次の日、また次の日も、琢磨が意識を借りている内は健康体であることに変わりはないだけに、普通に学校へと通っている。
誰にも悟られぬよう。
誰にも気づかれぬよう。
誰にも心配されぬよう。
細心の注意をはらって、汐里の役を演じている。
これまでは、イレギュラーにも関わらず一日ずっと琢磨が借りている時間はなかったから、流石に気持ちが疲弊すらしてくる。
それでも、今は演じるしかないのだ。
誰もが知らないそれも、唯一知音だけは知っている。
それが救いだった。
参ってしまえば、知音に頼れば良い。
今の状況が状況なだけに、きっと知音の前だけでなら、素の琢磨を出しても大丈夫だろう。
そんな気がしている。
「お疲れ様、仲村さん」
「ふぁっ…!」
思わず素っ頓狂な声が漏れたのは、放課後の屋上にて独り黄昏ていた琢磨の頬に、誰あろう知音による缶コーヒーアタックが炸裂した為だ。
夕刻の風がやや肌寒いこの時期、そろそろホットが欲しくなってくるというのにも関わらず、アイスのそれで、だ。
「ひゃ、だって。あなた、女の子の役とか向いてるんじゃないの?」
悪戯に笑って見せる知音だが、こちらも本調子とはいかない様子。
どこかぎこちない、それが本当に向けるべき相手ではないような、そんな感覚である。
そんなことは分かっている。
知音にとって一番は汐里で、汐里にとっての一番も、今や知音だけの筈なのに。
それが、ただの一言も、一文字すらも交わせない状態なのだ。
いい加減に気が滅入って来るのは、誰よりその二人。
気配すらも感じない汐里を除くと、それは知音だけに限った話になる。
「……悪いな」
「しおのこと?」
「あー、それもだが、缶コーヒーも。高校生の小遣いってそんなでもないだろ?」
「え、そこなの? そんなことなら大丈夫よ、私バイトしてるから。百と数十円くらい、しおの栄養分になってるって思えばどうってことないよ」
「……そうか」
重ねて、悪いなと呟く。
それは本当に、汐里がこういう状況であることへの言葉だ。
プルトップを捻ると、冷たい方ならではの乾いた音が一瞬間だけ響く。
一口含んで、けれどもやはりこの時期には相応しくない冷たさに身震いして、琢磨はさっさと飲み込んだ。
二口目、三口目と、すぐにはいけない。
互い、変に気を遣い合う沈黙が支配する。
ずっとこうして固まっている訳にもいかず、そろそろ帰ろうかと思い立った矢先。
踵を返した琢磨の背に、ねえと声を掛けたのは知音だ。
何だ、と背中で返事をして、立ち止まる。
「しお……いなくなったってことは、ないんだよね?」
「――どうだろうな。このまま無くなりたいってんなら、それが汐里本人の望みだってんなら、きっともう出ては来ないだろう」
「そう、だよね…」
「ただ、それはあくまでそうなってしまえばの話だ。このまま終わってたまるか、俺みたいな部外者に身体を譲ったままは嫌だって足掻くなら、ある程度の時間はかかるかもしれないが、戻りはするだろう」
望み薄だが。
あの日――文化祭の帰りがけ、汐里の目に、そしてそれを共有している琢磨の目にも映ったものを思い返せば、口にした「死にたい」という言葉通り、もう二度と出てこないであろうダメージはあった筈だ。
深く深く抉られた傷がそう簡単に言えるものでないことくらい、分かっている。
汐里にとってそれは、何よりのダメージになっていることは間違いない。
せっかくと踏み出した一歩の、その足を、丸々ぽきりと折られたようなものだ。
何にも代えがたい最後の文化祭——高校最後で汐里の最期の文化祭。
その幕引きがアレだったのだから。
「やっぱり、聞かないと……しおが死にたいって言ってたあの時、何があったのかなって…ダメかな?」
それは。
「きっと、お前が後悔するぞ」
琢磨の表情の変化、その一瞬の隙を見逃さずに応じた知音になら、大方の予想は立とう。
「――良い。それでも私は、しおの友達だから」
そう、強く言って。
「教えて、何があったのか」
誰にも悟られぬよう。
誰にも気づかれぬよう。
誰にも心配されぬよう。
細心の注意をはらって、汐里の役を演じている。
これまでは、イレギュラーにも関わらず一日ずっと琢磨が借りている時間はなかったから、流石に気持ちが疲弊すらしてくる。
それでも、今は演じるしかないのだ。
誰もが知らないそれも、唯一知音だけは知っている。
それが救いだった。
参ってしまえば、知音に頼れば良い。
今の状況が状況なだけに、きっと知音の前だけでなら、素の琢磨を出しても大丈夫だろう。
そんな気がしている。
「お疲れ様、仲村さん」
「ふぁっ…!」
思わず素っ頓狂な声が漏れたのは、放課後の屋上にて独り黄昏ていた琢磨の頬に、誰あろう知音による缶コーヒーアタックが炸裂した為だ。
夕刻の風がやや肌寒いこの時期、そろそろホットが欲しくなってくるというのにも関わらず、アイスのそれで、だ。
「ひゃ、だって。あなた、女の子の役とか向いてるんじゃないの?」
悪戯に笑って見せる知音だが、こちらも本調子とはいかない様子。
どこかぎこちない、それが本当に向けるべき相手ではないような、そんな感覚である。
そんなことは分かっている。
知音にとって一番は汐里で、汐里にとっての一番も、今や知音だけの筈なのに。
それが、ただの一言も、一文字すらも交わせない状態なのだ。
いい加減に気が滅入って来るのは、誰よりその二人。
気配すらも感じない汐里を除くと、それは知音だけに限った話になる。
「……悪いな」
「しおのこと?」
「あー、それもだが、缶コーヒーも。高校生の小遣いってそんなでもないだろ?」
「え、そこなの? そんなことなら大丈夫よ、私バイトしてるから。百と数十円くらい、しおの栄養分になってるって思えばどうってことないよ」
「……そうか」
重ねて、悪いなと呟く。
それは本当に、汐里がこういう状況であることへの言葉だ。
プルトップを捻ると、冷たい方ならではの乾いた音が一瞬間だけ響く。
一口含んで、けれどもやはりこの時期には相応しくない冷たさに身震いして、琢磨はさっさと飲み込んだ。
二口目、三口目と、すぐにはいけない。
互い、変に気を遣い合う沈黙が支配する。
ずっとこうして固まっている訳にもいかず、そろそろ帰ろうかと思い立った矢先。
踵を返した琢磨の背に、ねえと声を掛けたのは知音だ。
何だ、と背中で返事をして、立ち止まる。
「しお……いなくなったってことは、ないんだよね?」
「――どうだろうな。このまま無くなりたいってんなら、それが汐里本人の望みだってんなら、きっともう出ては来ないだろう」
「そう、だよね…」
「ただ、それはあくまでそうなってしまえばの話だ。このまま終わってたまるか、俺みたいな部外者に身体を譲ったままは嫌だって足掻くなら、ある程度の時間はかかるかもしれないが、戻りはするだろう」
望み薄だが。
あの日――文化祭の帰りがけ、汐里の目に、そしてそれを共有している琢磨の目にも映ったものを思い返せば、口にした「死にたい」という言葉通り、もう二度と出てこないであろうダメージはあった筈だ。
深く深く抉られた傷がそう簡単に言えるものでないことくらい、分かっている。
汐里にとってそれは、何よりのダメージになっていることは間違いない。
せっかくと踏み出した一歩の、その足を、丸々ぽきりと折られたようなものだ。
何にも代えがたい最後の文化祭——高校最後で汐里の最期の文化祭。
その幕引きがアレだったのだから。
「やっぱり、聞かないと……しおが死にたいって言ってたあの時、何があったのかなって…ダメかな?」
それは。
「きっと、お前が後悔するぞ」
琢磨の表情の変化、その一瞬の隙を見逃さずに応じた知音になら、大方の予想は立とう。
「――良い。それでも私は、しおの友達だから」
そう、強く言って。
「教えて、何があったのか」