Notaにて。夏休みが終わったことにより、学生の来店者がいなくなった分、アリスは暇を持て余していた。
「暇ね…」
 今日の来店者はまだ2組のみだ。ケーキや焼き菓子を補充する必要もない。
 こんな時に限ってノエルやアルバはやってこない。話し相手もいないので、退屈で仕方がない。
「やっぱり、この時間はどうしてもお客様がいらっしゃらないわね」
 ちらりと壁にかけてある時計に目を向け、彼女はショーケースに頬杖をつきながら、小さなため息をつく。
「…そうだわ。少しの間だけ、佳乃の高校を覗きに行ってみましょう」
 誰に聞かせるわけでもなく、アリスは1人独り言ちる。一度店の奥へいって「close」の看板をかけにいく。
 店内に戻ってきて、ポフンッという軽い音を立てて、彼女は本来の猫の姿へと戻る。
「では、行きましょう」
 気分良さげに、アリスは裏口から外へ出た。


大学の講義を書き終え、カフェテリアの窓辺に座ってアイスコーヒーを飲んでいた蒼は、後ろから軽い衝撃を受け危うくコーヒーをこぼしかけた。
 さすがに腹が立って不満そうに眉を寄せながら振り向くと、高校時代からの友人である瀬野裕也|《せのゆうや》が、まるで悪びれていないような笑みで立っていた。
「よっ!」
「よっ!じゃないよ。危うくコーヒーこぼしかけたんだけど」
 そう言われて、蒼の手元に視線を投げる。そして、ごく自然に隣に座った。
「あちゃー、ごめんな。知らなかったんだよ。にしても、相変わらずお前見つけやすくて助かるわー。大体女子が群がってるところ、もしくは女子の視線が集まっている場所にいるもんだから」
 ケラケラと面白そうに笑う裕也に、彼はうんざりと顔を歪める。
「僕としては嬉しくはないんだけどね。ずっと視線が付き纏ってて、鬱陶しい」
 深いため息をつく友人に、彼は苦笑した。相変わらずのめんどくさがり屋だ。
「そう言うなよ。ほかの男からすれば、お前のその悩みは羨望の極みだぞ」
「じゃあ交換してみる?運が良ければストーカーとかにもあうけど」
 にっこりと爽やかに笑う蒼に、今度は裕也が顔を歪める。
「それは遠慮するわ」
「薄情な奴。でも君のそう言うところが好きだよ」
 呆れたように肩を竦める蒼に、だろ?と裕也は返す。
「どうだった?夏休みは。なんか変わったこととかあったか?」
 それに、少し考えた末に蒼は小さくうなずいた。その反応に、裕也は面白そうに目を輝かせる。
「お、なになに?」
「うん。面白い子に会ったんだ。表情がすごく豊かで、コロコロと変わる。素直で、礼儀正しいんだよ」
 その口ぶりに、彼は驚いたように目を瞬かせる。
「え、それってもしや女子?」
「うん、そうだね」
 これは驚いた。高校時代「女なんてめんどくさい、所詮は自分の顔目当てに言い寄ってくる存在だ」と言い張っていた蒼が。
「お前も成長したなぁ…」
 まるで久々に会った親戚の年寄りかの言い方に、彼は目をすがめる。
「君は一体、僕の何なんだよ。真剣に聞く気がないなら、もう話さないけど」
「あ、それは勘弁。ちゃんと聞かせていただきます」
 わざとらしく耳に手を当ててくる裕也に呆れながら、彼は再び口を開く。
「…用事があって出かけてる途中で、その子が熱中症で目の前で倒れたんだよ」
 少しずつポツポツと始めた蒼の話を、今度こそ裕也は静かに聞く。
 話し終えたところで、彼は蒼の肩にぽんと手を置いた。当然、葵は不思議そうに首をかしげる。
「なに?」
「いや、うん。まず、オレはお前が用事があるというのに他人を助けたことにびっくりしている」
 初っ端からとても失礼なことを言ってのけた友人に、彼はにっこりと笑った。
「今までありがとう。君という貴重なの友人を失うことになって、僕は悲しいよ」
 そう言って立ち上がりそのまま立ち去っていこうとした蒼を、裕也は慌てて引き止める。
「いやいやいや、待て待て。というか、その言い方じゃ全く悲しそうじゃなさそうだぞ?オレの方が悲しいくらいだわ。って、そうじゃなくて。いったん話を聞けよ」
 1人でノリツッコミを終えて、彼は深呼吸をする。蒼は、仕方なくもう一度席についた。
「言っておくけど、いくら僕でも目の前で人が倒れたら普通に助けるからね?そこまで冷酷な人間じゃないよ。心外だな」
 ひどく不満そうに眉根を寄せる蒼に、たしかにと裕也はうなずく。もしも彼がそこまで冷たい人間だったなら、自分はすでに彼と共にいない。
「よし、悪かった。さっきの言葉は撤回しよう」
「当然」
 気を取り直すように、裕也は咳払いを一つした。
「蒼、その子といると楽しいんだよな?」
「楽しいというか、面白い、かな」
 ふむふむとうなずき、どこからともなく取り出した紙とペンにそれをさらさらと書いていく。
 それからいくつかの質疑応答を終えて、裕也は自信満々に、人差し指をピンと立てる。
「ずばり、それはお前がその子のことが気になっているということだ」
 それに、蒼は呆れたようにため息をこぼす。
「だから、そういうのじゃないって言ってるでしょ。あくまでも面白い子だな、って思ってるだけ」
「でも、お前今までそんなふうに思うような子いなかったろ?気になってることは違いない」
「ああいえばこういう」
「でも、事実だろ?」
 それに、彼は押し黙る。たしかに、今まで異性に対してこんな風に感じることはなかったことは事実だ。
 そのまま沈黙する蒼に、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「そこを踏まえてよく考えてみるんだな。きっとその子はお前を変える運命の相手に違いない」
 なぜそんな根拠のないことを断言できるのか。
 甚だ疑問に思って、想像力豊かな友人にため息をついた。
 

  佳乃の通う高校まで無事にたどり着いた猫姿のアリスは、フェンス越しに学校を見上げる。
(なるほど。ここが佳乃が通っている高校ね)
 流石にこんな場所でこの姿のままで声を出すのはリスクが高いので、心の中で呟く。
 周りを見渡してみると、ちょうど教室がのぞけそうな木が生えていたので、助走をつけてそれに飛び乗る。
(佳乃はいるかしら)
 木の上から見える範囲だけで、佳乃のいる教室を探していく。
 少しして、佳乃らしき人物を見つけた。教師の話をきちんと背筋を伸ばして聞いている。
(ふふ、あの子は真面目ね。ほかの同じクラスの子たちはあまり聴いていないようなのに)
 彼女以外の人々を見てみても、大きく分けて机に突っ伏しているか、机の下で端末をいじっているかの二手に分かれている。
 やがて、学校全体からチャイムが鳴った。音が大きくて思わずびくりと体を震わせる。猫は耳がいいのだ。
 再び佳乃のいる教室へと意識を戻すと、担任に礼をして帰り支度をしていた。そういえば、今日は学校再開初日なので半日で済むと言っていた。だが、サッカー部の軽いミーティングがあるらしい。それが終わったら店に顔を出すと言っていたので、佳乃はこれからサッカー部だ。
(そうだわ。どうせならあの子の部活も覗いていきましょう)
 どうせまだ店が混む時間には余裕がある。それくらいなら平気だろう。
 そう考えて、アリスは音を立てずに静かに地面に着地した。


 ホームルームを終えた佳乃は、荷物を持って隣の教室へと足を運んだ。
「友紀ちゃん〜」
「はぁい〜」
 のんびりと返事をするのは、中学からの友人である浅黄友紀だ。おっとりとした性格をしていて、佳乃の一番仲の良い友人である。彼女も同じサッカー部のマネージャーをしているので、事前にこれから向かうサッカー部のミーティングに一緒に行こうと話していたのだ。
「お待たせ。行こ〜」
 にこにこと朗らかに笑う友紀うなずいて、2人はサッカー部の部室に向かった。


 ミーティングを終えた佳乃は、途中まで一緒に帰っていた友紀と別れ店への道のりを歩いていく。
 その途中で、何だか見覚えのある艶やかな黒猫が、木の上から降りてきた。
「わ!」
「にゃー」
 まさかと思いつつも、佳乃はその場でしゃがみ込み、自分を見上げる青い目をした黒猫に視線を合わせる。
「アリスさん、ですよね?」
 それに、やはり黒猫は返事をする様に一鳴きした。
 聞きたいことはいくつかあるが、この場で話していてはおかしな人に思われてしまう。ひとまずアリスのことをそっと腕に抱いて、店への足を早めた。


 店に着いた瞬間に、アリスを下ろし、佳乃は首をかしげる。
「アリスさん、外に出ている間お店はどうしたんですか?」
 ノエルが店番をしているのかと思っていたら、誰もいない。一番気になったのはそこだった。
「closeの看板をかけておいたわ。さっき入ってくる時見えなかった?」
 言われてみれば、かけてあったような気もしなくもない。
「今の時間、夏休みも終わってしまって学生のお客様もいなくなってしまって、暇なのよ」
 軽くため息をつくアリスに、佳乃は苦笑する。だからといってまさか猫の姿になって外を出歩いているとは思ってもみなかった。
「そうそう。あなたの学校にも遊びに行って、教室での姿も見学させれもらったわ。なかなか新鮮だったわよ」
 楽しげな声音に、きっと今人間の姿になったなら面白そうに笑っているのだろうなと呑気に考える。
「え、いやちょっと待ってください。アリスさんうちの学校までわざわざ来たんですか?その姿で?」
「ええ」
 こくりとうなずくアリスは可愛らしい。先ほど抱いた時も、肌触りがとても柔らかくもふもふとしていた。リウムといい、使い魔の毛並みは皆良いものなのだろうか。
「それで、どうでした?学校」
「楽しかったわ。今気づいたのだけど、私人間の学校に行ったのは初めてだったのよ。あんな風に人の子がたくさんいて、休み時間には騒いでいる様子を見れて私も少し若返った気分よ」
 なんともおばさんくさいことを言ったアリスに、彼女は苦笑する。
「そうだ。アリスさんに報告したいことがあったんです」
 ぽんと手を合わせて、佳乃が嬉しそうに笑う。それに、アリスはまばたきを一つして人の姿に戻る。
「どうぞ」
 促すように優しく笑うアリスにうなずいて、佳乃は口を開く。
「文化祭、私のクラス喫茶店をやることになったんです。それで、私は調理担当になりました」
 ちなみに、佳乃を調理担当に推薦したのは悠斗だった。調理担当はやはり、飲食店でバイトをしている人がいいとのことだ。
「あら、すごいじゃない」
 よかったわね、と付け加えるアリスに、佳乃はうなずく。
「はい!クッキー作りなら自信があります。他のは少し不安ですけど…それで、以前倉木さんに作ったクッキーと同じものを、そのお店で出そうと思ってるんです。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ついでにお店の宣伝もしてくれれば嬉しいわ」
「あ、そこは任せてください!ばっちりやっときます」
 ぐっと親指を立てる佳乃に、アリスはおかしそうに笑った。
「よろしくね。文化祭には私も行けるのかしら」
「あ、はい。二日間あって、一日目は内部公開なんですけど、二日目は外部の人たちもたくさんくるんです。詳しい日程とかが決まったら知らせますね」
 それにうなずいてから、彼女は首をかしげる。
「倉木様は誘うの?」
「え」
 硬直する佳乃に、アリスはきっとそのことは考えていなかったのね、と確信する。
 しばらくフリーズする佳乃の顔の前で、ひらひらと手を振ってみる。
 なんの反応もないので、アリスは肩を竦めて店の外に出る。「close」の看板を外し、再び店の中に戻った。
「はっ…!」
 ドアベルが鳴ったことでようやく反応した佳乃は「close」の看板を手にしたアリスを見て申し訳なさそうに眉を寄せる。
「すみません、今意識がどこかに行ってました」
 それに、アリスは苦笑する。
「でしょうね。それで、決めた?」
「えぇっと…」
 まだ決めていいらしい。言い淀む佳乃に、アリスは柔らかく笑う。
「まぁ、焦らなくてもいいんじゃない?彼が店に来たときに、試しに来たいかどうかだけでも聞いてみれば?」
「そ、そうですね」
 硬い動きでうなずいた佳乃に、アリスはおかしそうに笑った。