昔、ヘンリーへッド博士という神経学者の話を聞いたことがある。
彼は、神経を損傷している患者がどのような感覚であるか、また本人たちはどのようなことを不快に感じているのか、どうすれば回復するのか、それを調べたいからと、同僚に頼み込んで自らの腕を切った、いわば自己犠牲による研究を厭わなかった偉人として有名だ。
それは意外にも世間から認められ、実験結果も後の世に教材として語られている程ではあるのだけれど、語るべくはそこではない。
なぜ、自己犠牲をするのかということだ。
それが美徳だと思っているから。あるいはそれをかっこいいと思っているから。その行為の意味を理解出来ない人間は、恐らくそんなことを言い出すだろう。
しかし、それを正に体験しようとしている者には理由が分かる。
それが、特別なことではないと知っているからだ。
大規模な事故に巻き込まれ、献身的な手術の末、あわや死というところの寸前で留まった日から数週間。
入院中の琢磨に、退院をしたら何がしたいだとか、夢はあるかとか、若くて美人の看護師はそんなことを聞いていた。
しかし、自分のことは自分が一番よく分かっているもので、確かに心臓は辛うじて動いているけれど、それが果たして『生きている』のかどうか。
答えはノーだ。
この腕は、足は、もう二度と動きそうにない。
近い将来、死んでしまうことだろうと、そう分かってしまうものなのだ。
希望を与えているつもりであろう慰めの言葉は、それを覚悟している琢磨にとっては残酷な嘘でしかない。生きているんだから、命はあるんだから。そんなものはまやかしだ。
しかし、受け入れながらも、心残りなら一つだけあった。
茜、一人で大丈夫なのだろうか。
ある日、親戚の方が来てくれましたよ、と看護師に通されて病室に入って来た黒いロングコートの老人が言った。
『人を救ってみないか?』と。
疑問符を浮かべる琢磨に、それがどういうことかという説明は直ぐに為された。
男は、死の寸前にいる者の短い命を使い、別の死にそうな人の命を繋ぎ、助けることを生業としていて、その助かる相手というのは、死の淵に触れている琢磨のような存在ではなく、近い将来で命の火が消える者のことを指している。
原理は企業秘密だが、Aの命をBに繋げることで延命させるここが可能なのだそうだ。
リスクはあるが、それはどんな形で現れるものか分からない。大抵は望ましくないものらしい。
しかし。
そんな、意味も分からず無茶苦茶もいいところな話に、琢磨はどうして頷けたのだろう。
老人が、一番驚いていた。
琢磨の抱く理由は、至って簡単なことだった。
これから死にゆく運命にある自分の力では、自分をこれ以上育てることも、まして他の誰を助けることすらも、その一切が出来ない。そんな自分が、形はどうあれ、他人を救うことが出来る。名前も顔も知らずとも、それはどんなに素敵なことなのだろう、と。
真っ先に浮かんだ理由が、これだった。
そんな旨を伝えた琢磨に、老人は問う。
『誰を救いたい?』と。
見当も付かない琢磨に、老人は様々な人の顔写真が載っているリストを見せた。
一ページに一人、詳細な情報も共に羅列されているそれを丁寧に捲っていく老人に、しかし琢磨は見向きもしないで『誰でもいい』と答えた。
面倒になったわけではない。
投げやりに言ったわけでもない。
誰でもいいから、救いたかったのだ。
そんな琢磨の言葉に、表情の見えない老人は頷き、では眠れと琢磨に言った。次に目が覚めた時には、既に人を救えていることだろうと。
その言葉を機に、琢磨の瞼が落ち、次第に意識は薄れていく。
そうして覚めた視界の先は――。
見知らぬ白い天井が埋め尽くす、誰かの部屋だった。
彼は、神経を損傷している患者がどのような感覚であるか、また本人たちはどのようなことを不快に感じているのか、どうすれば回復するのか、それを調べたいからと、同僚に頼み込んで自らの腕を切った、いわば自己犠牲による研究を厭わなかった偉人として有名だ。
それは意外にも世間から認められ、実験結果も後の世に教材として語られている程ではあるのだけれど、語るべくはそこではない。
なぜ、自己犠牲をするのかということだ。
それが美徳だと思っているから。あるいはそれをかっこいいと思っているから。その行為の意味を理解出来ない人間は、恐らくそんなことを言い出すだろう。
しかし、それを正に体験しようとしている者には理由が分かる。
それが、特別なことではないと知っているからだ。
大規模な事故に巻き込まれ、献身的な手術の末、あわや死というところの寸前で留まった日から数週間。
入院中の琢磨に、退院をしたら何がしたいだとか、夢はあるかとか、若くて美人の看護師はそんなことを聞いていた。
しかし、自分のことは自分が一番よく分かっているもので、確かに心臓は辛うじて動いているけれど、それが果たして『生きている』のかどうか。
答えはノーだ。
この腕は、足は、もう二度と動きそうにない。
近い将来、死んでしまうことだろうと、そう分かってしまうものなのだ。
希望を与えているつもりであろう慰めの言葉は、それを覚悟している琢磨にとっては残酷な嘘でしかない。生きているんだから、命はあるんだから。そんなものはまやかしだ。
しかし、受け入れながらも、心残りなら一つだけあった。
茜、一人で大丈夫なのだろうか。
ある日、親戚の方が来てくれましたよ、と看護師に通されて病室に入って来た黒いロングコートの老人が言った。
『人を救ってみないか?』と。
疑問符を浮かべる琢磨に、それがどういうことかという説明は直ぐに為された。
男は、死の寸前にいる者の短い命を使い、別の死にそうな人の命を繋ぎ、助けることを生業としていて、その助かる相手というのは、死の淵に触れている琢磨のような存在ではなく、近い将来で命の火が消える者のことを指している。
原理は企業秘密だが、Aの命をBに繋げることで延命させるここが可能なのだそうだ。
リスクはあるが、それはどんな形で現れるものか分からない。大抵は望ましくないものらしい。
しかし。
そんな、意味も分からず無茶苦茶もいいところな話に、琢磨はどうして頷けたのだろう。
老人が、一番驚いていた。
琢磨の抱く理由は、至って簡単なことだった。
これから死にゆく運命にある自分の力では、自分をこれ以上育てることも、まして他の誰を助けることすらも、その一切が出来ない。そんな自分が、形はどうあれ、他人を救うことが出来る。名前も顔も知らずとも、それはどんなに素敵なことなのだろう、と。
真っ先に浮かんだ理由が、これだった。
そんな旨を伝えた琢磨に、老人は問う。
『誰を救いたい?』と。
見当も付かない琢磨に、老人は様々な人の顔写真が載っているリストを見せた。
一ページに一人、詳細な情報も共に羅列されているそれを丁寧に捲っていく老人に、しかし琢磨は見向きもしないで『誰でもいい』と答えた。
面倒になったわけではない。
投げやりに言ったわけでもない。
誰でもいいから、救いたかったのだ。
そんな琢磨の言葉に、表情の見えない老人は頷き、では眠れと琢磨に言った。次に目が覚めた時には、既に人を救えていることだろうと。
その言葉を機に、琢磨の瞼が落ち、次第に意識は薄れていく。
そうして覚めた視界の先は――。
見知らぬ白い天井が埋め尽くす、誰かの部屋だった。