出会いのことは極力考えないようにしている。出会いを思い出そうとすると靄がかかったように何も浮かばなくなるから。
 良かったのか悪かったのかさえ浮かばないだなんて、それほどに印象が薄かったのだ、須田という男は。

「悪い、待たせた」
「待ってない。ゲームしてたし」

 カランカランと入り口が開いて来客を告げたのを聞いていた、し、ちらりと見たので来たこともわかっていた。
 そっけなく返すと、さも残念そうに呆れたように肩を落とすのを、ちらりと盗みみる。近頃分かってきたのだが、そう言うの、ちょっと嬉しい。

「ですか。何か飲む?」
「ロイヤルミルクティー」
「おおせのままに」

 待ち合わせは珍しく駅の近く、けれど路地を一本奥に入った場所にある喫茶店。
 普段はこんな場所は選ばないしファストフード店やファミレスも全然ありだ。
 今日は今後について話し合いたいと、適当に相談でもあるようなことを言ってこんな場所を選んだ。入ったことのない店というわけではなかったけれど、どうにも場違いな気がして須田が居ないと入れない店である。彼は一人でよく利用しているのだと言うけれど。
 この店は喫茶店でありメニューもそれなりに充実しているが、ウェイトレスやウェイターといった給仕は居ない。オーダーはカウンターの中に居る店主に声を掛けて、水をその時に貰って席に戻る、という一風変わったもの。
 その後出来上がったものは店主が直々に各テーブルへ運んでくれるのだけれど、店主はたとえ店が混んでいてもオーダーを取り違えたりしない。その原理はどう言ったものか、たった数回来ただけの私には解らなかった。メニューのメモは出来ても客の容姿はてんでバラバラだ。誰が何を頼もうと構わないがサラリーマン風のスーツの男性がクリームソーダを頼んでいたこともあり、それはあまりに違和感があって店主が手にしていたのを目で追ってしまったのだ。すごい記憶力の持ち主なのかもしれない、としかいえない。
 オーダーを通して戻ってきた須田が、腕に掛けていた上着をソファー席に置きその横に座る。私がテーブルを挟んだ向かい側、アンティークの椅子に腰かけて足を組んでいるのを見て少し顔を顰めて一言。

「相川、あんまりその姿勢続けると身体歪む」
「ずっとしてるわけじゃないってば」
「ならいいけど」
「それよりも」

 組んでいた足を解いて、テーブルに手をついてずいっと身を乗り出す。須田が、うっ? と驚いた様子で身を引いた。何勘違いしてんのよ、何もしない。まだ。

「私と須田って、今どういうカンケイなの」
「……は?」
「べ、別に疑ってるとかじゃなくてその、確認よ。都合のいい夢をみてるのかもって思ったらちょっと心配になっただけ!」
「んー、どうなんだろう?」

 須田は少しだけ口の端を上げながら、悩むように腕を組んでうんうんと唸った。
 これは完全に遊ばれてる奴だな、と思いながら返事を待つ。疑問形じゃなくてはっきりとした答えが欲しい。
 例えば、付き合ってる、とか。彼氏彼女、とか。

「どうなの」

 ひとしきり悩んだ後、須田はぱっちりと目を開けた。組んだ腕を解いてテーブルに置かれ汗をかいた水と氷の入ったグラスに手を伸ばした。引き寄せて、今思い出しましたと言わんばかりのワザとらしい態度で言う。

「相川が思うカンケイ? でいいと思う」
「……」

 このやろう、と口をとがらせて零せば彼は場所に合わせた様に抑えながらカラカラと笑った。
 意地悪もしてくるし、からかいもする。私のことなら何でも知っていて、欲しい言葉や態度、行動をいつだってこっちから言わなくてもくれるのが、須田。
 ねぇ須田。あんたは私の事、たくさん知ってるかもしれないけど、私はきっとこれからたくさん知っていかなきゃなんだよ。それは今まで、全然須田の事をみようともしなかった、私が悪いのだけれど。

「じゃあ、私の思うように思ってるからね」
「どうぞ」
「ぐぅ」
「相川はほんと、かわいいのな」

 テーブルに両肘をついて拗ねて唸れば、須田はまだ余裕たっぷりといった様子で軽くあしらいながら、ちょっとばかりのご機嫌取りにか空いている方の手を伸ばしてふわりと頭を撫でる。
 軽くあしらいながらも、須田は前より随分と構ってだの気に掛けて欲しいだのという雰囲気を出すようになった。そうして、私の心の隙間に何かを引っ掛けていくのだ。まんまと罠にはまっている気がしないでもない。だってその上少し、心配性なのだ。
 でも表情は以前よりもいっそう柔らかいと思う。そう思うのは、想いが通じ合ったっていうフィルターがあるからだろうか。
 ぷっくりと頬を膨らませると、スッと入れ替わるように伸びてきたもう片方の指にツンツンとつつかれる。冷たいグラスに触れていた指は冷えていて私はぴゃっと驚いて口を開きためていた空気を出してしまった。

「ひろみ」
「……なに」
「ごめん。なんかちょっとまだ実感わかない。俺も都合のいい夢を見てるのかも。目が覚めたらきっと、寂しいだろうな」

 なー、と須田が目を細めて同意を求める。そう云う所がズルいって、そう思いながら私はうん、と小さく頷いて自分と同時に彼を喜ばせる。
 今まで誰彼と付き合ってきた中で、こんなに穏やかに幸せだと思えたことがあっただろうか、と幸せを噛み締めるのだった。