部屋を出ると、弟が「おはよう」と眠そうに言った。「おはよう」と短く返しながら、兄は頭を占領する恐怖の瞬間に気を取られていた。少しでも面を丈夫にしておかなくてはと考えていた。この面を壊すわけにはいかない、外すわけにはいかない。そうしてしまえば、きっと今のようにはいられない。こちらに向く目が疑いや軽蔑に変わった場面を想像すると、恐ろしくて堪らなくなる。もうずっと、想像しては恐れるの繰り返しだ。

 普通の値に属すのは、想像したよりも遥かに難しいことだった。普通とはなにかと考える。わからない。黒髪で、黒い虹彩を持ち、平均値が出た分野すべてでそこに属すこと、だろうか。当然そのような人もあろうが、すべてにおいて平均地にある方が不自然に思う。

 「兄ちゃん」と言う弟の声にはっとし、「どこ行くの?」という声を認めたときには、階段を下りた先の壁に額と鼻をぶつけた。両手で痛むそれぞれを押さえると、弟は「ははは」と笑う。兄は「痛い」と呟く。弟はけらけらと笑う。

 「いやあ、兄ちゃんだ。よかったよ」

 「……よくない」

 「ごめんごめん」と弟は言うが、まだ愉快そうに笑っている。「なんか、ここ数年、間抜けな兄ちゃん見てないからさ」安心したよ、と弟は花のように笑う。大輪のヒマワリの花姿に似た、明るい笑みだ。