「紗雪ちゃんは、最近学校に来てなくて。太一はそんな紗雪ちゃんを学校に連れだそうと、ずっと頑張ってたの」
 紗雪が不登校になってから、太一は授業が終わると直ぐに紗雪の家に向かっていた。誰に言われるでもなく、紗雪の為に動いていた太一。その背中を、夏月はずっと見てきた。
「そもそも、太一が自ら転落の危険がある場所に行くとは私には思えない。行く理由があるとしたら、紗雪ちゃんが危険な場所にいた……から」
 言い終えた夏月は、胸が締め付けられるのを感じた。
 今まで高野先生に対する怒りの感情で溢れていたはずなのに、今は何もできずにいる自分の無力感が勝っている。
 どうして、いつも遠くから見ているだけなんだろう。
 どうして、ずっと苦しい思いをしているだけなんだろう。
 ――俺と夏月は幼馴染なんだ。
 太一はいつだって、夏月のことを幼馴染という関係で見ている。最初はそれが嬉しかった。自分にしか築けない特別な関係だと思っていたから。
 柊や紗雪には決して築くことができない、自分だけの特権。それを大切にした結果、今はこんなにも苦しい思いをしている。
 太一を思う気持ちはずっと変わらないのに。
 でも、やっとわかった。
 太一はいつも変わろうとしていた。中学生の頃、好きな女の子に告白をするときもそう。来るのを待ち続けるのではなくて、自分から動いていた。
 好きな人が変わろうとしているのに、変わらないままでいる自分が釣り合うわけがない。
 いつまでも安全な場所にいるから、駄目なんだとわかった。
 だからこそ、自分も変わらないといけない。
「そうですよね、高野先生」
 頬を一滴の雫が伝っていく。抑えきれない感情が堰を切ったように溢れ出す。
 高野先生はようやく頭を上げると、重たい口をゆっくりと開いた。
「……ああ。星野の言う通りだ」
 それから高野先生は、屋上での出来事を夏月達に語ってくれた。
 森川先生を屋上まで連れて来るよう太一に頼まれたこと。屋上に行くと、紗雪と太一が転落防止柵の外側にいたこと。紗雪が死を決意していたこと。紗雪と森川先生の間にあった家族の問題が、無事に解決したこと。
「月岡達のことを止めなかったのは、森川が親御さんと向き合うために必要な時間だと思ったからだ。だから私は、全てが終わるまで静観していた」
 高野先生は握り拳を作ると、突然自分の太股に拳を振るった。パチンという音が廊下に響き渡る。