5月14日の面会日、良太は両親と千鶴そして忠之を迎えた。両親とは4ヶ月ぶりの、忠之とは半年ぶりの再会だった。
 良太が航空士官を目指していることに、両親は強い不安を抱いているはずだった。その不安を少しでも和らげるために、良太は意識して快活にしゃべり、俊敏にふるまった。
 良太の姿が母親の眼にはどのように映ったのか、「元気でええけども、あんまし、無理はしぇん方がいいからな」と言った。
 父親が言った。「お前に軍服がこげに似合うとは思わなかった。たいしたもんだ」
 忠之がトランクをあけ、5人で食うには充分な握り飯や、お茶が入ったびんなどをとり出した。
「出雲のお米をいただいたのよ、それもたくさん」と千鶴が言った。「今朝はね、良太さんのお母さんにお願いして、お握りを作るのを手伝っていただいたの。お母さんがお作りになったのは丸い形のおにぎり」
「懐かしいな、この形が」と良太は言った。「昔の遠足を思い出すよ」
「遠足のときに良太さんが忘れたおにぎりのこと、今朝おにぎりを作りながら、お母さんからも聞いたわ」
 良太はその情景を思いうかべた。母と千鶴がならんで握り飯を作っている。千鶴が忠之から聞かされた遠足のことを話題にし、それに応じて、母が良太の子供の頃のことを話して聞かせる。両親が浅井家に泊まることになって、ほんとうに良かった、と良太は思った。
「わかめのついたこの握り飯、遠足のときの一番の楽しみだった」
「わかめは竹下の叔父さんからもらったよ。叔父さんも元気だけん、まだ自分でわかめが採れーげな」
「あのね、良太さん、今日のお弁当には、出雲の材料がたくさん入ってるのよ。お米とわかめに卵など」と千鶴が言った。
 とりとめのない話題に興じるうちに時間は過ぎて、面会はおわりに近づいた。写真を撮ることになり、忠之がトランクからカメラをとりだした。千鶴の祖父から借りた旧式のカメラだった。
 写真を撮りおえて間もなく、その日の貴重な面会は終わった。
 大きな満足感を残した一日が終ろうとするその夜、良太は三日ぶりの日記をつけた。
〈………父母上は俺の飛行科配属に不安があるはずだが、そのことをひと言も口にされなかった。仲間たちの明るい雰囲気が、不安を多少は和らげたであろう。俺もまた意識して明るく振る舞い、俊敏な言動をなすべく努めたのであったが。
 父上と母上は今夜も浅井家に宿泊し、明日は初めての東京を見物してから、夕方の汽車にて出雲に帰るとのこと。千鶴は明日の勤労奉仕を休んで、父母上につき合ってくれるとのこと。両親と千鶴にこのような機会が訪れたことに感謝したい。両親の千鶴に向ける眼差には優しさがこもっていた。命永らえて戦争が終われば千鶴は俺の妻になる。これが空想に終わることなきよう、願いかつ努めねばならない。
 ここでの教育も余すところは十日。暗い気分に襲われることも多く、我々はこの航空隊をドノウラと呼んだが、分隊長や分隊士たちにはやはり感謝すべきであろう。理不尽とも言える修正を幾度も受けたし、受け入れがたい精神教育もされたが、分隊士には学徒出身の予備士官も多く、我々を教育するために全力を尽くしてくれた。いずれにしても俺はここを離れて、操縦専修の飛行学生としての訓練を受ける身となる。………〉

 5月25日の朝、基礎教程の修了式が行なわれ、予備学生たちはそれぞれの訓練地へ向った。良太は飛行訓練をうけるために、土浦に近い谷田部航空隊に移った。
 それから間もなく、良太は赤トンボと称される練習機にはじめて乗った。良太は前席に乗せられ、操縦はうしろの席に乗った教官によっておこなわれた。本格的な訓練に先だっておこなわれる体験飛行であって、それは慣熟飛行と称された。二日にわたって慣熟飛行がおこなわれたあと、本格的な飛行訓練が始まった。
谷田部でのあわただしい一週間が過ぎて6月2日になった。千鶴の誕生日であるその日の夜、千鶴との約束をはたすために、良太は布袋から藤村の詩集をとりだした。
 歌集をひらいている千鶴を想いつつ、良太は詩集に記された千鶴の言葉を読んだ。