佳乃から話を聞いたアリスは、作業を一旦止めて店内の男性の待つイートインスペースへと向かった。彼女には新たな来店者が来ていたいので、その対応についてもらっている。
「私がこの店の店長のアリスです。当店ではご注文も取り扱っているので、どんなお菓子でもできる限り最善を尽くしてお作りいたします。お客様のご要望を改めてお聞かせ願いますか?」
 ぱっと見のアリスの外見年齢が若いので、男性は少し戸惑ったように視線を泳がせながらもうなずく。
「えっと…レモンタルトを二種類、作ってもらいたいんです。月をモチーフにした、金色のものと、赤い色のもの」
「なるほど。味は双方で変えた方がよろしいでしょうか?」
 その問いかけに、男性は目を丸くした。
「え、作れるんですか…?
「はい。今のご説明で大体のイメージは固まりましたので」
「そうですか…えっと、味の方なのですが、赤いレモンタルトは少し、酸味を抑えてもらえれば幸いです」
 それに、アリスは少し考えてからうなずく。そして、少し申し訳なさそうに眉を寄せた。
「差し支えなければ、お答えしていただきたいのですが…」
「はい」
 やはり断られるか。無理もない、もしも自分だったらこの注文内容だけでは到底あのレモンタルトを作れる自信がない。もう少し、具体的なイメージなどが固まっていたら、話は別だったが。
「もしかして、そのレモンタルトは現在では閉店してしまった駅前の洋菓子店のものですか?」
 予想外の問いかけに、男性は驚きながらも無言でうなずく。
 それに、アリスは少し安心したように笑った。
「ならよかった。私もそのレモンタルト、頂いたことがあるんです。あのお店が閉店してしまって、私もとても残念に思っています」
「そう、そうなんです。昔、友人とたまたま入ったあのお店で、宝石のように輝くあのレモンタルトに目を惹かれて。普段は洋菓子なんて買わないのに、つい買ってしまうほど綺麗だったんです」
 少し気恥ずかしそうに話す男性に、アリスも何度もうなずく。確かに、あの二種類のレモンタルトはとても美しかった。艶々とした光沢に、鮮やかな黄色と赤。あまりにも艶やかなので、黄色だとはわかっていても金色に感じてしまうほどのものだった。
「それで、その時…その、友人に告白したんです。そのレモンタルトを駅のベンチで、2人で食べてたら、つい口から出ちゃって…。晴れてその友人とは付き合うことができたんです。ずっと好きだったので、本当に嬉しくて…」
 話しているうちに、徐々に男性の表情が暗くなっていく。
「ただ、今少し、うまくいってないんです。お互い社会人になって、忙しくなってくるとなかなか会えなくて…この前、食事を断った時、彼女に言われてしまったんです。もう自分のことは好きではないのか、と。私は、どうしてか答えられませんでした。愛想を尽かされても仕方ありませんよね、こんな不甲斐ない男。でも、私はまだこれでも、彼女のことが好きなんです。仲直りが、したくて…あのレモンタルトをもう一度食べれば、初心に帰れるのではと思ったんです」
 男性の瞳がゆらゆらと不安そうに揺れている。もしもレモンタルトを食べて、もう一度話し合ってもダメだったら?彼女が、自分の誘いにすら乗ってくれなくて、レモンタルトを食べてすらくれなかったら?
 悪い方向に考え方が行ってしまう。そんなことを今考えていても、仕方のないことなのに。
「では、そのご注文承ります」
 ぱっとその思考が晴れていく。顔を上げると、アリスが自信に満ち溢れた笑顔を浮かべている。
「本当…ですか?」
「はい。3日後、またお越し下さい。その時は、お連れさまもご一緒に」
 にっこり笑っていうアリスに、男性は大きくうなずいた。もしかしたら、この人なら本当にあのレモンタルトを再現できるかもしれないと、大きな期待を胸に抱いて。


 ドアに「close」の看板をかけて、店内に戻った佳乃は、アリスの姿がないことに首をかしげる。いつもは店内の掃除や売れ残りをチェックしているはずだ。厨房だろうか。
 試しにエプロンをつけて厨房の中を覗いてみる。だが、彼女はいなかった。
「どこいったんだろう」
 そういえば、あれから忙しくて聞けなかったが、あの男性の注文とやらはどうなったのだろう。
 少しの間その場で立ち尽くしていると、奥から物音が聞こえてくる。その次に、厨房と倉庫を繋ぐ扉が開いた。入ってきたのは、大量のレモンを両腕に抱えたアリスだった。
「わ、すごい量ですね、そのレモン」
 目を丸くする佳乃に、アリスは苦笑混じりにうなずく。
「そうね。これから注文のレモンタルトを作ってみようと思って。佳乃も作るの、見ていく?」
「ぜひ!」
 たまにこうして、運が良い時はアリスがお菓子を作るのを見ることができる。佳乃はその時間がたまらなく好きだった。
 しかも、今回は普段は店にないレモンタルトを作るというのだ。これを見学しない事はない。
 わくわくと瞳を輝かせる佳乃におかしそうに笑いながら、アリスは長さの中にレモンをどさどさと入れていく。
 次に、レモンを流水で丁寧に洗う。佳乃はアリスの隣に移動して、もう一つの水道で手を洗い始める。
「私も手伝いますね」 
「ありがとう」
 まだ洗っていないレモンに手を伸ばし、アリスと同様に丁寧にレモンの表面を洗っていく。
 何もしていない状態でも十分良い香りがするので、加工したらどうなるだろうと今からとても楽しみだ。
「先ほどのお客様なのだけどね」
「はい」
 佳乃が気になっていることを察したのか、アリスが切り出す。
「高木亮さんと言って、会社員なんですって。以前駅前にあった洋菓子店を知ってる?」
 それに、佳乃は記憶を辿ってみる。そしてうなずいた。
「はい。一回だけチョコレートケーキを買って食べたことがあります。美味しかったです」
「それはよかったわね。それで、そのお店で売っていたレモンタルトが、もう一度食べたいんだそうなの。恋人と喧嘩してしまったらしくて、仲直りのために。今回は、それを再現するつもりよ」
 全てのレモンを洗い終え、それをボウルに入れてそれを台の上に置く。そのまままな板と包丁を取り出し、半分に切っていく。佳乃も自分の分のまな板と包丁を用意して、同じように半分に切っていく。
「再現することなんてできるんですね。どんな味なのか、楽しみです」
「ええ。今回も味見は頼んだわよ。佳乃、切るのはいいから、これを使って私が切ったものを絞っていってくれる?」
 いいながら、引き出しから銀のステンレスでできたスクイーザーを手渡す。
「わかりました。絞った汁と皮はどうしますか?」
 それに、アリスは中小のボウルを取り出し、軽く洗って台の上に置く。
「中くらいの大きさの方に皮を、小さい方に絞り汁を入れてもらえる?あとで皮も使うつもりなの」
「わかりました!」
 すでに切られていたレモンをスクイーザーに押しあて、絞り汁が出なくなるまで絞る。
 途端に芳醇なレモンの香りが厨房に広がる。
「わぁ、清々しいですね」
 その香りをめいいっぱい吸い込む佳乃に、アリスが嬉しそうに笑った。
「今朝採れたばかりのレモンなの。とても綺麗にできたから、早速使う機会が生まれて嬉しいわ」
 うなずきかけて、ん?と佳乃は首をかしげる。
「え、このレモン自家製なんですか?」
「そうよ。あら、言ってなかったかしら。このお店で使っている果物のほとんどは、裏の畑で採れたものよ。ノエルが魔法でどんな果物でも春夏秋冬、全ての季節育つようにしているの」
「す、すごいですね…」
 なるほど、どうりでどの果物も新鮮なわけだ。裏に畑があるのはなんとなく知っていたが、まさかそこが店の果物生産所だとは思っていなかった。ましてや、そこに魔法がかけられていることなど想像すらしていなかった。
「お陰で足りなかったらすぐに採りにいけるから、とても助かってるわ」
「そうですね。え、あとで見にいってもいいですか?」
「もちろん。一緒に行きましょう。説明するわ」
「ありがとうございます」
 新たな楽しみが増えて、佳乃はさらに機嫌が良くなる。
 そこからは、黙々とレモンを絞っていく。
 全部絞り終えると、アリスが小ぶりのドーム型をいくつか取り出した。そして、それを固定するためらしき道具も、台の上に置く。
「それどうするんですか?」
「ここにレモンゼリーを流し込むの。月をモチーフにしたレモンタルト、とのご注文だから、満月をイメージしてこの型にするわ」
 言いながら、彼女はその型を固定台の上にセットしていく。
 そして、レモン汁を濾しながら全て大きめの鍋に入れ、火にかける。
 温まるまでの間に、薄力粉、卵黄、グラニュー糖、バターを計り、タルト生地を作っていく。そこに細かく刻んだレモンの皮とレモンエッセンスを投入し、ひとまとめにした生地をラップで包み、冷蔵庫の中へ入れた。同時にタイマーをセットする。
 ちょうど温まってきたレモン汁を木べらで大きくぐるりとかき混ぜて、くつくつとに立っていることを確認する。そして、あらかじめタルト生地を作る際に計っておいたグラニュー糖を投入する。
 再び煮立つまで待っている間に、粉ゼラチンを計っておく。
 もう一つのコンロに、小さい鍋を置き計った水と砂糖、水飴を入れ、煮詰めていく。しばらくして艶が出てきたら火を止めた。
 レモン汁の中にゼラチンを入れ、再び温めて火を止める。粗熱を取るために、その鍋をあらかじめ敷いておいた布巾の上に乗せた。
 アリスがくるくると動き回り、色々な作業を次々に終わらせていくのを、佳乃は楽しそうに見ていた。
 あっという間に一つのお菓子を形作るものができていく。何度も見ても飽きない光景だ。
 そんなことを考えている間に、アリスはオーブンの余熱を始める。生地を伸ばすために必要な麺棒と製菓用のマットを取り出す。中くらいの大きさのタルト型にバターを塗っていく。ちょうど、タイマーが鳴り響いた。
 寝かせておいた生地を冷蔵庫から取り出し、それを伸ばしていく。ピカローラーを使い、均一に穴を開けておく。
 伸ばした生地を型にはめ、天板に乗せオーブンへ投入する。
 焼き時間を設定し、後は焼き上がりを待つのみだ。
 次に、粗熱の取れたゼリー液をもう一つ、鍋を用意して二つに分けた。
 一つの方に赤い着色料とさらにグラニュー糖を入れる。それを全体的に赤く染まるまで混ぜつづける。その様子を見て、そういえば高木は赤いレモンタルトも、と言っていた。さらにグラニュー糖を入れたのは、きっと、赤いレモンタルトの方は味を変えるよう注文を受けたのだろう。
 なるほど、着色料で色をつけるのか。納得しているうちに、アリスが先ほど用意していたドーム型の中に赤いゼリー液を流し入れる。そして、何も入れていない普通のゼリー液の前に立って、右の人差し指を鍋の上でくるりと回した。
「Aurum in luceat」
 すると、パッと鍋の周りが輝いて、ゼリー液がうっすらと金色に変わった。
「今の、魔法ですよね?」
 目を丸くする佳乃に、アリスはうなずく。
「あのお店ではきっとお店特有のやり方であの輝きを出していたんでしょうから、それを完全に再現することはできないわ。代わりに、魔法でやってみようと思って。うまく色づいてよかったわ」
 ほら、と鍋の中身を見せてくれたので、そっと覗いてみる。
 キラキラと輝くゼリー液は、まるで星屑を溶かし込んだように美しかった。
「グラサージュの照りだけじゃ、少し足りないから。これなら満足でしょう」
「はい!私だったらこれを見ただけでもテンションが上がります」
「ふふ、それならよかったわ」
 そう言って、彼女はそのゼリー液を型に流し込んでいく。
 そして、それを全て冷蔵庫の中に入れて、後は固まるのを待つのみとなる。
「これで一通り終わったわ。後は焼き上がったタルトにゼリー液を合わせて、グラサージュを塗ったら完成よ」
「わぁ、楽しみです!」
 佳乃は完成形を想像して、胸を踊らせた。

 
 流石に完成を待っていたらまた夜になってしまいそうなので、完成形をみるのは明日にしようとなった。
 アリスに見送られて、佳乃はいつもの帰路を歩いていく。
 ふと夜空を見上げると、今夜は半月だった。
 金色に光り輝く半月に、もしもあれが満月だったらより一層眩しかったんだろうな、と想像する。
 そういえば、リウムの名前は金の瞳という意味を持つことを思い出す。あのフクロウの丸い綺麗な金の瞳を思い出して、アルバはとてもいい名前をつけるな、と今更ながらに思った。
 視線を前に戻して少し歩いていると、急に月の光が陰った。
 なんだか、以前にも同じようなことがあったような気がする。
 再び上を見上げてみると、案の定リウムがいた。いつものように大きな翼を広げて飛んでいる。
「リウムさん!」
『ヨシノ、今から帰りかい?』
 それに、彼女はうなずく。リウムはばさりと音を立てて地面に着地した。
『では、いつものように私の背中に乗って。今日も空中散歩をしようか』
 目を細めて佳乃がのりやすいように体を低めてくれたリウムに、彼女は大きくうなずいてそっと背中に乗った。