翌朝。佳乃が店に来ると、ノエルがイートインスペースでコーヒーを飲んでいた。
「あ、ノエルさん。おはようございます」
「おはよう、佳乃ちゃん。昨日はどうだった?」
 キラキラと色素の薄い水色の瞳を輝かせるノエルに、佳乃はぐっと親指を立てて見せた。
「とりあえず、クッキーは渡せました!緊張はしちゃいましたけど」
「でも渡せただけマシだよ。よかったよかった」
「はい!ありがとうございます」
 そういえば、アリスの姿がない。きょろきょろと店内を見渡す佳乃に、ノエルがドアの外を指差す。
「アリスなら今店の外で花を積んできてるよ。綺麗な百合が咲いてたらしいの」
「それってお店の周りにですか?」
「たぶん?ただ、朝から機嫌が良かったからきっととても綺麗に咲いていたんだろうね。気になるなら、見てきたら?まだそんなに時間経ってないから、遠くに行くとしてもそこらへんにいるとおもうよ」
 少し考えた末、やはり気になるので行くことにする。幸い、開店時間には時間に余裕があるので、掃除は戻ってきてからでも間に合うだろう。
「じゃあ、ちょっと行ってきます!」
「うん、いってらっしゃい」
 柔らかく微笑むノエルに見送られて、佳乃は店を出た。


 少し早歩きで店の周辺を歩いていると、見慣れた後ろ姿が。
「アリスさん!」
 名前を呼ばれて、アリスは長い黒髪をふわりと揺らして振り向いた。まるで映画のワンシーンだ。
「佳乃。どうしたの?」
 いつものように柔らかく微笑むアリスに、なんだかほっとして胸を撫で下ろす。
「いえ、ノエルさんからアリスさんが百合をつみにいったことを聞いて、私も気になって追いかけてきたんです。見つかって良かった」
「そう。じゃあ一緒に行きましょうか。少し遠いのよ。昨日、猫の姿で散歩してる時、偶然見つけてね。真っ白で、凛としていたから一目惚れしてしまって。お店に飾るのにいいと思ったの」
 嬉しそうに笑って話すアリスに、佳乃はうんうんとうなずく。
 普段、彼女はあまり口数が多くない。佳乃自身、あまりアリスと過ごした時は決して多くはないが、それがわかるくらいには彼女と共にいる時間が長い自信がある。なにせ、日中はずっと店にいるのだ。クッキー作りがあるときには、夜までいたこともままあった。そういう時はたまに、リウムが家まで送ってくれることもあって、少しずつ、自分の生活が変化していくのを、佳乃は感じた。
 アリスのことも、ノエルのことも、リウムのことも。これからもっと、知っていけたら嬉しいなと思う。
「佳乃?」 
 どうやら考えているうちに足が止まっていたようで、それを不思議に思ったアリスが彼女の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもありません。早く行かなきゃ、お店開けるの遅くなっちゃいますよね!急ぎましょう」
 はっとしてそう言えば、アリスは不思議そうに小首を傾げながらもうなずいた。
 
 それから少しの間歩いていると、家がだんだんと少なくなっていき、やがてひらけた場所に出た。野原と森林が混ざったような場所で、佳乃は目を丸くする。
「わぁ、こんなところにこんな場所あったんですね。結構近所なのに、知りませんでした」
「ここは私のお散歩コースなの。自然が多いところに行くと、いろんな収穫ができていいのよ。今回みたいなケースとかね」
 そして、すっと少し離れた場所を指差す。差された場所を見てみると、大量の白い花が咲き乱れて、吹いた風に無抵抗に揺られている。
「あれが百合ですか?」
「そう。近づいてみれば、よくわかるわよ」
 言われたようにその場所まで歩いていくと、確かに見事な百合が咲き乱れている。朝露が太陽の光に反射して、百合の純白さがより一層映えていた。
「綺麗ですね!お店の雰囲気にも合いそうです」
 その場でしゃがみ込んでそう言う佳乃に、アリスは胸の前に手のひらを優しく合わせる。
「そうでしょう?さぁ、さっそく何本かもらっていきましょう」
 彼女もまたしゃがみ込み、優しく百合を手折っていく。佳乃もそれを見習って、丁寧に、花を傷つけないように手折っていく。
 お互い片手がいっぱいになるまで摘んで、立ち上がる。
「たくさんありますね!」
「ええ、いろんなところに飾れるわ。手伝ってくれてありがとう」 
 嬉しそうに目を細めるアリスに、佳乃は大きくうなずく。
 こんなことで喜んでもらえるならいくらでもする。
「さて、じゃあ戻りましょうか」
 そうして、数本の百合の花束を片手に2人は店への道のりを歩いて行った。


 店に戻ると、佳乃にとっては知らない男性がいた。
「お帰り」
 ノエルが優しい笑みで出迎えてくれたのに、佳乃はうなずくことで精一杯になる。またもや、その男性は美形だったのだ。どちらかというと、アリスタイプの美人さんだ。
「こんにちは、アルバさん」
 アリスはその男性に対してスカートの裾を少し持ち上げ、左足に重心を乗せて、右足を伸ばし、右足を左足の後ろに持ってきて、軽く挨拶をする。男性はそれに応えるように手をゆるく振る。
 その所作がとても綺麗で、まるで西洋中世を描いた漫画やアニメなどの貴族そのものだった。
 なるほど、魔女や使い魔というのは元はと言えば西洋のものなので、礼儀作法も西洋のものなのか。
 変に納得して感心してしまい、佳乃は何度もうなずいた。
 そして、ん?と首をかしげる。
「アルバ…さん?」
「うん、そうだよ。僕がアルバ。リウムと仲良くしてくれてありがとう。君がヨシノだよね?」
 ふわふわとまるで綿飴のように笑うアルバに、佳乃は固まる。
 初対面だというのに挨拶もせず、不躾に顔やらなんやらをじろじろと見つめてしまった。失礼極まりない。その上、彼はあのリウムの主人である。普段なんやかんやで自宅まで送ってくれているあの優しいフクロウの主人には、いつかきっちりとお礼をしたいと思っていた矢先に、これはまずい。
「す、すみません!!ちゃんと挨拶もせずに顔をじろじろとみちゃって…!殴ってください!!」
 バッと音を立てて深く腰を折って謝る佳乃に、アルバはおかしそうに笑った。
「あははっ、大丈夫だよ。全く気にしてないから。なるほど、確かに面白い子だなぁ…リウムが気に入るの、少しわかる気がする」
 いまだに頭を下げたままでいる佳乃を眺め、彼はにこにこと朗らかに笑う。
 そんな様子にアリスが呆れたように軽くため息をつく。
「佳乃、いつまでもそうしていても仕方ないでしょう。アルバさんの相手は私とノエルがするから、あなたは着替えてきて。アルバさんも、あまりからかわないでください」
 そう言われてしまえば佳乃には何もいえないので、アルバに軽く会釈をして大人しくうなずきいつも着替える場所へと移動する。
「ごめんね?つい」
 ドアを閉める直前、全く反省していなさそうな返答に、珍しく目をすがめるアリスの姿を捉えた。
 もしかしたら、アルバはとても自由な性格をした魔法使いなのかもしれない。それこそ、普段は穏やかで優しいアリスが呆れるほどには。


 着替え終えて店内へ戻ると、アルバとノエルが優雅に紅茶を飲んでいた。
 アリスはきっと厨房だろう。ちらりと時計を確認すると、この時間なら商品の最終仕上げをしているはずだ。
「ふふふ、やっぱりその制服かわいいね」
 うんうんと満足気にうなずいているノエルに、佳乃は大きくうなずく。
「私も初めてこれを渡された時感動しました。この制服って、ノエルさんがデザインしたんですか?」
「そうだよ。アリスも少しだけ関わってるけどね。ちなみに、魔法で作りました」
 ふふんと自慢気に言われた衝撃的事実に、彼女は目を丸めた。
 今現在進行形で自分が身に纏っているものが、魔法で作られている。
「なんか、着るのが恐れ多くなってくるような…」
 妙な罪悪感を感じて、複雑な表情になった佳乃に、ノエルはおかしそうに笑った。
「そんなに気にしなくていいんだよ。魔法で作った方が早くて着心地が良くなると思って、ちょちょいと作ったんだから。意外と簡単だよ。見てみる?」
 片目を閉じて可愛らしくウィンクして見せたノエルに、佳乃はパッと瞳を輝かせる。
「いいんですか!?」
 なんだかんだ言って、何気に魔法をちゃんとみるのは初めてだ。
 もっとも、リウムやアリスのお蔭で摩訶不思議なことにはある程度の耐性がついてきたようには思えるが。
「もちろん。毎日しっかり働いてくれている、私からのせめてものお礼だよ。そこにかけてあるリボンを取ってもらってもいいかな?」
 ずっと指差されたところを目で追うと、ラッピング用の赤いリボンがかけられている。
 言われた通りにそれをとってノエルに渡す。
 ノエルは手渡されたそれを礼を言ってから受け取ると、左の手のひらにふわりとのせた。
「Pulchre chorus」
 当たり前なのかもしれないが、とても流暢な発音で、右手の指をくるりとリボンの上で円を描く。
 すると、急にリボンが命を吹き込まれたようにふわりふわりと輝きを放って舞い始めた。
 まるで花びらが舞い落ちてくるかのようなゆったりとした動きに、佳乃は見惚れる。
「すごく綺麗…!」
「あはは、嬉しい反応だね。ノエル」
 踊るリボンに夢中になっている佳乃を、アルバは微笑ましい笑みで見守る。
「そうだね。あんなに喜んでもらえるなら、いくらでも魔法を使ってあげたくなっちゃう」
 にこにこと嬉しそうに笑っていると、魔法が切れたようでふっとリボンの動きが止まる。
「ありがとうございました。すごく楽しかったです。やっぱり、魔法って素敵ですね!」
 きらきらと瞳を輝かせる佳乃に、ノエルとアルバはおかしそうに笑った。
 

 アルバとノエルが紅茶を飲み終え、店を出てから、開店してまもなく、店のドアベルがいつものように軽快な音を立てて店内に鳴り響く。何度聞いても、この店のドアベルは耳に心地よい。まぁ、それも状況によることを、佳乃は昨日実感したが。
「いらっしゃいませ」
 いつものように挨拶をすると、入店してきた男性が少し照れたように会釈をしてきた。
 見たところ30代前半の会社員といった感じだろうか。
 今は午前中だ。夏休み真っ只中とはいえ、この時間帯に人間の男性1人が入店してきたのはとても珍しかった。佳乃が覚えている限りでは、片手で数えられる程度の人しかいない。それも、大抵は予約のケーキや焼き菓子を受け取りに来るだけの人だけだった。だが、今回のこと男性は少し違うようだ。先ほどから、そわそわと焼き菓子コーナーとショーケースの中をちらちらと交互に見ている。
 こういう時は、店員として思い切って声をかけてみることにする。決して、失礼のないように。
「あの、お客様。なにかお探しでしたら、お手伝いさせてもらえませんか?」
「あ、はい…お願いします。いやぁ、恥ずかしながら、こういうお店に1人できたのは初めてでして…私のような人は、あまり来ないでしょう。こんなおしゃれなお店」
 年下である佳乃にも丁寧で優しい話し方に、きっとこの人はとても真面目な人なんだな、と考える。
「確かに珍しいかもしれませんが、ご心配には及びません。当店はどんな方でも受け入れますので」
 にっこりと、笑ってそう言う。なにせ、この店には人間どころか、魔女や魔法使い、使い魔など、人外のものまで来店するのだ。今更少し変わった人物が来店したとしても、さすがに驚きはしない。
 佳乃の言葉にほっとしたのか、幾分か緊張がほぐれた様子の男性が、少し申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「あの、この店に金色のレモンタルトと赤いレモンタルトはありませんか?もしなければ、注文することは可能でしょうか」
 その言葉に、佳乃は少し考えるように手を顎に添える。
「そうですね…申し訳ありませんが、金色のレモンタルトと赤いレモンタルトというのは当店では扱っておりません」
 それに、男性は落ち込んだように肩を落とす。佳乃は、慌てて手を横に振る。
「ですが、注文ならできると思います!店長に確認してくるので、おかけになって少々お待ちください」
「ああ、ありがとう」
 ほっとしたように笑う男性にうなずいて、佳乃は厨房にいるであろうアリスの元へと向かった。