「おうえ、ごほっ、う、ぇ…」

 ギリギリ家に辿り着けていて良かった。
 知音の前でもう一度こんな姿を見せてしまっては、流石に語らない訳にはいかなくなる。

 美希の前など尚更だ。
 それならせめて、

「汐里…!」

 せめて偽母たる渚になら、ちょっとくらい弱音な場面を見せたって罰は当たるまい。

「具合が悪いの…? は、はやく病院に――」

 何だ。

 琢磨は溜息を吐いた。
 汐里はあんな風にして言っていたが、その実とても優しい人じゃないか。
 偽物で紛い物なら、ここまでの表情を浮かべられる筈はない。
 道端でたまたま見かけた他人に声をかけるのとはわけが違う。

 温かい。

「大丈夫、大丈夫だよお母さん……ありがと、すぐに善くなるから」

「そ、そう…? それなら良いんだけど……悪くなったり治まらなかったら、すぐに言ってね」

「うん。ありがと」

 そう言って、本当ならリビングかどこかへ退いていくものだと思っていたら、

「まだ病み上がりなんだから。無理は禁物よ」

 渚はそう言いながら、傍らからずっと背中を摩り続けている。
 ああ、何て温かいのだろう。
 微睡みかける意識をしかし寸でのところで縫い留めながら、一旦収まった吐き気のままに、改めて礼を一つ置いてから自室へと戻った。

 ふぅと一息吐くと、琢磨はそのままベッドへとダイブした。
 捲れたスカートの感覚なんかも気にせずに。
 汐里の人格がいれば、『もっと女の子らしくしてよね!』と怒鳴られている頃合いだろう。

 何だか無性に懐かしくも感じるやり取りだ。
 気配――どこかからまた声を出してくるんだろうな、という感覚もまるでない。

「はぁ…」

 一層深い溜息を吐いて、ふと見やった本棚。
 ジャンル別、背の低いもの高いものと綺麗に並べられたそれらの中に、薄い、表題の見えない本が目に留まった。
 ベッドから起き上がり、本棚へと歩いてそれを手に取る。

「これ――」

 表紙も無題。
 開いた一ページ目には、日付、天気、そしてその日の出来事らしい何かが羅列してある。

 去年の日付。

 ある日には、てるくんと少し話すことが出来た。生徒会が忙しそう。
 知音と美希が――

 ある日には、てるくんがこけたのを見てしまった。つい吹き出しそうになってやめた。
 知音がジュースを奢ってくれた――

 ある日には、ある日のその頭にはどれも、てるくん――てるくん――そればかりが並んでいた。

 そんな中で。