リビングに入るやいなや「台所借りるぞ」と言う増家へ、「もうご自由に」と返す。僕はソファに腰を下ろした。図鑑を手に取り、先ほどの頁を開く。右側の頁の内容から目を通す。

 「岸根君はお勉強ですか?」とキッチンから声が飛んでくる。「まあね」と返せば、「よくやるねえ」と呆れたような声が返ってきた。「お前ほどの奴がなにをそんなに学ぶことがあるのか」と呟く声に、袋を開ける音が混ざる。鍋に水を入れる音が続き、更にそれを火にかける音がする。

 「お待っとうさん」とダイニングテーブルに置かれたうどんは、随分と綺麗に盛られていた。

 「遅くてもいいから丁寧に」我がポリシーだと得意げに笑みを見せる増家へ、「そうだね」と返す。彼は今まで、その形で結果を出してきた。

 二人で手を合わせ、上に乗ったプチトマトを口に入れる。「トマトも二パックあんだよ」と増家は苦笑する。

 「一パックいかが?」

 いやあ、と僕は首を傾げる。「大丈夫かな」と笑い返すと、増家は「もらってくれよお」と泣きそうに顔を歪める。「そんなにもらってほしいなら」と返せば、今度は「お前が欲しけりゃやるよ」と強がるように笑みを見せる。「ありがたく頂戴するよ」と返して、僕はうどんをすする。

 増家は僕の後ろへ視線を放り、少し下へ落とした。「お前、なにをあんな分厚い本読んでるんだ?」

 「植物について調べ直してるんだ」

 「調べ直してる(、、、、)。へええ。なんかあったのか?」

 「そうだなあ。憧れの人とでも言おうか。そんな人に再会したんだ」

 「へえ。天下のナオ・キシネにも憧れの人なんかいるんだな」

 「素敵な人なんだ」

 「へええ。お前がそんな風に言う人間っちゃあ、気になるな」

 「君に似た人だよ。的確な目標に向かってまっすぐに生きてる人」

 「ふうん。なにしてる人なんだ?」

 「今はやってないみたい。でもその辞めるっていう決断は悔いてた」

 「過去形か」と増家は言う。穏やかな声だった。

 「今は新たに関心のある分野を見つけて、それを楽しむらしい」

 「それがあの馬鹿分厚い図鑑に刻まれし植物たちってことか」

 「彼女も、僕に対して君と同じような印象を持ってるみたいでね。困ったものだよ」

 「あ、じゃあお前、その彼女に植物について叩き込むってわけ?」

 「そんな物騒なものじゃないけどね」

 「ふうん。でもお前、植物については怖いもんなしなんじゃねえ?」

 「そんなことないよ」

 「まあ、お前くらいにもなれば植物に限ったことじゃないんだろうけど」本当になんでも知ってるもんなあ、としみじみ言って、増家はうどんを一気にすすった。