岡部と菅原の声が雑音にしか聞こえなくなっていた。
 そのとき、ふと顔をあげると、廊下の先に俯きながら歩く桜木を偶然見つけた。購買に向かったあとだったのか、手にパンを持っている。
 相変わらずその表情は暗く、近寄りがたい空気を自ら生み出している。
 笑ったら結構かわいい顔してるんじゃないか、なんて、何を血迷ったのか最近そんなふうに思うようになってしまった。
 そういえば俺、アイツの笑った顔、一回も見たことねぇな。いつも見てるのは、怯えてる顔か、焦ってる顔だけだ。
 俺は何も話しかけずに、ただ廊下の隅を静かに歩く桜木を見つめていると、俺の視線の先を追った岡部が話しかけてきた。
「あ、アイツ? 桜木とかってやつ。超暗いよね。同じ学年の妹が、座敷童って呼んでた」
「……聞いてねぇこと勝手に話してくんな」
 思わず苛立ち、無表情のままそう言い捨てると、岡部もさすがにカチンと来た様子で言葉を続ける。
「何ムキになってんの? もしかして村主が言ってた女子って、桜木のこと?」
「え、マジで類? 地味専だったわけ? ウケる」
「お前らだるいよ。質問してくんな。もう今日帰るわ」
 岡部たちと桜木を接触させたくなくて、その場を立ち去りこの話題をなかったことにしようとすると、突然岡部が廊下で大声を出した。
「ねぇー、桜木っ」
 岡部の若干ドスの効いた声に、その場にいた数人の生徒がザワつく。
 なんだこいつ、何がしたいんだ。
 桜木はとくに反応もせずに俯いたまま立ち止まり、低い声で「はい」と返事をした。
「最近、類と仲いいって本当?」
 岡部に肩を掴まれ、桜木の髪が一瞬頼りなく揺れる。
 俺はすぐに岡部の腕を掴んで、桜木から引き離したが、岡部は話を続ける。
「だったら、私たちとも仲よくしてね。私、類の友達だから。よろしくね?」
「誰が友達だよ。桜木に話しかけんな」
「なんなの、普通にお話ししてるだけじゃん」
 桜木は何も言わずにうなずくと、すっと俺たちをすり抜けて、立ち去っていった。
 岡部はとくに追いかける様子もなく、その様子を見つめている。
 ザワついた生徒たちが、不安げな視線をこちらに寄せている。
 俺はこれ以上騒ぎ立てたくなくて、黙って岡部のことを睨みつけていた。
 菅原は俺たちの顔を交互に見ながら「なんか気まずい空気な感じ?」と笑っている。