文化祭一日目、当日。
ある意味で決戦じみたイベントがある今日、汐里のテンションは寝起きから高かった。
汐里の人格で着替え、朝食を済ませた後、家を出ようと廊下を歩く汐里に「いってらっしゃい」とかけられる声があった。いつもなら、他人だから、親じゃないからと突っぱねて来た汐里だったが、今日はちゃんと目を見て、
「行ってきます……お母さん」
小さく、そしてぎこちなくはあったが、確かにそう言えていた。
ともすれば、それは一時の気まぐれであったかもしれないが、確かに言ったのだ。
思いがけない言葉に驚く渚。汐里は照れくささを笑顔で誤魔化して、静かに流れる涙を見ないよう、勢いよく家を飛び出して行った。
この具合だと、琢磨さんなんか直ぐに追い抜いちゃうかも。
そんな冗談を言えるくらい、汐里は高揚していた。
成長を認めるのは良いことだが、慢心は褒められたものではない。茶化す琢磨に、汐里は舌を出して抗議した。
学校に着くと、まず飛びついて来たのは美希。次いで背中を叩くのは知音だ。
美希はいつものように、知音は目を見て汐里確信すると、揃って「おはよう、しお」と声を上げた。
居心地が良い。やっぱり、この二人と友人で良かった。
別れたくないな。そう思いながら、だからこそ最後の文化祭はとことん楽しもうと決意。そうしてようやく、汐里も挨拶を返した。
「まずはお化け屋敷でしょ、次に屋台巡りするでしょ、演劇部にも行って――あ、有志も見なきゃ」
「美希ってば。慌てなくても三日あるから、ゆっくり回ろうよ」
「あはは、まぁそうなんだけどね。他の友達との約束もあって……全部回れなかったら嫌じゃない、最後の文化祭だし」
そう言って目を向けたのは、汐里の方だ。
まるで語尾に「しおにとっても」と付け足されているようだった。
高校三年であるが故に最後の文化祭。それは文字通りのことなのだが、わざわざ汐里に目を向ける意味はない。二人に問う時、美希なら顔を交互に似てもいいくらいだ。
『知音が話したのか?』
(ううん、それは無いと思う。いくら私たちが面白状態にあるからって、それを言いふらしたりするような人じゃないよ。嘘とか隠し事とか、極端に嫌う人だから)
『そうか。となると、知らないのかもな。偶然だろ』
(……だと良いんだけど)
曖昧に返しながら、今は考えても仕方のないことだと落とし込むと、汐里は「そうだね、急ごっか」と明るく振舞った。
瞬間に何か目聡く気付いたらしい知音だったが、その時は何も言わず、二人の会話に相槌を打った。
まず入ったお化け屋敷では、提案者で且つ一番楽しみにしていた美希が、誰より悲鳴を上げて怖がっていた。そこいらでは味わえない、教室という狭い空間だからこその斬新なアイデアに、知音は終始関心しっぱなしだった。汐里は半分怖がりながら、半分楽しんで笑っていた。
工夫を凝らされ寒かった教室から出ると、外気はいつにも増して温かく感じた。
少し汗が滲む程度が心地良いねと笑って、次なる目的地の工程へと繰り出す。
昨日の巡回で大まかな規模は把握しているつもりだったが、人が集まるとこうも迫力が変わって来るものなのか。今まではそんなことを意識して回っていなかったものだから、圧倒されてつい口が開きっぱなしになってしまう汐里。
「アホ面で突っ立ってないで、ほら行くよしお」
「誰がアホ面よ。こら逃げるな! 待ちなさい知音!」
「あ、私を置いてくなー!」
逃げる知音を追いかける汐里。それを更に後ろから慌てて追いかける美希。
『今もし俺が表だったら、こんなこと出来ない自信がある』
(ふふ。願われたって変わらないわよ)
『いらん。女子のきゃっきゃは女子同士でやるもんだ。俺じゃあ空気悪くするぞ』
(なら存分に楽しませて貰いますとも)
追い付いた知音に並んで振り返り、少し遅れた美希を待つ。
運動部である知音を除いた二人はすっかり息を切らし、根を上げ、もう無理と情けない声を上げた。
そのすぐ近くにあったベンチに腰掛けさせると、ちょっと待っててと言って再び駆け出す知音。元気だねと話ながら待っていると、帰って来た知音の手にはかき氷が二つ握られていた。
「ほい、水分補給」
「ありがと――って、知音、自分の分は?」
有難く頂戴して一口分をすくいながら、汐里が尋ねた。
「ないけどあるよ。こうやって」
汐里の口へと送られる前のそれを上から掴み、方向転換。渡した相手より早い一口目をいただく知音。
「あ、ちょ……奢ってもらっておいてアレだけど、それは卑怯でしょ」
「融資者の特権よ。あら美味しいわねレモン」
「いちごばっかだもんね」
それ以外の味を食べている所を目撃したことが無い程、見事にいつもいちご味だ。
たまに汐里や美希が「あーん」とわざとらしく持っていっても、頑なに食べよとはしてこなかった。
「これも最後の思い出作りってことで、勘弁して」
そう言われてしまっては、断り辛かった。
かき氷を食べ終えると、イカ焼きにたこ焼き、フランクフルトと歩きながらでも食べられるものを買い込んで再び歩き出した。食べ歩きが認められているのも、この学校の文化祭のいいところであった。
「演劇部の講演って何時からだっけ?」
「十四時半。まだまだ早いね」
美希が尋ねるのに答えたのは知音だった。
「今は……十一時過ぎか。ほんとだ、たっぷり時間ある」
そう言いながら、美希は何か思い出したように柏手を打った。
「演劇までに回りたいとこ、ある?」
「何よ唐突に。すぐには思いつかないけど、まぁ特にはないわね」
「知音に同意」
「そっか。なら、ごめん! 他の子と連絡とって、演劇までちょっと外れても良いかな?」
わざわざ確認を取って来るものだから、何かと思えば。汐里と知音にとっては、その程度のものだった。
「良いも何も、最後の文化祭だからって意気込んでたのはみっきーでしょ? 私らのことは気にしなくていいから」
「演劇で待ち合わせってことなら、私たちはそこにいる筈だものね――って言いながら、私もどこかで三時分程抜けるかもだけど…」
汐里がそう言うと、二人はにやりと悪い笑みを浮かべた。
「男ね?」
「男だね?」
「ち、違うよ…! いや違わないけど、そういうんじゃないから…! 会長よ会長、幼馴染なの知ってるでしょ?」
「なんだ会長か」
「悪かったわね、そういう意味の男じゃなくて」
そうなりたい、とは思っているが。
そういうことなら、と汐里も二人の許しを得、午後の自由時間を本当の意味で獲得
した。
それからすぐに美希とは別れ、知音と二人での行動となった。
ある意味で決戦じみたイベントがある今日、汐里のテンションは寝起きから高かった。
汐里の人格で着替え、朝食を済ませた後、家を出ようと廊下を歩く汐里に「いってらっしゃい」とかけられる声があった。いつもなら、他人だから、親じゃないからと突っぱねて来た汐里だったが、今日はちゃんと目を見て、
「行ってきます……お母さん」
小さく、そしてぎこちなくはあったが、確かにそう言えていた。
ともすれば、それは一時の気まぐれであったかもしれないが、確かに言ったのだ。
思いがけない言葉に驚く渚。汐里は照れくささを笑顔で誤魔化して、静かに流れる涙を見ないよう、勢いよく家を飛び出して行った。
この具合だと、琢磨さんなんか直ぐに追い抜いちゃうかも。
そんな冗談を言えるくらい、汐里は高揚していた。
成長を認めるのは良いことだが、慢心は褒められたものではない。茶化す琢磨に、汐里は舌を出して抗議した。
学校に着くと、まず飛びついて来たのは美希。次いで背中を叩くのは知音だ。
美希はいつものように、知音は目を見て汐里確信すると、揃って「おはよう、しお」と声を上げた。
居心地が良い。やっぱり、この二人と友人で良かった。
別れたくないな。そう思いながら、だからこそ最後の文化祭はとことん楽しもうと決意。そうしてようやく、汐里も挨拶を返した。
「まずはお化け屋敷でしょ、次に屋台巡りするでしょ、演劇部にも行って――あ、有志も見なきゃ」
「美希ってば。慌てなくても三日あるから、ゆっくり回ろうよ」
「あはは、まぁそうなんだけどね。他の友達との約束もあって……全部回れなかったら嫌じゃない、最後の文化祭だし」
そう言って目を向けたのは、汐里の方だ。
まるで語尾に「しおにとっても」と付け足されているようだった。
高校三年であるが故に最後の文化祭。それは文字通りのことなのだが、わざわざ汐里に目を向ける意味はない。二人に問う時、美希なら顔を交互に似てもいいくらいだ。
『知音が話したのか?』
(ううん、それは無いと思う。いくら私たちが面白状態にあるからって、それを言いふらしたりするような人じゃないよ。嘘とか隠し事とか、極端に嫌う人だから)
『そうか。となると、知らないのかもな。偶然だろ』
(……だと良いんだけど)
曖昧に返しながら、今は考えても仕方のないことだと落とし込むと、汐里は「そうだね、急ごっか」と明るく振舞った。
瞬間に何か目聡く気付いたらしい知音だったが、その時は何も言わず、二人の会話に相槌を打った。
まず入ったお化け屋敷では、提案者で且つ一番楽しみにしていた美希が、誰より悲鳴を上げて怖がっていた。そこいらでは味わえない、教室という狭い空間だからこその斬新なアイデアに、知音は終始関心しっぱなしだった。汐里は半分怖がりながら、半分楽しんで笑っていた。
工夫を凝らされ寒かった教室から出ると、外気はいつにも増して温かく感じた。
少し汗が滲む程度が心地良いねと笑って、次なる目的地の工程へと繰り出す。
昨日の巡回で大まかな規模は把握しているつもりだったが、人が集まるとこうも迫力が変わって来るものなのか。今まではそんなことを意識して回っていなかったものだから、圧倒されてつい口が開きっぱなしになってしまう汐里。
「アホ面で突っ立ってないで、ほら行くよしお」
「誰がアホ面よ。こら逃げるな! 待ちなさい知音!」
「あ、私を置いてくなー!」
逃げる知音を追いかける汐里。それを更に後ろから慌てて追いかける美希。
『今もし俺が表だったら、こんなこと出来ない自信がある』
(ふふ。願われたって変わらないわよ)
『いらん。女子のきゃっきゃは女子同士でやるもんだ。俺じゃあ空気悪くするぞ』
(なら存分に楽しませて貰いますとも)
追い付いた知音に並んで振り返り、少し遅れた美希を待つ。
運動部である知音を除いた二人はすっかり息を切らし、根を上げ、もう無理と情けない声を上げた。
そのすぐ近くにあったベンチに腰掛けさせると、ちょっと待っててと言って再び駆け出す知音。元気だねと話ながら待っていると、帰って来た知音の手にはかき氷が二つ握られていた。
「ほい、水分補給」
「ありがと――って、知音、自分の分は?」
有難く頂戴して一口分をすくいながら、汐里が尋ねた。
「ないけどあるよ。こうやって」
汐里の口へと送られる前のそれを上から掴み、方向転換。渡した相手より早い一口目をいただく知音。
「あ、ちょ……奢ってもらっておいてアレだけど、それは卑怯でしょ」
「融資者の特権よ。あら美味しいわねレモン」
「いちごばっかだもんね」
それ以外の味を食べている所を目撃したことが無い程、見事にいつもいちご味だ。
たまに汐里や美希が「あーん」とわざとらしく持っていっても、頑なに食べよとはしてこなかった。
「これも最後の思い出作りってことで、勘弁して」
そう言われてしまっては、断り辛かった。
かき氷を食べ終えると、イカ焼きにたこ焼き、フランクフルトと歩きながらでも食べられるものを買い込んで再び歩き出した。食べ歩きが認められているのも、この学校の文化祭のいいところであった。
「演劇部の講演って何時からだっけ?」
「十四時半。まだまだ早いね」
美希が尋ねるのに答えたのは知音だった。
「今は……十一時過ぎか。ほんとだ、たっぷり時間ある」
そう言いながら、美希は何か思い出したように柏手を打った。
「演劇までに回りたいとこ、ある?」
「何よ唐突に。すぐには思いつかないけど、まぁ特にはないわね」
「知音に同意」
「そっか。なら、ごめん! 他の子と連絡とって、演劇までちょっと外れても良いかな?」
わざわざ確認を取って来るものだから、何かと思えば。汐里と知音にとっては、その程度のものだった。
「良いも何も、最後の文化祭だからって意気込んでたのはみっきーでしょ? 私らのことは気にしなくていいから」
「演劇で待ち合わせってことなら、私たちはそこにいる筈だものね――って言いながら、私もどこかで三時分程抜けるかもだけど…」
汐里がそう言うと、二人はにやりと悪い笑みを浮かべた。
「男ね?」
「男だね?」
「ち、違うよ…! いや違わないけど、そういうんじゃないから…! 会長よ会長、幼馴染なの知ってるでしょ?」
「なんだ会長か」
「悪かったわね、そういう意味の男じゃなくて」
そうなりたい、とは思っているが。
そういうことなら、と汐里も二人の許しを得、午後の自由時間を本当の意味で獲得
した。
それからすぐに美希とは別れ、知音と二人での行動となった。