苛烈な訓練と教育の合間に、良太たちは適性検査をくりかえし受けさせられた。検査がひとつ終わるたびに、良太は操縦員への道に近づいた。
 土浦航空隊での基礎教程では、異性との通信を禁じられていたので、千鶴へのハガキは祖父あてに出した。千鶴からのハガキは差出人が祖父の名前になり、その文字は忠之の代筆だった。ものたりなくはあっても、それに代わる手段はなかった。
 3月26日になってようやく、良太たちは初めての外出を許されたが、行動範囲は土浦周辺に限られていた。
 その夜、良太は日記をつけた。
〈土浦航空隊で初めての上陸。海軍とはいえ陸上にある航空隊だが、それでも隊の外に出ることを上陸と称す。
 海軍士官の体面を僅かであっても傷つけてはならぬとばかりに、身なりを徹底的に検査されてから町へ向かう。航空隊支給になる弁当の白い包を腰に、同班の仲間たちと連れだって歩く。町につくなり土浦館に立ち寄り、安藤や佐山たちとしばし歓談。〉
 良太はペンをとめた。土浦館を出てからの行動を記すわけにはいかなかった。
 良太は次の上陸日を利用して、ひそかに千鶴と会うつもりだった。そのためには町の様子を調べておかねばならない。良太は仲間たちと別れて、あちこちに予備学生が見られる町を歩いた。
 古本屋に入ってみると、老人が店番をしていた。良太が店にいた30分ほどの間に、入ってきた客はたったひとりで、まだ名前を知らない他分隊の予備学生だった。
 良太は文庫本を一冊だけ買って店を出た。
 本屋の横に狭い道があった。付近の住民しか歩きそうにないその道をたどると、いきなり国民学校の前にでた。良太は誰もいない日曜日の校庭を見て、ここでなら千鶴と話し合うことができそうだと思った。校庭を通りぬけて校舎の横から裏にまわると、枯れた草花が放置されたままの花壇があり、さらに進むと人目から完全に隠される場所が見つかった。古本屋と学校をうまく利用すれば、千鶴との逢瀬を楽しめそうだった。
 良太はノートにペンをおろした。
〈ひとりで町を散策す。古本屋に立ち寄ったあと土浦館にもどり、お茶を飲みながら航空隊支給になる弁当を食う。故郷に送る写真をとりたいという小林につき合って、相澤や園山も一緒に写真屋に行き、軍服姿の写真をとった。〉
 良太は日記を書きおえると、忠之と千鶴の祖父にそれぞれハガキを書いて、次の予定外出日が4月2日の日曜日であることを知らせた。その2枚のハガキが良太の計画を伝えるはずだった。

 3月31日の夜、千鶴は書斎で日記をつけた。
〈………あさってになれば良太さんに会える。東京に近い土浦に移られたので期待していたけれど、二ヶ月待ってようやく会えることになった。もうすぐ良太さんの誕生日だから、良太さんに喜んでもらえる食べ物を持って行き、一緒にお祝いをしたい。〉
祖父と忠之に届いたハガキを読みくらべたら、良太の意図していることがすぐにわかった。古本屋の場所は大まかにしか示されていなかったが、土浦の町を歩けばすぐに見つかりそうに思えた。
 良太の工夫がこめられた2枚のハガキを手にしていると、それまでに受け取ったハガキをすべて読みなおしたくなった。
 千鶴は10枚ほどのハガキを机のうえにならべた。出せるハガキの枚数には制限があるということで、土浦から送られてきたハガキはまだ4枚だけであり、しかも宛て名は祖父の名前になっていた。
 舞鶴からとどいた賀状を見ると、思わず笑いがこみあげた。千鶴は声に出して読んだ。「いつも心の中でチーズとパイナップルを食っている」
 千鶴はハガキの絵を見ながら、あの夏の日を思い返した。この部屋でパイナップルを食べながら話し合い、そして口付をした日だ。暑かったあの日が懐かしい。
 千鶴は読み終えたハガキを机にしまい、心のうちで良太に告げた。「私も心の中でいつも良太さんと口付けをしています」