何度忘れても、きみの春はここにある。

 バレてほしくない。そんな形で、自分の気持ちを見透かされたくない。
「あの……、すみません」
 ぼうっとしていると、横から女子の声が聞こえて、俺はゆっくり振り返った。
 するとそこには、まったく知らない女生徒ふたりが並んで立っている。
「もしかして……、瀬名類君ですか?」
 まったく見覚えがないが、もしかしたら記憶を失くしてしまっている人物なのかもしれないと思い、俺は追い払わずに彼女たちの言葉を待った。
「あの、妹があなたと同じ高校に通ってるんですけど、超カッコいい先輩がいるって言ってて……、写真に見覚えがあって」
「あはは、ていうか、妹盗撮してんのヤバいけど」
「普通に実物の方がカッコいいですねー」
 ……そういうことか。真剣に話を聞こうとして損した。
 何も面白くないのに笑っているふたりを完全に無視して、俺は頬杖を突きながらスマホをいじる。
 桜木が戻ってくるまでに早く散れよ。
 そんなことを思っていると、彼女たちのうしろに桜木がひっそりいることに気づいた。
 俺は桜木に向かって「おいで」と、口パクで言い放つ。すると、俺の目線を追った見知らぬ女子高生ふたりは、桜木を振り向きながらサッとどいた。
 しかし、桜木含む三人は、「え……」と小さく声を漏らしてからその場に硬直した。
 女子高生のうちのひとりが、数秒経ってから声をあげる。
「もしかして……、桜木?」
 桜木の顔は、雪のように真っ白になって、表情は石のように固まっている。
 まったくいい空気ではない。
 もしかして……、桜木の過去のクラスメイトなのだろうか。
「え、嘘。なんでこんな店に来てんの? ウケる……」
「何、綾香(アヤカ)の友達なの?」
「友達っていうか……中学が一緒。なんか親がモンペで、学校に乗り込んできてやばかったんだよ。うちの娘をイジメたのは誰ですかって」
「え、やばー。ていうか、まさか類君が彼氏……?」
「え! まさかふたりでこの店来てたの!?」
 なんだ、こいつら……。こそこそと小声で話しながら、桜木のことをちらちらと見ている。
 その様子に、怒りでめまいがするほどだったが、ここで騒ぎ立てたほうがきっと桜木には迷惑だろう。
 本当は殴り倒してやりたいほどムカついている。
 俺は怒りを堪えて立ち上がり、桜木をこの店から連れ出そうとした。
「桜木、帰んぞ」
 そう言ったが、桜木は顔面蒼白のまま両耳を手で塞いでる。
 俺の声はまったく届いていないらしい。
 何かを呟いているようなので、よく耳を傾けると、「ごめんなさい……」という言葉が聞き取れた。
 そんなか細い声をかき消すように、女子高生は騒ぎ立てる。
「マジで類君、桜木と付き合ってるの!? え、超ショックなんだけど……」
「あはは、綾香落ち着きなって」
 ふたりの声は、もはやただの雑音だ。
 震えている桜木を見ていたら、言葉では言い表せないほどの怒りが、この女子高生ふたりに対して湧いてきた。
 もし今、この彼女たちのせいで、桜木の中にある言葉の呪いがいくつも蘇ってしまったのだとしたら……。
「桜木、帰ろう」
 もう一度言うが、彼女は固まったまま動かない。……動けない。
 いっさい、俺に助けを求めようともしない。
 ただただひとりで、時が過ぎるのを耐えている。
 そんな姿を見たら、喉の奥の奥がきゅっと苦しくなった。
「桜木……」
 なあ、桜木。お前今まで、傷つくたびに、そんなふうに耳をふさいで耐えてきたのかよ。
 誰かが傷つくことに人一倍敏感なのは、自分も共感して傷ついてしまうほどの経験があるからなのかよ。
 俺は、簡単に傷つけてきた側の人間だから、桜木の世界を何も知らない。何も分かっていない。
 ……でも、それなのに、こうして彼女のために怒りが込み上げたりしてるんだ。
 本当、笑えるよ。
 自分の中に、こんな感情があったなんて。
 人の痛みなんて、分かりっこないって思っていたのに。
 知りたいって、思うんだよ。
 両耳をふさいで、ひとりで過去と戦っている桜木の世界に、入りたいって、思うんだよ。
「琴音」
 名前を呼ぶと、一瞬あたりがしんと静まり返った。
 ようやく俺の声が届いたらしい桜木は、怯えたままの目で俺の顔を見つめている。
 俺は女子高生ふたりを退けて、桜木の目の前まで近づく。
 そして、椅子にかけていた自分のダッフルコートを、彼女の頭からバサッとかけた。
 視界を遮られた彼女は、戸惑った瞳で、俺のことを見あげる。
「……何も聞かなくていい。何も、見なくていい」
 そう言うと、一瞬だけ桜木の瞳が揺れて、今にも涙が零れ落ちそうになった。
 その姿を見た俺は、彼女を守りたいとか、傷つけたくないとか、そんな感情を全部超えて、気づいたら襟を引っ張って、コートの中で彼女にキスをしていた。
「え……」
 まるでスローモーションのように、彼女の戸惑った顔が瞳に映り込む。
 俺はそのまま桜木の腕を引いて、驚き固まっている女子高生ふたりを睨みつけ威嚇してから、会計を済ませて店を出た。
 桜木の腕がかすかに震えているのを感じとって、俺はまたどうしようもなく苦しくなってしまった。
 守りたいと愛しいという気持ちがセットだということを、俺はそのときはじめて知った。

side桜木琴音

 頭の中が真っ白になった。
 瀬名先輩の大きなダッフルコートが被せられて、視界が真っ黒になったかと思った次の瞬間、瀬名先輩の顔が近づいて気づいたらキスをされていた。
 起こったことを受け止めきれないまま、私は瀬名先輩に腕を引かれて、お店を出ていた。
 いくら恋愛に無縁だった自分だってわかる。
 あれはドラマで観るのと同じような、唇同士のキスだった。
 何も会話がないままふたりで駅まで向かうと、瀬名先輩は「俺逆方向の電車だから」と言って、反対側のホームへと消えてしまった。
 私は「はい」と反射的に返事をしただけで、茫然としたまま駅のベンチに座り込み、そのまま二本電車を逃した。
 さっきの行動の真意は、いったい……。
 中学の頃のクラスメイトに会ったことは本当に嫌で、今すぐこの店から立ち去りたいとい気持ちになったけれど、そんな感情なんて吹き飛ぶくらいの衝撃的な出来事だった。
 もちろん、キスをしたことなんて人生ではじめてだ。
 なんだか、じわじわとさっきの行動で体が熱くなってきた。ドクンドクン、と心臓が大きく跳ねている。
 とてもひとりでは抱えきれない気持ちを押し込めて、私は不安な足取りでなんとか電車に乗り込んだのだった。



 瀬名先輩に会ったら、どんな顔をしていいのか分からない。
 私は学校について、すぐに机に顔を突っ伏していた。
 昨日の瀬名先輩の言葉がふと蘇り、また心臓がどんどんうるさくなる。
『……何も聞かなくていい。何も、見なくていい』
 ひたすら耐えようとしていた私の視界に、急に優しい声と体温が近づいてきて、私はあの瞬間、不覚にも泣きそうになってしまったんだ。
 こんなこと思ったら、うぬぼれるなと怒られるだろうけど、あのとき瀬名先輩がヒーローみたいに見えたんだよ。
 いつもよりずっと、キラキラ眩しく見えたんだよ。
「おい、桜木起きろ」
 美術の講義が終わって、休憩時間に入ったころ。
 パシッと軽い何かで頭を叩かれて、私はむくりと顔を上げた。
 そこには、資料を持った小山先生がいた。
 忙しくて美容室に行けないのだろうか。髪の毛がだいぶ伸びきっている。
「進路希望、出してないのお前だけだぞ。とりあえず、今少し話せるか」
「……はい」

 人気のない資料室に移動し、一対一で先生と向かい合う。
 私は気まずさに耐えきれず、ずっと下を俯いていた。
 深緑色のセーターを着た小山先生は、人がいない教室は寒いな、と言ってストーブをつけてくれた。
 先生は、私が白紙で出した進路希望調査表を机の上に置きながら、私の顔をじっと見つめている。
「……昨日、桜木のお母さんから電話があったんだ。桜木がどんな進路を希望しているのか知りたいと」
「え……?」
「親にも何も話してないのか? お母さん、悩んでたぞ。学校のこと、何も共有してくれないって」
 小山先生は本当に心配そうに話してくれたが、私の胸はザワついていた。
 母親は、昔から私のことを細かく把握したがる。普段仕事で普段忙しい分、知らないことが多いと不安なのだろう。
 昨日、偶然カフェで出会った中学のときのクラスメイトが言ったとおり、母親は少し過保護なところがある。
 ……そんなふうにさせてしまったのは、自分がイジメに遭ったせいなのだけれど。
「……最近、瀬名と仲がいいのか?」
「え……」
 急な質問にドキッとして、私は思わずパッと顔を上げてしまった。
「この前、一緒に帰るところ見えたから。桜木が誰かといるの珍しいと思ってな。もしかして、イジメられたりしてないよな?」
「ち、違います」
 珍しく私が強く否定したので、小山先生は一瞬驚いていた。
 私は再び俯いて、声を荒げてしまったことを恥ずかしく思った。
「ならいいけど……、まあ、アイツももうすぐ卒業だからな。クラス内でもそろそろ話し相手できるといいけどな」
 ……そうか。瀬名先輩も、もうすぐ卒業するんだ。
 当たり前のことなのに、この時間がいつまでも続くような気がしていた。
 おかしな話だ。最初は、あの秘密のノートを返してもらいたいがために始まったやりとりなのに、今はもうそんなことがどうでもよくなっている。
 瀬名先輩と経験したことすべてが、自分にとってはじめてのことばかりで、思い出がどんどん増えている。
 最初は変化が怖かったし、派手な人に絡まれることもあったけど、間違いなく私の毎日の色が変わった。
 瀬名先輩が卒業したら……またあの、雪が降る前の空のように、薄暗い毎日に戻るのだろうか。
 そう思うと、チクッと胸の一か所が痛んだ。
 何も起きない毎日を、心から望んでいたはずなのに。
 ぼんやりしていると、小山先生が「こら」と言ってパンと目の前で手を叩いた。
「とにかく、今週中には出すように。仮でいいから」
「はい……」
「これ以上、親を心配させるなよ」
 そう言って、小山先生はストーブを消して私より先に部屋を出ていった。
 次の授業まで間もないので、重い気持ちのまま私もスッと席を立ちあがる。
 二限目は選択授業なので、他クラスの子とも合同だ。
 教室は三階にあって遠いので、急がなくてはならない。
 私は授業道具をまとめて、慌てて階段を駆け上がった。
 三年生がいる階なので、瀬名先輩と偶然すれ違ったりしないかソワソワしながら、私は廊下を駆け抜けた。
 しかしその日は、瀬名先輩からメッセージがくることすら無かったんだ。

 皆が部活や塾に向かう中で、ひとりまっすぐ家に帰る。
 それは今までの日常だったのに、どうしてこんなに胸の中がすかすかするんだろう。
 自転車にまたがって、漕ぎだす前にふと校舎を振り返ると、遠くに瀬名先輩の姿を見つけた。
 私はすぐにその場を去ろうとしたが、こんなに距離があるにもかかわらずバチッと目が合ってしまった。
 ……しかし、瀬名先輩はいっさい私に反応することなく、同級生と話している。
 目が合った気がしたのは、気のせいだったのかな……?
 また、胸がチクッと痛んで、私は心臓付近を押さえた。
 なぜか自転車が漕ぎ出せなくて、その場に固まる私。
 すると、背後からチリンという音とともに「座敷童ちゃん、危ないよそこ」という声が聞こえた。
 振り返るとそこには、同じように自転車にまたがった村主さんがいた。
 今日は茶色い髪の毛をくるくるとお姫様みたいに巻いている。
「村主さん……、ごめん、今どくね」
「今からデートだから急いでんだけど。……ていうか、何、心臓押さえて。動悸?」
「動悸なのかな、そうなのかも……」
「今日は瀬名先輩と放課後遊ばないの?」
「うん……、とくにメッセージなくて」
「えー? 本当気まぐれだなー、あの人。……あれっ、ていうかあそこにいんじゃん」
 彼女が指さした方向には、友人と一緒に、校門まで自転車を運んでくる瀬名先輩がいる。
 村主さんは大きな声で「瀬名先輩ー」と呼んで、ぶんぶんと手を振った。
 呼ばれたことに気づいた瀬名先輩は、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
 ドクンドクン、と心臓が早鐘のように鳴り響いて、頭の中に昨日キスされた映像が浮かんでくる。
 どうしよう、どんな顔をしていいのか分からない……。
「今日は桜木と遊ばないの?」
 目の前まで近づいてきた瀬名先輩のつま先を、俯いたまま見つめる。
 しかし、村主さんの問いかけに、瀬名先輩は低い声であっさりと答えた。
「……何、誰それ」
 どういうことか、すぐに理解できなかった。
 瀬名先輩に、もしかしたら忘れられている……?
 嘘だ、そんなはずはない。
 村主さんが私の代わりにすぐに問い詰めてくれた。
「いや、何言ってんの? この桜木ですけど。寝ぼけてんの? それとも虫の居所が悪いだけ?」
「お前こそ何言ってんだよ。今、スマホ失くして最悪の気分だからどけ」
「あ、ちょっと瀬名先輩……!」
 瀬名先輩は、一度も私に目をくれずに、颯爽と自転車を漕いで友人たちと一緒に去ってしまった。
 ぽつんと取り残された私たちは、その場に棒立ち状態だ。
 村主さんはあんぐりと口を開けたままで、瀬名先輩が去っていった方向を指さした。
「ねぇ、今本気で忘れてたのかな……」
「え……」
「それとも、ケンカとかした……?」
 村主さんの言葉に、頭を横にぶんぶんと振る。
 いつもと違った行動といえば、キスをしたことくらいだ。
 もしかしたら、キスしたことを無かったことにするために忘れたふりをしたのだろうか。
 でも、そんなことは考えづらい。
 無かったことにしたいくらいなら、キスなんてしなければいいだけの話だ。
「もしかして、本気で桜木のことが大切になっちゃって、記憶消えちゃったのかな……」
 村主さんがぽつりとつぶやいた言葉に、私はどう反応していいのか分からなくなってしまった。
 瀬名先輩にとって、私は少しでも大切な人になれたということ……?
 だけど、瀬名先輩の記憶に今私はいないかもしれない。
 自分が瀬名先輩の大切な人ということも含め信じがたいけれど、もし万が一それが本当だとしたら、まったく知り合う前のスタート地点に戻ってしまった、ということだ。
 そう考えた瞬間、さっきとは比べものにならないほどの胸の痛みが、ズキンと走った。
「桜木、大丈夫……?」
「だ、大丈……」
 あれ……?
 瀬名先輩の記憶から消えたら、あのノートの存在ごとなかったことになって、いつもの落ち着いた日常に戻って、いいことだらけのはずなのに。
 どうして今、瀬名先輩と過ごしたすべての時間が、走馬灯のように頭の中を駆け巡るんだろう。
 ぽろっと、一粒の涙が零れ落ちた。
 その涙が自分の目から出ていることに気づいて、私は動揺した。
 村主さんは、眉をハの字にして、苦しそうな顔をしていた。
 それから、「複雑すぎじゃんね……」とつぶやいて、一度だけ私の背中をポンと叩いてくれた。
 自分でもコントロールできない感情に戸惑いながら、何度も何度も言い聞かせた。
 瀬名先輩が卒業するまであと一カ月もない。これは、それがただ早まっただけの話だ。
 だって、彼が卒業したら、私のことなんて自然に忘れていたはずだから。
 大丈夫、悲しくないよ。
 明日から、いつもの日々に、元どおりになるだけ。



 ツラいことがあると、いつも頭の中にばあちゃんを思い浮かべる。
 頭の中にいるばあちゃんは、優しい笑顔で、腰が丸くて、背が小さい。
 両親のケンカを聞くことが辛くて自分の部屋から出ると、ばあちゃんはいつもおやつを食べようと誘ってくれた。
 栗羊羹、麩菓子、べっこう飴、焼きりんごにさつまいもバター……。
 ばあちゃんがくれるおやつは、正直どれも子供が好きそうなものではなかったけれど、私はその素朴な味にほっとしていたんだ。
 ばあちゃんと一緒の空間は、私にとって絶対的な安全領域だった。
 ……今日、涙を流したのは、ばあちゃんが死んだとき以来のことだった。
 瀬名先輩は死んだわけではないけれど、実質瀬名先輩の心の中から私は消えた。
 大切な人を失うことが、この世で一番ツラいことだって、ばあちゃんを失ったときに知ったのに。
 だから、人とかかわることを避けてきたのに。
 こんなにツラいなら、あのとき、ノートなんかどうでもいいと啖呵を切って、瀬名先輩とかかわることを選ばなければよかったな。

「琴音、今部屋入って大丈夫……?」
「うん、いいよ」
 ばあちゃんの写真を見ながら浸っていると、コンコンというノック音が部屋の中に響いた。
 私の顔色を伺って部屋の中に入ってきた母親は、少し疲れた顔をしている。
 ワンレンのボブの髪の毛には、白髪が何本か混じっていて、目の下にはくまができていた。
 ずっと働き詰めの母親は、自分のことに割く時間がほとんどないのだろう。
「先生から聞いたけど、まだ進路調査表出してないんだってね。もう琴音ひとりだけだって、嫌味言われちゃったよ」
 瞳にも疲れがにじみ出ていて、私は「ごめん」と言って頭を下げた。
 さっきまで父親と言い合う声が聞こえていたから、私に強く言うよう母親が叱られていたのだろう。
 いつもそうだ、父親は、言いたいことをすべて母親に押し付ける。
 私のイジメが発覚したときも、父親は母親を叱責していた。
「……琴音は、将来何になりたいとか、イメージない?」
 母親の質問に、とっさに言葉が出なかった。
 だって、本当にイメージが沸かないから。
 自分に何ができるのか、何が求められているのか、ちっとも想像できない。
 ……それはたぶん、自分のことがちっとも好きではないからだ。ちっとも自分に期待できないからだ。
 進路なんて、テキトーに書いて提出すればよかった。そんな後悔が、頭の中を駆け巡っている。
 母親の顔を見ることができなくて、私は母親の痩せた鎖骨をじっと見つめていた。
「……琴音、黙ってたら解決するなんて思わないで。もう高校生なのよ。もっと自分の人生を真剣に考えて。社会人じゃそんなの通用しないの、わかる?」
 母親の言葉が、ただただ鉛のように胸の中にまっていく。
 重たくて、逃げ出したい。
 学生時代からハツラツとしていて、クラスの中心にいるような人物だった母親は、正反対になってしまった私のことがコントロールできなくて苛立つのだろう。
「母さんは、もう高校生のときには大学だけじゃなくて就職のことまで考えてたわよ。もし私の時代だったら、琴音の生き方じゃ生きていけない」
「うん……」
「せっかく頭は私に似て、いい高校に行けたのに。母さんは高校生活楽しくて仕方なかったよ? 三年なんてあっという間なんだから、もっと友達もつくってさ……」
 母親は、いつも自分の過去と今の私を比べたがる。母さんだったら、母さんの時代は……と。
 その度に、私は喉まででかかった言葉をぐっと飲み込むことに耐えている。
 言ったら、母親が壊れてしまうかもしれないから、ずっとずっと耐えているのだ。
 今日は父親に強く叱られたせいだろうか。情緒不安定な母親の言葉は止まらなかった。
「もしかして琴音、またイジメられてたりしないでしょうね……?」