帰宅後、兄はテキストとしての本を読み終えると、リビングに下りてパソコンの電源を入れた。ソファでニュース番組を眺めている弟がこちらを見ているのがわかった。

 「なにをそんなに調べることがあるのさ」

 「部活のテキストについて」

 「そう……。兄ちゃんなら、普通に読むだけでも大丈夫じゃないの?」

 「そんなことない。どんな場面でも言葉を返せるようにしておかないと」

 「なんで。大丈夫だって、絶対」

 「……怜央、たこ好きだったね」

 「うん、たこ焼き大好き」

 「たこって、どう生まれるか知ってる?」

 「え、卵からでしょ?」

 「その卵はどう作られるか知ってる?」

 「ええっと……。まあそれは、本能に従ってさ……て、なにさ」

 「たこは、オスが精子の入ったカプセルのようなものを好きになったメスに渡して、それを受け取ってもらえたら告白成功。メスは受け取ったカプセルから卵を産み、およそ一か月、飲まず食わずで外敵から卵を守り抜いて、子供たちの誕生を見届けると、その場を離れて死ぬんだ」

 「ええ……」壮絶、と弟は呟く。「でも、それが?」

 「これ、質問してきた相手が僕じゃなかったらどうする?」

 「どうするもなにも、知らないの一言で事足りるでしょう」

 「そうとも限らないんだよ。笑う人は笑うし、こちらの無知さに驚き、引く人もいる」

 「それはカーキたちでしょ? みんながみんなそうとは限らない」

 「その場面に備えておくことは無駄じゃない。情報は活きるものじゃない、活かすものだから」

 「誰も『ねえ岸根君、たこってどう生まれるの?』とか言わないって」

 「たこの話じゃない」兄が言うと、弟は「ええ、だって兄ちゃんが……」と呟いた。

 「部活で、これについて話し合うから内容を理解しておけって言われてるんだ。その理解が足りなければ、話にならないと置いて行かれる、切り捨てられる」

 「それならそれでいいじゃん。文芸部辞めて演劇部来なよ。活動内容は似てるけど、わかんないも知らないも通用するよ」

 兄は弟の名を呼びながら、チェアを後ろへ向けた。「僕みたいになっちゃ、だめだよ」