは柊綾乃。そう簡単に太一の気持ちは変わらないはずだと。
 でも、たとえ嘘でもゼロ型である自分の彼氏だと太一は言ってくれた。そのことが本当に嬉しかった。そんな太一の言葉があったからこそ、こうして学校に行けると紗雪は強く思う。
 紗雪の視界に学校の正門が入る。もはや不安など一切感じなかった。
 何事もなく正門を通りすぎた紗雪は、昇降口で靴を履き替え、階段を上り、教室へと向かう。歩くたびに鳴る上靴の音が、静寂に満ちた廊下へと消えていく。早めに登校したこともあり、人の気配を全く感じない廊下は、まるで夜の学校みたいだと紗雪には思えた。
 そして教室の前へと辿り着く。紗雪はゆっくりと深呼吸をした。
 もう、何も怖くない。手をかけた紗雪はゆっくりとドアをスライドさせ、教室へと足を踏み入れた。