無事におすすめのお菓子を紹介して、佳乃は彼の分のレジを済ませる。ちなみに、散々迷った結果彼女が選んだものはシフォンケーキだった。
「僕、ここのお店のお菓子はまだ食べたことがないから楽しみなんだ。選んで方ありがとう」
 にっこりと笑う蒼に、彼女はぱっと顔を輝かせる。
「いえ。じゃあ期待しててくださいね!」
 一瞬何に期待すればいいのか分からずに、蒼は首をかしげる。それに、佳乃はあ、と声を出す。
「すみません、このお店のお菓子に、ってことです。主語がありませんでしたね」
 申し訳なさそうに眉を寄せる彼女に、彼はなるほどとうなずく。
「うん。期待してるね」
「はい。倉木さんは、甘いものがお好きなんですか?」
 自分へのお礼もお菓子だったことや、わざわざ自分の足で洋菓子店にやってくるあたり、よほど好きなのだろうか。
 首をかしげる佳乃に、彼は少し考えた末にうなずいた。
「そうだね。好きか嫌いかと聞かれれば好きって答えるよ。甘すぎるものは得意じゃないけど」
「あ、それわかります。私も基本的に甘いものは大好きなんですけど、あんまり甘すぎちゃうと胃が疲れちゃうっていうか…」
 その言葉に、蒼はおかしそうに笑った。
「ふふっ、胃が疲れちゃう、か。面白い表現をするね」
「え、変でしたか…?」
 虚をつかれたような顔をする佳乃に、尚も彼は笑い続ける。どうやらツボに入ったようだ。なんだか少しショックを受けて、佳乃はレジを済ませながらもしゅんとする。そんなに笑わなくてもいいのに。
 そんな中、アリスが厨房から戻ってきた。その異様な光景に、首をかしげる。
「なにがあったの、これは」
 佳乃が少し不服そうに口を尖らせながら、アリスにそっと近づく。
「私が少し変なことを言っちゃったらしくて、倉木さんがすごい笑うんです。そんなに笑わなくてもいいのに…」
「あら。それはひどいわね」
 まるで小動物に懐かれた気分になって、アリスは気分良さげに微笑んだ。心なしか、彼女の笑顔が勝ち誇ったもののように見えてくる。それに、今度は蒼がぴくりと柳眉を動かした。
「ごめんね?もう笑ったりしないからこっちにおいで」
 手招きしてくる蒼に、佳乃は警戒心マックスの猫状態でゆっくりと近づいていく。
「わぁ、その反応は少し傷つくな」
 思わず苦笑して、彼はちらりとアリスを見る。目が合うと、彼女はやはり、勝ち誇ったように笑った。
「…店長さん、いい性格してますよね」
「お褒めに預かり光栄です」
 アルバに対してした挨拶と同じようにして、アリスは優雅に礼をする。
 バチバチといつかのようにお互いの間で火花を散らす2人に、佳乃は困ったように眉を寄せる。どうにもこの2人は仲が良くないらしい。一番初めはこんな風ではなかった気がするのだが。
 不仲の原因が自分にあるとは思わずに、彼女はなぜ2人の仲が悪くなっているのかを考え始める。
 そんな時、いつものように軽快にドアベルが鳴った。
「あ、いらっしゃいませ…アルバさん」
 白いTシャツにジーンズ姿といった、昨日とは違いラフな格好で来店したアルバに、佳乃は内心でほっとした。この空気の中で1人は流石に辛い。
「こんにちは。昨日はなにも説明せずに飛ばしちゃってごめんね。ノエルに昨日の話をしたら怒られちゃった」
 にこにこと呑気そうに笑うアルバは、まったくもって怒られた人の態度ではない。
 苦笑していると、再びドアベルが鳴った。次に入ってきたのは話に出ていたノエルだった。
「あ、こんにちはノエルさん」
「こんにちは、佳乃ちゃん。昨日はこのバカがごめんね。びっくりしたでしょ」
 このバカ、というところでアルバを指差すノエルに、佳乃は緩く首を振る。
「大丈夫です。お蔭ですぐに家に帰ることができたので、むしろ助かりました」
「そう言ってもらえるとありがたいなぁ。ほら、本人がそう言ってるんだからいいじゃん。いつまでも怒っていても仕方ないよ」
 にこにこと朗らかに笑うアルバは、まったくもって反省していないように見える。
「やっぱりこの魔法使い、話が通じないや…」
 文字通り頭を抱えるノエルに、佳乃は乾いた笑い声をあげた。
 そして、笑顔で、しかしその実まったく笑っていないアリスと蒼を見て、ノエルは首をかしげる。
「どうしたの?この2人」
「それがよく分からないんですよね。特に明確な喧嘩の原因はなかったように思うんですけど…」
「アリスがこんな風に他人とバチバチやってるのは珍しいよね。あ、もしかして昨日ヨシノが言っていた仲直りって、このこと?」
「あ、いえ。それはもう解決しました」
「ならよかった」
 まるでこちらの会話が聞こえていないかのようにずっとお互い同じ表情保っている2人を、3人は不思議そうに眺める。
「佳乃ちゃん、こうなるまでの経緯を簡単に教えてくれる?」
「あ、はい。えっと…」
 記憶を辿るようにぎゅっと目を閉じながら、先ほどの出来事を話していく。
 話を聞いているうちに、徐々にノエルとアルバの口元には笑みが浮かんでいき、話が終わる頃には笑いを必死に堪えているようだった。
「ど、どうしたんですか?」
 目を丸くして言う佳乃に、2人はなおも笑い続ける。
 先ほどよりもさらにカオスな状態になってしまって、佳乃は笑顔の2人と違う意味での笑顔の2人とで視線を彷徨わせる。
「ど、どうすれば…」
 ふと、アリスが一ど目を閉じた。そして、ノエルたちを見て首をかしげる。
「あら、きていたの」
「あ、うん」
 地味にひどい扱いを受けてショックを受けたのか、ノエルはそれまで爆笑していたのをピタリとやめた。それにより、尚更アルバが笑いを深める。
 そんな彼の脇腹に一発拳を入れて、ノエルは何事もなかったかのように爽やかに笑う。隣では、アルバが悶絶していた。
「ところで、佳乃ちゃんそろそろ夏休みは終わりだよね?シフトのことを相談しようと思ってきたの」
 まぁ、基本的な相談はアリスとして欲しいけど、と付け加えるノエルに、佳乃は悶絶するアルバを心配そうに見つめながらも考える。
「そうですね…」
 もう夏休みが終わってしまうのか。そう考えると少し寂しい気がする。
 干渉に浸っていると、ノエルが首をかしげる。
「佳乃ちゃん、部活は何かやってる?」
「あ、私サッカー部のマネージャーをしてるんです。あまりすることはありませんけど、一応サッカー部のある日は基本的に参加してます。けど普通にこっちを優先できますよ」
「へぇ、マネージャーなんだ」
 蒼がそっと近寄り、話に入ってきた。途端に佳乃の表情が硬いものに変わる。
「は、はい」
「近づきすぎでは?」
 アリスがにっこりと笑って、佳乃と蒼の間にさりげなく入る。彼は、佳乃に微笑みかけた。
「そんなことないよね?」
「えぇっと…?」
「はいはい、佳乃ちゃん困ってるから。アリスもあまりムキになっちゃだめだよ」
 ノエルがポンと手を一つ打つ。アリスは、ふぅとため息をついた。
「それもそうね。それじゃあ、話を戻すけど」
 一拍置いて、アリスは佳乃に首をかしげる。
「サッカー部の活動日はいつなの?」
「基本的に月〜水曜日の三日間を中心的なやってます。大会とかが近づくと毎日になりますけど…あ」
 何かを思い出したように声を上げた佳乃に、4人は首をかしげた。
「そういえば、うちの学校10月の初旬に文化祭があるんです。もしかしたら、それの準備で帰りが遅くなったりするかもしれません」
 それに、アリスはうなずく。
「わかったわ。じゃあ、来月は毎週土曜日曜にお店に来てもらえればそれで十分よ。バイトよりも、学生としての行事を優先した方がいいと思うから」
「ありがとうございます。じゃあ、それでお願いします」
「決まったみたいだね」
 よかったよかったと満足げにうなずくノエルに、アリスが肩を竦める。
「結局、シフトを決めるとか言っておいてあなたはなにも口を挟んでないじゃない」
「そこはほら、あんまりお気になさらずに」
 気まずそうにそっと目線を外して、あらぬ方を見上げる主人に呆れたようにため息をついて、彼女は蒼へと視線を投げる。
「倉木様、またのお越しをお待ちしております」
 丁寧に腰を折られ、彼は苦笑した。言外に、もう帰れと言われているようなものだ。ずいぶんと嫌われてしまった。
 ここで粘っても意味はないので、素直に従いドアへと足を向ける。
「あ、ありがとうございました!」
 慌てて頭を下げる佳乃におかしそうに笑って、蒼は店を後にした。
 彼がいなくなった後、じっとドアを見つめる佳乃に、アルバが面白そうに笑う。
「ヨシノは彼のことが好きなんだね」
「え、あ、はい」
 もう今更隠せる気がしないので、素直にうなずく。そんなに自分はわかりやすいだろうか。
「こう見えて、僕は結構色恋沙汰には詳しいんだよ?何か困ったときは、いつでも相談してね」
 自慢げに胸を張るアルバを、失礼とは思いながらも胡散臭そうに眺めてしまう。それに、ノエルはひどくおかしそうに笑った。
「大丈夫、今のは本当だよ。どうしてかアルバに恋愛相談をした子たちは、全員それが成就するの。何かの呪いがかかっているみたいにね」
 佳乃にそんな目線を向けられて少しショックを受けた様子のアルバだったが、友人の言葉により立ち直る。
「ほら、稀代の大魔女ノエルのお墨付きだ。安心して相談できるでしょ?」
「はい。じゃあ、お言葉に甘えて何かあればご相談させて下さいね」
「任せてよ」
 綺麗なウインクを一つするお茶目な魔法使いに、彼女はおかしそうに笑った。


 佳乃にとってとても不思議で、とても楽しかった夏休みが終わり、9月になった。
 学校に行って、始業式やらが終われば、やはりクラスメイトたちは文化祭の話で持ちきりだ。一年生の時を思い出してみても、飲食店ができなかったので、仕方なく佳乃のクラスはお化け屋敷を午前中だけやって午後は自由、というような日程だった。二年生からは飲食店の経営が解禁されるので、みんなその話題で盛り上がっている。
 もちろん、佳乃自身も楽しみな行事であることに変わりはない。
 どんな店になるのか、楽しみだ。
「三鷹、久しぶり」
 座席でホームルームの時間までの間わくわくと胸を躍らせていると、クラスメイトである岬悠斗|《みさきはると》がたまたま空いていた佳乃の前の席に座る。
 悠斗はアルバや蒼たちには及ばないものの、顔立ちが整っており、その上クラスの人気者で、常に明るく場を盛り上げるのが得意な人だ。佳乃自身普段はあまり話さないタイプだったので、一年生の時までは部活で会う時以外、あまり接点がなかったのだが、クラスが同じになって出席番号的に席が前後になったことがきっかけで、仲が良くなったのだ。席替えを行なって席が離れてしまっても、こうやって悠斗のほうからよく遊びに来る。
 相変わらずの人懐っこい笑みに、佳乃は懐かしさを覚えながらもうなずいた。
「久しぶり。7月の部活以来だね。なんか、岬くん少し焼けたね」
 じっと見つめて首をかしげる佳乃に、彼は少し照れたように笑った。
「そうか?三鷹はあんま変わんねぇな。さては、ずっと家に引きこもってたな〜?俺はちゃんと部活がない日でも近所の子供らとサッカーしてたからな!」
 その様子を思い浮かべて、佳乃はおかしそうに笑った。
「すごい。簡単に想像できちゃう」
「だろ〜?俺、誰にでも好かれちゃうからさ」
 パチンとウインクをしてみせる悠斗に、彼女は笑いながらもうなずく。彼が誰にでも好かれているのは事実だ。
「あ、そうそう。私、別に家に引きこもってたわけじゃないよ?いろいろあってバイトを始めたの」
「え、三鷹がバイト?」
 驚いたように切れ長の目を丸くする悠斗に、佳乃は不満そうに眉を寄せる。
「なに、その反応。私がバイトを始めたことがそんなに意外?」
「うーん、意外というか、なんというか。普通に驚いただけだって。そんなに怒るなよ」
 じっとりと目をすがめる佳乃に、彼は苦笑する。そして、椅子の背もたれに肘をおき、頬杖をついた。
「どんなバイトしてんの?」
「洋菓子店だよ。お店の名前はNota Western CUPPEDIAEっていうの。難しいからNotaって呼んじゃってるけど」
「へぇ〜かっこいい名前だな。何語?」
「ラテン語」
 かっけぇ!と、目を輝かせる悠斗に、佳乃は嬉しそうに笑う。
「でしょ?すっごく素敵なお店なの。土日なら私いるから、今度遊びにおいでよ」
 言いながら、学校から店までの地図を紙に描いていく。
「おぉ、意外にも地図を書くの上手いな、お前」
 さらさらと描かれていく地図を覗き込み、悠斗はさらりと失礼なことを言ってのけた。
「岬くんって、たまにすごぉく失礼だよね。そういうところ直したほうがいいと思う」
 描き終えた地図を渡しながら、声を低くして言う佳乃に、彼は乾いた笑い声をあげる。
「悪い悪い。ん?でも、こんなところに洋菓子店なんてあったか?」
 地図を見て、記憶を辿る様に彼は腕を組む。
「最近できたお店だから、まだあんまり知られてないんだよ。でも、結構お客さん来るんだよ。朝とかなら空いてるから、よかったら、というか絶対来てね!」
 お客様を増やすのは決して悪いことではないはずだ。しっかりと宣伝しておかねば。
「おぉ、商売魂だな。わかった。今度行ってみるよ。妹が甘いもん好きだし、何か買って行ったら喜ぶだろうし」
「え、岬くん妹いるの?可愛い?」
 わくわくと目を輝かせる佳乃に、彼は大きくうなずく。
「可愛い。でも、今中学二年生で、反抗期でなぁ…話しかけても無視されるんだよ。あと少しで誕生日だから、それで挽回できればいいなと目論んでる」
 キリッと真剣な顔をして顎に手を添える悠斗に、彼女はなるほどとうなずく。
「でも、きっと妹さんも岬くんが選んでくれたものならなんでも嬉しいんじゃないかな。別に、ただ素直になれないだけで嫌ってはいないと思うよ」
「そう思うか〜?俺、結構本気で妹に嫌われたらショックなんだよ」
 しゅんと項垂れる悠斗に、佳乃は苦笑する。もしも彼に耳や尻尾がついていたなら、それは垂れ下がっていただろう。
「岬くん、結構シスコンだね」
「ぐっ…!」
 その言葉が胸に刺さったのか、悠斗が辛そうに顔を歪める。
「お前、結構容赦ないよな…」
 恨めしげに睨んでくる相手に、彼女は慌てて手を振る。
「あ、褒めてるんだよ?妹想いでいい人だな、って」
「ならいちけど。シスコンってあんまり褒め言葉でないから、ほかの奴には言うなよ〜?」
「はーい」
 呑気そうな返事に、悠斗は本当にわかっているのかと不安になる。
「でも、もし悩むようなら私にできることなら言ってね!協力するよ」
 ぽんと手のひらを合わせ、笑う佳乃に、彼はうなずいた。
「おう。そん時は頼むわ」
 その時、ちょうど担任教師が教室に入ってきた。悠斗が席を戻し、佳乃に向けて軽く手を振る。
「んじゃまたな〜」
「うん。またね」
 手を振り返して、教卓の上に立つ先生に意識を集中させる。
 どんな文化祭になるのか、楽しみだ。