side桜木琴音

 頭の中が真っ白になった。
 瀬名先輩の大きなダッフルコートが被せられて、視界が真っ黒になったかと思った次の瞬間、瀬名先輩の顔が近づいて気づいたらキスをされていた。
 起こったことを受け止めきれないまま、私は瀬名先輩に腕を引かれて、お店を出ていた。
 いくら恋愛に無縁だった自分だってわかる。
 あれはドラマで観るのと同じような、唇同士のキスだった。
 何も会話がないままふたりで駅まで向かうと、瀬名先輩は「俺逆方向の電車だから」と言って、反対側のホームへと消えてしまった。
 私は「はい」と反射的に返事をしただけで、茫然としたまま駅のベンチに座り込み、そのまま二本電車を逃した。
 さっきの行動の真意は、いったい……。
 中学の頃のクラスメイトに会ったことは本当に嫌で、今すぐこの店から立ち去りたいとい気持ちになったけれど、そんな感情なんて吹き飛ぶくらいの衝撃的な出来事だった。
 もちろん、キスをしたことなんて人生ではじめてだ。
 なんだか、じわじわとさっきの行動で体が熱くなってきた。ドクンドクン、と心臓が大きく跳ねている。
 とてもひとりでは抱えきれない気持ちを押し込めて、私は不安な足取りでなんとか電車に乗り込んだのだった。



 瀬名先輩に会ったら、どんな顔をしていいのか分からない。
 私は学校について、すぐに机に顔を突っ伏していた。
 昨日の瀬名先輩の言葉がふと蘇り、また心臓がどんどんうるさくなる。
『……何も聞かなくていい。何も、見なくていい』
 ひたすら耐えようとしていた私の視界に、急に優しい声と体温が近づいてきて、私はあの瞬間、不覚にも泣きそうになってしまったんだ。
 こんなこと思ったら、うぬぼれるなと怒られるだろうけど、あのとき瀬名先輩がヒーローみたいに見えたんだよ。
 いつもよりずっと、キラキラ眩しく見えたんだよ。
「おい、桜木起きろ」
 美術の講義が終わって、休憩時間に入ったころ。
 パシッと軽い何かで頭を叩かれて、私はむくりと顔を上げた。
 そこには、資料を持った小山先生がいた。
 忙しくて美容室に行けないのだろうか。髪の毛がだいぶ伸びきっている。
「進路希望、出してないのお前だけだぞ。とりあえず、今少し話せるか」
「……はい」

 人気のない資料室に移動し、一対一で先生と向かい合う。