そよそよと肌を撫でる夜風が心地よい。日中もこのくらいの気温ならいいのに。
『ヨシノ、今日は私の主人がNotaを訪れたようだね。主人が貴女のことを話していたよ』
 その言葉に、彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「そうなんです…あの、アルバさん怒ってませんでしたか?すごく失礼なことをしてしまって…」
 それに、リウムはおかしそうに笑った。
『気にしなくてもいいんだよ。あの方はそんなことで怒るような魔法使いじゃないから。むしろ、貴女のことを気に入っていたよ。面白い子だと』
「そ、そうですか…?」
 なんだか褒められているのかわからない言葉に、佳乃はどう反応すればいいか困惑した。
『大丈夫、気に入られていることには変わりないから』
 それもそうか。ならば前向きに考えよう。
 そして、佳乃は首をかしげる。
「そういえば、今日リウムさんはアルバさんと一緒にはいなかったですよね。何かご用でもあったんですか?」
 リウムはうなずき、いつもは飛ばない方向へと体を向けた。
『今から貴女に見せたいものがあるんだ。少し遅くなるかもしれないけど、大丈夫?』
 案じる声音に、彼女はうなずく。
「大丈夫です。うちは特に門限とかはないので」
『ならよかった。少しスピードを上げるから、しっかりつかまっていてね』
 言う通りに痛くない程度に羽毛をしっかりと掴む。それを感覚的に確認して、リウムは徐々にスピードを上げていく。少しだけ息苦しさを感じた。
 それから少しして、いつものゆったりとしたスピードに戻った。乾くのを防ぐために目を閉じていた佳乃は、そっと開ける。
『ヨシノ、下を見てご覧』
 下を見下ろしてみると、鬱蒼とした森林の中に、いくつもの赤い光が灯っている。
「わぁ…なんですか?あれ」
『あれはルチアという昆虫だ。半月の日はああやって赤く光るんだよ。人間の間では知られていない、こちら側の昆虫なんだ』
「虫、なんですか」
 日本でいうところの蛍のようなものだろうか。
「半月の日は、ってことは、月の満ち欠けによって光る色が違うんですか?」
 リウムは森の中へと少しずつ降下していき、彼女に負担のないようにそっと地面に着地した。体勢を低くし、降りるように促す。
『そうだね。あまり細かくは分かれていないけど、満月の日は銀色に。新月の日は、金色に変わる。どの色も見事だよ。また今度見せてあげよう』
「ありがとうございます!」
 地面に降りて、改めて周りの木々を見渡す。灯の数からして、かなりの数がいることがわかる。
 なんの鳴き声も物音もしないが、たしかに存在していることだけはわかった。本当に、世の中にはまだまだ知らないことがたくさんある。
 上を見上げれば、煌々と輝く半月が浮かんでいる。すぐ近くには、赤い光を放つ昆虫が。
「…そうだ。どうせ仲直りしてもらうなら、ずっと印象に残るようなものがいい」
「仲直り?誰かと喧嘩したの?」
 不意にすぐ後ろから低く穏やかな声が聞こえてきた。それに、彼女は反射的に応える。
「あ、いえ…私ではなくて…って、え?」
 これは、すでに聴き慣れてきたリアムの声とは異なるものだ。慌てて後ろを振り向くと、そこには黒い服にゆったりとした深緑のマントを肩にかけたアルバの姿があった。
「こんばんは」
 びっくりしすぎて固まっている佳乃に、彼はにっこりと微笑みかけた。
「こ、こんばんは…」
 なんとか挨拶だけを返して、佳乃は困惑する。なぜここにアルバがいるのだろう。というか、いつからいたのか。
『アルバ様、なぜここに?』
 リウムもこの場に自分の主人がいることに驚いているようで、瞳をパチパチと瞬かせる。
「うん、たまたまホウキで上を通りかかってね。何してたの?」
 やはり、魔女や魔法使いたちはホウキで空を飛ぶのか。
 呑気に考えているうちに、リウムが羽で赤く灯る木々を差した。
『ヨシノにルチアを見せていたんです。人間には珍しいかと。今日、貴方からのお使いの帰り道に見つけまして』
 それにふむと一つうなずいて、アルバは後ろポケットから杖をすっと取り出す。
「Lucia, vel repandi lilii: facti sunt」
 ふわりと波のように杖を振ると、先端から銀色の光の粒が出た。それは、そのままルチアたちの元へと飛んでいく。
 そして、徐々に集まってくると彼らは空中で一つの百合の花となった。
「す、すごい…!今の魔法ですよね?何したんですか!?」
 目の前に咲き誇る赤く光る百合の花に、佳乃は大興奮する。なにせ、こんなものを見るのは初めてだ。
「あはは、今のは魔法というよりルチアたちにお願いをしたんだよ。集まって、百合の花を作ってください、って」
「へぇ〜…そんなこともできるんですね」
 感心して何度もうなずく佳乃に、彼は満足げに微笑んだ。
「いやぁ、君は反応がいいから魔法の使い甲斐があるね。ちなみに、今朝ノエルがリボンにかけた魔法も、これと少し似ているんだ。あれの場合、お願いではなくて命令だけどね」
 杖をしまいながらそう説明してくれたアルバに、彼女はなるほどとうなずく。魔法にもいろいろな種類があるのだ。
「ノエルさんやアリスさんは杖を使ってませんでしたけど、杖なしでも魔法は使えるんですね」
 2人の魔法を使っている時を思い出し、佳乃は不思議そうに首をかしげる。それに、彼はうなずいた。
「そうだね。簡単な魔法や、小規模なものなら杖を使わずに魔法をかけることができるんだ。今のは少し規模が大きかったから、杖を使ったんだよ」
 本当に、御伽噺の中に入り込んでしまった気分である。
 すでに元いた場所に戻りつつあるルチアたちに、佳乃はなんとなく頭を下げる。
「わざわざ集まってくれてありがとう!」
 それに応えるように、ルチアたちはくるりと一周彼女の体の周りを飛んで戻っていく。
「そうだ、リウムさん」
 名前を呼ばれ、それまで黙ってその様子を見守っていたリウムが首をこてんと傾ける。
『なんだい?ヨシノ』
「今更なんですけど、使い魔ってどんな存在なんですか?」
 それに、リウムは目を瞬かせる。アルバは、面白そうに口元に笑みを浮かべた。
『そうだね…簡単に言えば、主人である魔女や魔法使いのサポート役、といったところかな。もちろん、主人によってやる内容とかも変わってくるけど、私の場合、アルバ様にはよく軽いお使いなどを頼まれるよ。今日もそれをこなしてきたんだ』
「アリスの場合は、本来ならノエルがやらなければならないことをやっていることが多いよね。彼女はズボラな性格をしているから、仕方のないことかもしれないけど」
 うなずいていいのかわからないので、そこには何も触れずに曖昧に笑う。
「まぁでも、ノエルはやるときはやる魔女だ。信頼できるよ」
 柔らかく笑うアルバに、そういえば彼とノエルは友人だと、アリスが以前話していたのを思い出す。
「アルバさんは、ノエルさんと仲がよろしいんですよね。やっぱり、小さい頃から一緒だったりするんですか?」
 それには、意外にもアルバは首を横に振った。
「友人であることは認めるけど、彼女と仲良くなったのはつい二百年くらい前だよ」
「つい、百年くらい前…」
 当然だが、人間である佳乃と、生粋の魔法使いであるアルバたちとでは、流れる時間が大きく違う。見た目は若く見えても、彼らは何百年も生きているのだ。
「そ、それで…どうやって仲良くなったんですか?」
 あまり深く考えないようにして、気を取り直すように話を元に戻す。
「うぅん…これ、僕が勝手に話していいのかわからないから、ノエルに聞いたほうがいいかもしれない。あとで怒られても嫌だからね」
 苦笑して、アルバは肩を竦める。
「あ、確かにそうですよね。じゃあ、明日聞いてみます」
「うん、そうしな。さて、もうそろそろ家に帰ったほうがいい。人の子が夜遅くに出歩いていては危ないよ」
 そう言われてみれば、すでに結構な時間が経っていることに気づく。流石にそろそろ帰らねば紗和が心配するだろう。
『では、ヨシノ。私の背に…』
 乗りやすいように体を低くしてくれたリウムの背に乗ろうとしたところで、アルバが首をかしげる。
「僕が君の家まで飛ばそうか?」
「と、飛ばす…??」
 その言葉の意味を図りかねて、今度は佳乃が首をかしげた。
 一方でリウムが、主人の提案にうなずいている。
『それは妙案です。そのほうが断然早い』
「え、あの、飛ばすって…?」
「大丈夫、決して危険じゃないから。少し触れるよ?」
 戸惑いながらも、それにうなずく。アルバはそっと彼女の肩に手を添えた。
「自分の家を思い浮かべて。なるべくしっかりと」
 言われた通りに、彼女は目を閉じて自宅を思い浮かべる。
『また会おう、ヨシノ。おやすみ』
「お、おやすみなさい!」
「Salire ad locum quo haec mens fit」
 それを最後に、頭の中になにかが走り抜ける。意識が一瞬、途切れた。

 
 目を開けると、目の前にはよく見慣れた自宅が。
 佳乃は、なにが起こったのかさっぱり理解できずに、ただひたすらに首をかしげた。



 翌朝。軽く息を弾ませてNotaにやってきた佳乃を見て、アリスは不思議そうに首をかしげた。
「おはよう、佳乃。どうしたの?そんなに焦った様子で…」
「あ、あ、あの!実は昨日…」
 後半覚めぬ様子で、一気に昨日の出来事を話していく佳乃に、アリスは時折うなずきながら自分の目が据わっていくのを感じた。
 本当に、あの魔法使いは自由気ままで困る。
「もう、本当に。昨日はとにかく驚きました!ある程度摩訶不思議な現象やらなんやらになれてきたかな、って思っていた自分が恥ずかしいです」
 そう言い切って、佳乃は満足したのかふぅと息をつく。
「ごめんなさいね。まさかアルバさんがそんなことをするとは思ってなかったわ。あの方はとても自由な魔法使いだから、なにをするのかわからないのよ」
 呆れたように嘆息するアリスに、彼女は苦笑する。確かに、少し自由すぎるくらいの魔法使いではあった。けど、お蔭で一瞬で家に帰れたのだからかえってよかったのかもしれない。
 そこまで考えて、昨夜考えた案を思い出し、佳乃はポンと手を打った。
「アリスさんに提案があるんですけど…例の、高木様のご注文について」
「あら、何かいい案でも浮かんだの?」
 薄く微笑して小首をかしげるアリスに、彼女はうなずいた。


 約束の、注文をしてから3日後。高木は恋人と共にNotaを訪れていた。
 といっても、彼らの間には気まずい空気が流れている。喧嘩はまだ続いているのだ。
 お互い無言で顔を合わせないまま、扉を開ける。彼らか間を漂う重い空気とは裏腹に、ドアベルが軽快に鳴った。
「いらっしゃいませ」
 佳乃がショーケースの内側から笑顔で挨拶をする。高木が軽く会釈をすると、佳乃はうなずく。
「ご予約の高木様ですね。お待ちしておりました。ただ今ご注文の品を持って参りますので、おかけになってお待ち下さい」
 丁寧に腰を折ってから厨房へと姿を消した佳乃に、彼らは無言で顔を見合わせ言われた通りにイートインスペースの椅子に向かい合い座る。
 やはり無言だ。
「ここ、素敵なお店だね」
 声をかけてきたのは恋人である玲那の方だった。それに驚きつつも、高木は何度もうなずく。彼女と話すのは久しぶりだ。
「そうなんだ。たまたま見つけんだけど、君が好きそうなお店だと思って」
 緊張しているのが声に出ている。玲那はそんな恋人に少し呆れたように笑った。
「緊張してるの丸わかり。今日は喧嘩、するつもりないよ」
 その言葉に、彼はほっと胸を撫で下ろす。
 と、あの軽快なドアベルが店内に鳴り響いた。どうやら新たな来店者が来たらしい。
 入ってきたのは蒼だった。店内を見渡し、首をかしげる。
「…あの子、すごくかっこいいね。あんな子本当にいるんだ」
 目を丸くして言う玲那の言葉通り、確かに整った顔立ちをしている。
 高木は、少し迷った末に話しかけてみることにした。
「あの、店員さんなら今少し奥に行っているよ。もう少しで戻ってくると思う」
 周囲に誰もいないことにより、自分が話しかけられていることを知った蒼は、慌てて軽く頭を下げた。
「わざわざ教えてくださりありがとうございます。少し待ってます」
 やはりただ単に洋菓子を買いに来ただけではなさそうだ。先ほどの少女の彼氏だろうか。
 それからほんの少ししてから、佳乃がトレーを持って戻ってきた。
「お待たせいたしました…って、え…?」
 彼女は蒼の姿を見ると、目を丸くして固まった。そんな佳乃に、彼はにっこりと笑う。
「こんにちは。今日は洋菓子を買いに来たんだけど、そっちの仕事が終わったらおすすめのお菓子を紹介してもらえるかな」
「こ、こんにちは…もちろんです。少々お待ちください」
 それにうなずいて、蒼はもう一つの椅子に腰掛ける。
 少し緊張している様子の佳乃に、高木と玲那はなんとなくこの2人の関係性を悟ってしまった。少し見るだけでわかってしまうくらい、自分たちが大人になったと言うことなのか、はたまた、彼女がわかりやすいのかは定かではない。
 気を取り直して、佳乃は高木たちへと向き直る。
「失礼します。こちら、ご注文の品のレモンタルトでございます」
 カチャカチャと耳障りでない程度の食器同士が擦れる音を立てて置かれたそれに、高木は首をかしげる。
 真っ白の皿の上に乗せられていたのは、双方半分しかない、金色のレモンタルトと赤いレモンタルトだった。
 玲那の皿に赤いレモンタルト。高木の皿には金色のレモンタルトが、半分ずつ乗せられている。
「あの、これは一体…?」
 自分は「月をモチーフにした」と言ったはずだ。指定はしていないが、普通なら満月を思い浮かべ、丸いタルトを作るだろう。
「えっと、それは…」
「それは、月もそうですが、お二人をイメージしてお作りさせていただいたタルトになっています」
 言いながら、アリスがトレーに水を乗せて、蒼へと運んでいく。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 水を置き終えると、彼女は高木たちの元へと移動して、タルトに手を添える。
「どちらかがないと、完全な円形にはならない。まるでお二人の関係のようではありませんか?」
 にっこりと微笑むアリスに、2人は顔を見合わせる。その隣で佳乃が、少し緊張しながらも口を開いた。
「お連れ様は高木様が仕事で忙しく、あまり相手をしてくれないことへの不満が溜まりお怒りになりました。一方で、高木様はそんなお連れ様の気持ちを知り、深く反省していて謝りたい。まるで一度は欠けてしまった半月が、時間をかけてゆっくりと丸い満月になっていくように思いませんか?このレモンタルトは、そうなることを願って、店長が作ったものなんです」
 玲那が、ゆっくりと添えられたフォークとナイフを手に取り、自分の分のレモンタルトをそっと恋人の皿に移し、円形を作る。
「本当だ。色は違うけど、綺麗な満月。私たちみたいだね」
 柔らかく笑う玲那に、高木も大きくうなずく。
「…この前は、ごめん。せっかく誘ってくれたのに、断っちゃって。考えてみれば、少しくらい仕事を後回ししたっていいんだよな」
「こっちこそごめん。あなたが仕事を精一杯していることを知っているのに、ついきつい言い方をしちゃって。反省してるよ」
 さらさらと述べられていくお互いの謝罪の言葉に、なんだかおかしくなってきたようで、2人は同時に吹き出した。
「ふふっ、本当私たちバカみたい。なんであんなことで喧嘩しちゃったんだろう」
「そうだよな。今考えてみると、本当にくだらないよ」 
 クスクスと笑い合う玲那に気づかれないように、アリスがそっと高木に赤いリボンで括った数本の百合の花束を手渡した。
 高木はその意図を読み取り、僅かにうなずいてからそれを受け取った。
「玲那」
「なぁに」
 急に真剣な面差しに変わった恋人に、彼女は首をかしげる。
 高木は、震える両手で百合の花束を玲那に突き出した。
「俺は不甲斐ないし、君の気持ちを蔑ろにしてしまうことがこれからもあるかもしれない。けど、君のことがとても好きなんだ。愛してる。これからも、ずっと俺と一緒にいてくれないかな」
 それに、玲那は目を丸めて固まる。
 一拍置いて、彼女は満面の笑みでそれを受け取った。
「もちろん。あなたみたいな人と一緒に入れる人なんて、私くらいだよ。こちらこそよろしくお願いします」
 可愛らしく輝くような笑顔を浮かべてそう言った玲那に、彼は立ち上がり、その手を握った。
「ありがとう、玲那!」
「ふふっ…」
 幸せそうに笑い合う2人に、アリスと佳乃はそっと目を合わせ、嬉しそうに笑った。


 その後レモンタルトを仲良く食べ終えた2人は、手をしっかりと握って帰っていった。きっと、また喧嘩をしたとしてもすぐに仲直りすることができるだろう。
「よかったですね、あのお二人。ちゃんと仲直りできて」
「そうね。元から謝る気持ちがあったからあまり心配はしていなかったけれど、うまくいってよかったことには変わらないわ。それにしても、よくあんなこと思いついたわね」
 そう。レモンタルトをわざと半分にして出そうと提案したのは、ほかでもない佳乃だったのだ。
「えへへ、といってもきっと、私だけじゃあの考えには至りませんでしたよ。リウムさんとアルバさん、それにルチアたちのおかげです」
 照れたようにほおを染める佳乃に、それまで水を飲んでいた蒼が微笑んだ。
「でも、きっかけがあったとはいえ三鷹さんがあの案を思いついたのならすごいと思うよ。僕には考えられなかっただろうし」
「あ、ありがとうございます。というか、おすすめのお菓子でしたよね!今ご紹介します」
 そう言って、ショーケースの中身をじっくりと見つめ始める佳乃を、彼は面白そうに眺める。アリスが、水のグラスを片すためにトレーを片手に席まで歩いていく。
「あまりうちの子をからかわないでくださいね。あなた、あの子の気持ちに気づいているでしょう」
 片しながらそう言うアリスに、蒼は肩を竦める。
「バレました?あれだけわかりやすい反応をされれば、誰でもわかりますよ」
「まぁ、それはそうかもしれませんが。なら、尚更ああいう思わせぶりな態度は取らないほうがよろしいと思いますよ。失礼ですが、あなたのように顔立ちが整っていれば、女性関連でトラブルもあるのではないでしょうか。それにあの子を巻き込むのはあまり好ましいとはおもいません」
 普段とは違い、ピリピリとした空気を放つアリスに、彼は苦笑する。
「大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても。告白をされたら、しっかりと振るので」
 ちらりと佳乃の様子を確認すると、彼女はまだぶつぶつと何かを呟きながらショーケースの中身を吟味している。一体いつまで悩んでいるつもりだろうか。
 おかしそうに笑う蒼に、アリスは呆れたようにため息をつく。先ほどの冷たい言葉とは裏腹に、彼はずいぶん楽しそうに佳乃を見つめている。本人も気付いていないのか、もしくは、気付かないようにしているのか。
 別に、佳乃の恋を反対するつもりは毛頭ない。ただ、失礼だとは思うがこの青年は少々面倒そうだ。初恋の相手がこの人では、彼女はきっと苦労するだろう。
「…簡単に報われる恋なんて恋じゃない、のかしらね」
 いまだに真剣にショーケースの中身を吟味している佳乃と、それを面白そうに眺める青年に、アリスはため息をついた。