「でも……間違いだったのかもしれない。話し合いならいつでもできた。私はあの場で、すぐに安全な場所に避難させるべきだったのかもしれない。命は……一つしかないのだから」
 高野先生の言葉を聞いた夏月は、太一の死を強く意識した。
 もしもこのまま太一が目を覚まさなかったら。
 考えたくない最悪なシナリオが、夏月の脳裏にちらつく。
「夏姉……」
 隣にいた美帆が、夏月の胸に飛び込んできた。涙で濡れた顔を隠すように、美帆は夏月の胸に顔を当てる。夏月は美帆の頭をゆっくりと、包み込むように支えた。 
「大丈夫。太一は強いから。絶対に……大丈夫だから」
 美帆を落ち着かせるように、夏月は声をかける。
 太一が集中治療室に運ばれてから、どれだけの時間が経ったのかはわからない。でも、夏月にはとてつもなく長い時間が経っていると感じた。
 誰も声を発さない。すすり泣く声だけが廊下に響く。薄暗いせいなのかもしれない。少し肌寒くなってきたなと夏月は思った。美帆をギュッと抱き寄せる。
 瞬間、夏月は思い出す。高野先生にまだ聞いていないことがあることを。
「先生……紗雪ちゃんはどこにいるんですか?」
 今までどうして忘れていたのだろう。紗雪の話をしておきながら、その紗雪本人がこの場にいないことに気づかなかった。
 高野先生は、夏月の問いに重い口をゆっくりと開いた。
「森川はいま――」
 瞬間、高野先生の声は大きな物音に遮られた。
 皆が何事かとその音のする方へと視線を向ける。今まで静寂を保っていた集中治療室の扉がゆっくりと開き、扉の中からはマスクをした森川先生が出てきた。
「森川先生! 太一君は……」
 父が咄嗟に森川先生の肩に手を置き、大きく身体を揺さぶった。
 そんな父を落ち着かせるように、森川先生は父の手をゆっくりと掴んで言った。
「星野教授。安心してください。まだ太一君は目を覚ましてはいませんが、山場は越えました」
 その言葉が響いた瞬間、美帆が大きく声を上げて泣き始めた。その声が夏月に太一が生きていることを強く認識させた。
「良かった……本当に良かった」
 美帆を抱きしめながら、夏月は太一が無事だという事実をじっくりと噛みしめた。