湯船に浸かると、じわりと湯が溢れた。少し太ったかなと腕を見る。まあいいかと腕を下ろし、ふうと長く息をつく。天井を仰ぐと、髪の毛をまとめているタオルがずれたように感じ、適当に形を整えて固定し直した。

 湯に浅く手を入れ、両手を握るように一気に力を込める。勢いよく飛び出した湯は頬を叩いた。幼少期、よくこうして親と遊んだものだ。当時あれほど広く感じていた湯舟が、すっかり一人でちょうどよく感じられるようになっている。成長しているのだなと、寂しさのような焦りのような複雑な気が胸を泳ぐ。先月十代に別れを告げたが、精神的にはなにも変わっちゃいない。幼い頃には、一つ年齢の数字が大きくなる度に、お姉さんになったんだよと言って喜んでは背伸びしたような言動を取ることもあったが、それもいつからかなくなってしまった。一つ歳を取ったからといってなにが変わるのだ、誕生日といってもただの平日ではないかというのが最近の気持ちだ。そんな頃になって、父には時折、もう○○歳だろうと言われるようになった。他と同じように一日を過ごしたからといってなにも変わりやしないのだと、そう言っては彼を苦笑させている。もう、自ら成長を止めてしまっているのだ。好奇心も理想もない。動く理由がないのだ。動かなければ成長はできない。自分がなにをしたいのか、なにになりたいのかがわからない。まずはそれを知るところからなのだろうが、その術を知らない。