いったい誰が、そんな呪いをかけたんだろうか。
誰かに認められたら解けるような、そんな単純なものじゃないよ。
「来ない……」
あっという間に、土曜日が来た。
私はいつものダッフルコートの下に、パーカーとジーパンという地味な姿で瀬名先輩のことを待っていた。
駅前はファミリー層で溢れかえっており、皆遊園地目的で来ている様子だ。
駅前の柱の陰に隠れながら、私はぼうっと時計台を見あげる。
覚悟はしていたけれど、瀬名先輩は本当に忘れているのだろうか。
「寒い……」
こんな日に遊園地に来る人たちは、いったいどれだけ寒さに強いのだろう。
両腕で自分の体を抱きしめる。吐いた白い息が空に消えていくのを見つめ終えてから、私はゆっくり目を閉じて、瀬名先輩のことをなんとなく思い浮かべてみた。
今頃、私との約束なんて忘れて、ベッドに寝そべってスマホゲームでもしているんだろうか。
そう思うと腹が立ってくるが、なにせ連絡先を知らないので怒れない。怒ったところで、本人は約束なんか忘れているかもしれない。
今までいったい何人、瀬名先輩のことをこうして待った人がいただろうか。
会ったこともない誰かを思い浮かべていると、ふわりと頬に冷たいものが当たった。
「あ……雪だ……」
目で追えるほどゆっくりと落ちてくる雪。
私は思わず手の平で雪の結晶を受け止める。
しまった。今日は手袋を忘れてしまった。
さっき笑顔で園内に入っていった子供たちは、風邪を引かないだろうか。
そんなことばかり、浮かんでは消えていく。
無駄に時間を潰さずに、もう帰ればいいのに。分かっている。
だけどあのとき、瀬名先輩は少しワクワクした顔で遊園地を誘ってくれていた気がするから。
あの表情が頭に焼き付いて、私の足を動かなくする。
「まだ寝てんのかな、先輩」
何人もの学生が、次々に時計台前で友人たちと合流し、遊園地へと向かっていく。
何十分とここに突っ立ってひとり言をつぶやいている私は、きっと変な人だ。
情報を遮るようにまた目を閉じると、不思議と、過去の瀬名先輩の妄想が膨らんで行った。
……友人たちとの約束をふと思い出して、慌てて場所に向かうも、誰ひとりその場所にいない。
立ち尽くし、自分に絶望して帰る瀬名先輩。
そんな瀬名先輩が、皆の知らないところで存在していたかもしれない。
そのたびに瀬名先輩は、自分のことを嫌いになっていたかもしれない。
どうしてだろう。こんなのただの妄想なのに、胸が切ない。
きっと、自分を好きでいてくれる人っていうのは、自分を信じてくれる人って意味だ。
そう思うと、私は今、この場所を動けないよ。
だって私も、ほしい。自分を信じてくれる人。
永遠じゃなくていい。
そのときだけでも自分を信じてくれる人がいたら、何かがちょっと変わる気がするから。
「桜木」
少し焦ったような、低い声が聞こえて、私はゆっくり目を開けた。
いったいどれだけ時間が経っていただろう。
寒い中棒立ちしていたせいで、足がすぐに動かない。
私はゆっくりと顔だけ上げて、私の名前を呼んだ人を見つめた。
そこには息を切らしている瀬名先輩がいて、瀬名先輩のうしろにある大きな時計は、待ち合わせの時刻から一時間半過ぎた時刻を表示していた。
瀬名先輩は、かける言葉を探しながら、私のことを見つめている。
私は、いろんな文句が頭に浮かんだけれど、さっき勝手に妄想していた「友人たちと待ち合わせ場所で出会えなかった瀬名先輩」を救えた気がして、なぜかほっとしていた。
だから、こんな言葉しか出てこなかったんだ。
「よかった……。会えましたね」
言葉とともに、白い息が視界を遮った。
自分の吐息で、そのときの瀬名先輩の顔が、よく見えなかった。
けれど、気づいたら私は、なぜか彼の腕の中にいた。
冷えて赤くなった手を強引に引かれ、私は瀬名先輩の胸にぎゅっと後頭部ごと手で押さえつけられている。
彼の心臓の音が、信じられないくらい近くで聞こえて、私はようやく今の状況を理解した。
「せ、瀬名先輩……?」
瀬名先輩は、動揺した私を抱きしめたまま、聞いたことないくらい震えた声でつぶやく。
「お前、バカじゃん……。意味分かんね……」
言葉とは裏腹に、彼は私を抱きしめる力を強める。
周りの人の視線が刺さる。ただでさえ目立つ人なのに。
注目を集められることが大の苦手な私は、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。
だけど、私を抱きしめる瀬名先輩の手が少し震えていることに気づいて、胸が苦しくなって、なぜか動けない。
……動けないよ、先輩。
「瀬名先輩……」
「なんだよ」
「私、ジェットコースター五回は乗りたいんですけど……」
「は? 寒いからやだ」
抱き締められながら、私はいつもどおり横暴な彼の態度に、少し安心していた。
傘も持たずに来た彼の服は濡れていて、そのことに気づいた私は、再び胸が苦しくなったのだった。
……この人の体が少しでもはやく温まりますように。
はやく春が、訪れますように。
そんなことを思いながら、彼の背中に舞い降りた雪を、そっと指先で払ったのだった。
side瀬名類
村主から『今日桜木と遊ぶんだって?』という連絡が来て、数秒思考が停止してから、徐々に記憶の断片が集まって桜木との約束を思い出した。
ーー約束だけならまだしも、俺は一瞬桜木の存在自体を忘れていた。
世界が一時停止したように感じて、俺はベッドの中で自分の頭を抱えたまま固まる。
嘘だ。いや、でも本当に、今、桜木という名前を聞いて一瞬顔さえ浮かんでこなかった。
「怖……」
つぶやいた声は、古い木造建築の壁や天井の中へ消えていく。
俺は、犬のように頭をぶんぶんと横に振ってから、すぐに出かける支度をした。
どんなに急いだって、着くときには一時間半も遅れてしまう。
桜木は、絶対、もういない。分かっている。
俺だったら絶対帰ってる。
怒ってるだろうか。そりゃそうだ。自分から誘ったのに。
……外に出ると、いつもどおりの灰色の空。
わずかに雪が降っていたが、俺は構わず駅へと走って向かう。
いるわけない。ありえない。そう思っていた。
しかし、待ち合わせ場所に着くと、時計台の下に目を閉じて突っ立っている人物が見えた。
「桜木……」
どうしてだ。
お前、どうしてこんな寒空の下、俺のことなんか待ってんだよ。
鼻の先も、手も、頬も、全部赤い。
思ってもみない展開に、言葉が出てこない。
なんて言ったらいい。ごめんも、ありがとうも、違う。
心臓が握り潰されたように、苦しい。
こんな感情、はじめてで、どうしたらいいのか分からない。
「よかった……。会えましたね」
手をカタカタと震わせながら、力なく笑う桜木を見たら、衝動的に体が動いてしまった。
桜木のコートがしわになるほど、強く強く抱きしめる。桜木が戸惑っていることなんか、知らない。関係ない。
心臓が苦しいから、抱きしめた。
そして、抱きしめているこの一秒一秒が、自分の中の桜木の記憶を奪っていくことに、俺はどこかで気づいていた。
「せ、瀬名先輩……?」
「お前、バカじゃん……。意味分かんね……」
認めたくないけど、分かってしまった。
俺は、桜木を、忘れたくない。
今この瞬間、強くそう願ってしまった。
そう願えば願うほど、桜木のことを忘れていくというのに。
〇
自分はいったい今まで、何人の大切な人を忘れてきたんだろう。
その人自体を忘れたら、痛みさえ残らないのだから、俺にとってはなんのダメージもない。
だから、どんなことも捨てて生きてこれた。
今回もそれでいい。
どうせ卒業したら、二度と会わないような関係だ。
土曜日の自分は、自分じゃないみたいで、怖い。
そんな感情からは、逃げてしまいたい。
「あれっ、瀬名先輩! なんで今日来てくれたのー?」
ドアを開けた俺を見て、村主が目を丸くして驚いていた。
菅原に連れられて、俺は久々に村主や岡部、その他名前の知らない奴らとカラオケ店に集まっていた。
薄暗い室内で、男女が上手くもない歌を歌ってバカ騒ぎしている。
「ヒマそうにしてたから連れてきちゃった」
「菅原先輩、最高ー!」
菅原の調子のいい言葉に、村主は目を輝かせ喜んでいる。
すべての言葉を無視しながらソファ席に座ると、村主がすぐに隣の席に移動してきた。
「瀬名先輩っ、何飲む?」
「うわ、酒くさ。お前それ以上脳細胞死んだらどうすんの? 卒業できんの?」
「できるし! いざとなったら金の力で解決するし」
村主の家は代々医者の家系で、村主もその道を期待されていたが、今の様子を見ると医療系の進路には興味ない様子だ。
村主の抱きつきを右腕でガードしながらスマホをいじっていると、左隣に岡部が座ってきた。
「類、久々じゃん。なんか歌いなよ」
岡部にデンモクを渡されたが、俺は「いい」と一言冷たく返す。
彼女は不服そうな顔をして、俺の腕部分の服を引っ張った。
「ねぇ、この前のことまだ怒ってる? ごめんって。もう絡んだりしないから」
「え、この前のことってなんですか? 岡部先輩と瀬名先輩、ケンカしたんですか?」
「村主うるさいよ? なんでも話入ってくんなー?」
ただただ、雑音欲しさにこの場所に来てしまった。
桜木のことを考えると、心臓が痛くなって、苦しいから。
大切なものなんてないほうがいいに決まっている。
刹那的な人付き合いの方が楽だってこと、この部屋にいる奴らも皆知っているはずだ。
頬杖を突きながら、部屋の中で爆音で流れる音楽を聴いていると、村主が俺に抱き着いてきた。
「瀬名先輩! この前の告白どう思ってるの? ちゃんと考えてくれてる?」
「いや、もう秒で答えただろあのとき」
「じゃあ私と付き合わなくていいから、一生誰とも付き合わないで! 誰のことも好きにならないでね?」
村主の言葉に、岡部が失笑気味に「出たよ村主のメンヘラ」とつぶやいた。
周りの連中も笑いながらその様子を見て茶々を入れてくる。
どうしてこいつは、当たり前のように人に好きだと言えるんだろう。
そして、自分のことを好きだと言って欲しがるのだろう。
村主が本気で俺を好きじゃないことも、ほかに男が何人もいることもとっくに知っているし、そこに関してなんの感情もない。
でも今の俺には、『桜木のことを考えすぎない』ための“雑音”が必要だ。
「……え、瀬名先輩、じっと見つめてどうしたの?」
村主の顔を見つめながらそんなことを考えていると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
……俺には、この無意味な感情だらけの人間と一緒にいるほうが、性に合っている。
祖父が言う、『人と違うからどんな人間と付き合っていくのか、ちゃんと見極めろ』という忠告の意味は、俺だって十分分かってるんだ。
桜木は些細なことで傷つくことができる人間だ。だから、俺みたいな人間が近づきすぎて壊したらいけない。
村主のように、一時の感情に左右されている人間との付き合いの方が、ずっとずっと気が楽だ。
「村主、俺と付き合う?」
「……え!? なに、嘘だ!」
「嘘だけど」
「はー!? なにそれ!」
村主は目を丸くして驚き飛び跳ねてから、俺の「嘘だけど」というたった言葉で怒りを爆発させた。こんなにも感情の起伏が激しい瞬間をはじめて見た。
岡部はそんな村主を見て手を叩いて笑っている。
「類、これ以上村主のメンヘラこじらせさせないでよー」
騒ぎを聞きつけて菅原もそばにやってきたが、村主は俺への怒りをなぜか菅原にぶつけてタックルしていた。
俺は無表情のまま、なぜあんなことを口走って、すぐに訂正してのか分からないでいた。
……本当に付き合ってもいいかと思って、気づいたら投げやり的に言葉が出ていたのだ。
桜木に惑わされている自分が嫌で、面倒で、村主と付き合ったらこの気持ちがまぎれると思ったのだ。村主を利用したら、あの苦しい痛みを、忘れられると思ったのだ。
だけど……、なぜか桜木の怒った顔が頭に浮かんで、いつか言われたセリフが降ってきたんだ。
『……瀬名先輩、村主さんの痛みは感じ取れないんですか』
……あのとき、アイツは悲しそうな顔をしていた。
俺が不用意に人を傷つけたりしたら、たぶんアイツは怒るだろう。俺のことを嫌いになるだろう。
そう思うと、もっともっと胸が痛くなって、瞬間的に自分の言葉を訂正していた。
村主が、あまりにも嬉しそうな顔をしたから。
今までの俺だったら、そんな笑顔がいつか壊れようとも、どうとも思っていなかったはずなのに。
「瀬名先輩のバカ! 私のぬか喜び返せ! もう、暴れてやる」
村主は怒りながらそう叫ぶと、友人の膝の上にダイブして犬のように転がって大暴れした。
誰かが失恋ソングを歌い始めて、村主を巻き込み騒ぎ始める。
下手糞なタンバリンの音が鼓膜を刺激し、チープなミュージックビデオが流れ続ける。
このまますべて忘れられそうなほどの喧騒に包まれていたのに、映像の中に遊園地が出てきて、ただそれだけで心臓がぎゅっと苦しくなった。
雪の中、俺を待ってくれていたアイツの姿が、ろうそくの火のように胸の中で灯っていた。
〇
『今日は三階の視聴覚室集合』とメッセージを送った。
遊園地での大遅刻をきっかけに、今さら桜木とメッセージアプリのIDを共有した。
桜木は数分経ってから怯えた様子のくまのスタンプを返してきて、そのスタンプがあまりに彼女に似ていて少し笑った。
ホームルームが終わったと同時に、俺はカバンに少ない荷物を詰め込んで立ちあがる。
すると、そのタイミングでスマホがポケットの中で震えた。……村主からだった。
『瀬名先輩、今日もカラオケ行こう』。
俺は片手で『今日は無理』とサクッと返してから視聴覚室へと向かう。
村主たちと会うのは、桜木と会ったあとの夜でもいい。
桜木の存在が大きくなり過ぎないように、掻き消すためだけに会えればいい。
こんなの、ただ記憶を繋げるためだけに、村主たちを利用しているだけだって、分かっている。
教師にバレないように、普段から人気の少ない視聴覚室に入ると、真っ黒いカーテンが教室全体を覆っていた。
ドアの小窓も小さなカーテンで覆われているため、外からも中の様子は見えない。
俺は足元をスマホのライトで照らしながら中へ進むと、女性の足が急に目の前に現れた。
一瞬びっくりしたが、俺はゆっくりその足を辿って光を上に向けていく。
「マジで幽霊かと思ったわ……」
「電気の場所分からなくて」
「スマホでかざせば分かんだろ」
目の前にいたのは、呼び出していた桜木だった。
彼女と会うのは遊園地で抱き締めた以来だったので、少し気恥しかったが、そんな感情も吹き飛ぶくらいの登場の仕方だ。
「今日の記憶のリハビリはなんですか?」
「ああ、そうそう。今日は電気つけなくていい。暗いほうが見えやすいから」
俺はテレビの前にあるプロジェクターと、自分のスマホをコードで繋ぎ、スマホから動画を流した。
何をやろうとしているのか察した桜木は、珍しく目をキラキラと輝かせて「もしかして、教室映画館ですか」と問いかけてきた。
不意打ちで明るい表情を見せられた俺は、一瞬動きが止まってしまった。
……驚いた。こんな表情もするのか。もしかして、映画も好きなのだろうか。
「いつかこうやって大画面で、好きな古い映画観てみたいと思ってたんです」
「お前が好きな映画かどうかは知らんけどな」
「た、たしかに……。なに流すんですか?」
「ホラー映画」
「え……」
「耳塞いだり、目閉じたりしたらノートのことバラすからな」
さっきのはしゃぎようから一転して、今度は顔を青ざめさせている桜木。
こんなにからかいようがあると、次々にイジメたくなるな。
俺は、お気に入りのホラー映画監督の最新作を再生すると、テレビの前にあぐらを掻いて座った。桜木は俺の隣で立ったまま固まっている。
「私……、本当に無理です。怖いの苦手なんです。本当に」
「大丈夫、全然怖くねぇからこれ」
「怖いの好きな人が言っても説得力ゼロなんですよ!」
「うるせぇな。はやく座れって」
桜木の腕を無理やり引っ張って座らせると、彼女はバランスを崩して俺の膝の上に倒れ込んだ。
桜木は慌てて立ち上がろうとしたが、俺は彼女の頭を胸に押さえつける。
……ほとんど何も考えずに、体が動いてしまった。
桜木のことになると、頭より先に体が動くのはなんでだ。
俺は戸惑う彼女を抱き寄せながら、つぶやいた。
「怖いならこうしてればいい」
「え……? あ、あの……」
「ほら、始まんぞ」
不気味に響くヴァイオリンの音楽とともに、ホラー映画が始まった。
青白い光が、性格も何もかも正反対な俺たちを照らしていく。
桜木は俺の行動に驚き硬直しながらも、怖いシーンが来るたびに俺の服をギュッと掴んだ。
こんなに怖がっているのに、律義に俺の言いつけを守ってちゃんと目を開けて頑張っている様子が笑える。
「な、なに笑ってんですか……?」
「こっち見んな」
「ていうか、案外瀬名先輩も怖いんじゃないですか。心臓ドキドキ言ってますけど」
「は? お前の音だろ」
「えぇ……、そんなはず……うわっ! 首飛んだ!」
俺の腕の中で怖がったり騒いだりしている様子がおかしくて、愛おしい。
なぜだろう。何も悲しくないのに、また胸が痛い。苦しい。
桜木の存在が、自分の中でどんどん大きくなっていく。
頼む、これ以上、大きくならないでくれ。
俺はまだ、お前のこと、忘れたくねぇよ。
今まで、こんなふうに思ったことはなかった。
自分でも気づかぬうちに大切な人はできていたのかもしれないけれど、忘れたくないと思うことなんてなかった。
全部を、諦めて生きていたから。
だけど、今腕の中にある桜木の体温も、今一緒に観ている映画も、今までのこと全部無かったことになるなんて、考えたくもない。
……忘れたくない。忘れない。
そう思った瞬間、俺はポケットからスマホを取り出して、フラッシュをオンにした状態で怖がっている桜木を撮った。
「ぎゃー! 何!? 何したんですか今」
突然頭上から降ってきたシャッター音に、桜木はホラー映画を観ていたせいもあって、悲鳴を上げた。
「いや、ホラー映画観ながら写真撮ると、心霊写真になるって聞いたことあったからお前で試しただけだ。気にすんな」
「めちゃくちゃ気にしますけど……」
つむじが撮れただけで、写真はブレブレだし、全然映りもよくない。
だけど、俺はその写真を、今日から毎日SNSに撮りだめていくことを決めた。
いつか村主にごり押しされて、アカウントを作らされたものの、面倒になり誰にも教えていなかったSNSアプリに、俺はその写真をぽんと投稿した。
忘れないように、コメントも添えて。
『視聴覚室、映画鑑賞。怖がり過ぎなアイツ』。
文章は、ただのメモのような一文。
こんなことに意味があるかどうかはまったく分からないけれど、忘れたときに思い出す手掛かりになるかもしれない。
俺はこの日はじめて、自分の記憶障害に本気で抗おうとしたのだった。
そんな決意もつゆ知らず、桜木は口を両手で覆ってホラー映画を必死で観ていた。