良太は1月29日に土浦航空隊に到着し、各地の海兵団から集まってきた三千余名の仲間とともに、2月1日の入隊式にのぞんだ。
 その日をもって第十四期飛行科予備学生となった良太は、支給された海軍士官の第一種軍装に身をかため、腰には短剣をつっていた。舞鶴での水兵服姿とはあまりにも異なる身なりであった。
 その夜、良太は日記をつけた。
〈土浦航空隊の入隊式。予備学生として海軍士官の正装にて参列。式が終わったら直ちに訓練開始。ここでの訓練は苛烈なものと予想される。
 我ながら意外に思うこと、それは第一種軍装にて整列しているときに満足感を覚えたことである。当分の間は通信が許されぬゆえ誰にも知らせ得ないが、俺が海軍士官への道に入ったことを家族の者はむろん千鶴や忠之はどう思うだろうか。〉
 士官に対する憧を抱かなかった俺だが、軍に身をおくことになったからには士官になりたい。家族や千鶴はむろん喜ぶはずだ。士官になれば兵士と比較して待遇面に大きな違いがあるだけでなく、多少なりとも納得できる役割をはたせそうな気がする。とはいえ俺が目指すのは飛行科の士官だ。飛行科とわかれば家族や千鶴は喜ぶどころか不安におそわれるだろう。心の底に不安を抱えている俺だが、入隊式に臨んだときには満足感を覚えた。海軍士官の制服を着た姿を、家族や千鶴に見せたいと思った。俺には未熟で子供っぽいところがあるのかも知れない。
 良太はふたたびペンをとり、数行の文章を書き加えてからノートを閉じた。

 飛行科将校育成の基礎教程は、本来ならば半年間を要す課程であったが、第十四期予備学生に対しては、期間を短縮して過密教育を施し、4カ月で修了すべく計画されていた。教育内容は肉体的な訓練と座学と称される学科であった。学科は理系に関わるものが多く、気象学や物理学さらには飛行理論や力学など、良太には不得手とするものばかりであったが、必死で学んでいるうちに知識が身についてきた。誰もが必死で学ばざるをえなかった。座学の教習に続いて行われる試験の成績によっては、もとの水兵にもどされるおそれがあった。
 2月20日の日曜日、夜の温習時間に良太は日記をつけた。
〈日曜日課。一週間毎に与えられる貴重な一日を、身の回りの整理と読書に費やす。
 同班の相沢と雑談していると彼曰く。ここに来てから俺たちの眼つきが変わってきたとは思わぬか。貴様の眼もえらく鋭くなってきている。確かに俺たちは学生時代の名残を急速に捨てつつある。言動が俊敏になっただけでなく、表情も変わってきている。
 終日を緊張のままに過ごし、命令には瞬時に反応。周囲に気をくばり、身のこなしにも一瞬たりとも気を抜いてはならぬ。かくのごとくあれば学生気分も抜けようというものだが、昨日の課業整列時、上空の練習機に眼を向けたことを見とがめられ、分隊士からきつい修正を一発。分隊士からの指導。お前は搭乗員の直接指揮官となる身である。空中戦では一瞬の油断が、お前のみならず部下の命をも奪うことになる。部下の信頼を得るために、いかなる場合に於いても将校としての態度を保つべし。確かにその通りである。頬には昨日の修正の痛みが残るが、分隊士からの戒めとして、この痛みを噛みしめるとしよう。〉
 予備学生たちは、修正と称される鉄拳制裁をしばしば受けた。軍人としてあるべき姿に修正するためのものとされたが、良太には承服できない場合が多かった。
 良太は久しぶりの長い日記を書きおえた。日課と試験に追われる日々が続くと、日記をつけようとする意欲が低下し、数行しか記さない日も珍しくなかった。