魔法界でのお茶会の日から今日まで、魔法使いや魔女、それに通じる種族たちからの注文や来店により、Notaは異常なほどまで混んでいた。佳乃がいない日は当然アリスだけでは手が足りず、ノエルもヘルプに入ったくらいだ。まぁ、彼女はオーナーなので、この店で働くことは当たり前なのかもしれないが。
そんなこんなで9月があっという間に過ぎていき、すでに文化祭前日の日曜日。佳乃は、珍しく客が一切来ないので、暇を持て余していた。アリスは、裏の畑に作物をとりに行っている。
「ラウラさんのお姉さん、幸せそうだったなぁ」
一昨日、わざわざこの間のガトーショコラの礼と感想を言いに来店してくれた時は、とても嬉しかった。ラウラにも会えて、それまでの疲れが一気に吹き飛んだことを覚えている。
「結婚って、やっぱり幸せなものなのかな。すごいなぁ、好きな人と両思いになってずっと一緒にいる誓いをするなんて」
うんうんと一人感心したように頷いていると、店内に軽快な音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
気を取り直して、佳乃は笑顔で来店者を出迎える。入ってきたのは蒼だった。それに、彼女は一瞬固まりかけたが、気づかれないように深呼吸をして平常心を取り戻す。
9月中、蒼とはアルバの策略により文化祭のチケットを渡した日以来、会っていなかった。彼は忙しかったのか、一度もNotaを訪れなかったのだ。なんどか会いたくて、アルバにチケットを渡した時の道から帰ってみたりもしたのだが、会えたことはなかった。
「こんにちは。元気そうでよかった。なかなか来れなくてごめんね、明日楽しみにしてるから」
申し訳なさそうに笑って、彼は手に持っていた紙袋を佳乃に手渡す。
佳乃は、首をかしげた。
「これ、三鷹さんにあげる。明日、できればこれをつけてくれると嬉しいんだけど…」
差し出されたそれを受け取り、中身を確認する。
中に入っていたのは、淡い水色をした花のピン留めだった。光を受けて、キラキラと光り輝いている。
「わぁ、可愛いですね。でも、いいんですか…?こんなものいただいちゃって」
逆に申し訳なくなってくる。それに、彼はにっこりと笑った。
「君ならそう言うと思った。だから、君は作れればでいいから、明日手作りのお菓子を僕にちょうだい。それが一番嬉しいから」
そんなことでいいのなら、もちろん作る。
蒼の言葉にうなずいて、佳乃は笑う。
「ありがとうございます、明日つけますね」
「うん、楽しみにしてるね」
嬉しそうに笑う蒼に、彼女はうなずいた。そして、蒼はドアへと足を向ける。
「ごめんね、今日はこれからやらなきゃならないことがあるから、帰らなきゃならないんだ。また明日」
その言葉に、佳乃は残念に思って少しだけ眉を下げる。でも、明日また会えるのだからここは我慢だ。
「わかりました。じゃあ、また明日。本当に、楽しみにしてますね!」
それにうなずいて、彼は店を後にする。ドアベルの軽快な音だけが、店内に響いていた。
とれたての果物を両手に抱えて店内に戻ると、惚けた様子の佳乃の姿があったのでアリスは不思議そうに首をかしげる。
「どうかしたの?佳乃」
「あっ、いえ…今、倉木さんがきて、これをくれたんです」
先ほど渡されたか髪留めを見せる佳乃の表情は、とても嬉しそうだ。
「そう。よかったわね。デザインも大人になってからも使えそうだし、あの人これをあなたにずっと使っていて欲しくてこれにしたんじゃないかしら」
「いやぁ…そんなことはないと思いますよ?」
そうする理由が、蒼にはないはずだ。
「まぁ、それは後で本人に確認してみなさい」
明日会うんでしょ?と続けるアリスにうなずいて、佳乃は大切なことを思い出す。
「あの、さっきかのピン留めのお返しに何がいいか倉木さんに聞いたんです。そしたら、私の作ったお菓子がいいって言われて…何を作りましょう」
それに、彼女は考えるように目を閉じる。
「そうね…」
佳乃はじっと答えを待つ。アリスは、右手の人差し指をピンと立てた。
「マカロンはどうかしら?」
「マカロン、ですか」
虚をつかれたように目を瞬かせた後、佳乃は不安そうに眉を寄せる。
「とても素敵だと思うんですけど、マカロンって作るの難しくないんですか?失敗しないか不安です…」
それに、彼女は一つうなずく。
「たしかに、あまり慣れていない人が作るには少し難しいかもしれないわ。けど、マカロンには『あなたは特別な人』と言う意味があって、バレンタインなどのイベントに、よく使われているの。思い切って、明日倉木様に告白してみたら?きっとうまくいくわ」
自信に溢れたアリスの瞳に、佳乃は不思議と勇気が湧いて出てきた。
告白。彼を好きになって、今思えばもうすでに二ヶ月以上は経っているのだ。そう考えると、月日の流れはあっという間だ。
もしも自分がウジウジと告白できぬまま今の関係を続けていて、蒼に彼女ができてしまったらと考えて、それは嫌だなと首を横に振る。
「…わかりました。頑張ります」
目の前にはお菓子作りのプロがいる。きっと、難しいマカロン作りもうまくいくだろう。
堅い決意を宿した瞳に、アリスは満足げにうなずいた。
文化祭当日。佳乃は蒼からもらった髪留めをしっかりとつけて、学校へ登校する。もちろん、昨夜作ったマカロンもしっかりと持った。
クラスに入ると、悠斗が佳乃の髪に気づき、首をかしげた。
「はよ、三鷹。珍しいな、お前がそういうのつけてくるの」
「おはよう。うん、昨日…その、好きな人にもらって。今日、一緒に文化祭回る約束してるから、つけてきて欲しいって言われたの」
嬉しそうに笑う佳乃に、彼は少し複雑そうな顔で笑った。
「そうか。よかったな」
それはうなずくと、佳乃の肩にぽんと手が置かれた。振り返ると、にまにまと笑う友紀の姿が。
「話は聞かせてもらったよ、佳乃ちゃん!私が可愛くしてあげる!!」
「え?」
どういうことだろう。とういか、いつからそこに。
「こっちきて、時間ないから急いでやらなきゃ!!」
どういうことなのかを聞く前に、友紀は佳乃の腕をぐいぐいと引っ張っていき、あっという間にどこかへ連行されていってしまった。
残された悠斗は、二人が消えた場所を唖然と見つめ、その瞳に決意の色をのせた。
文化祭に訪れたアリス、ノエル、アルバたちは、辺りを物珍しそうに見渡す。リウムも行きたがっていたのだが、流石にフクロウを肩に乗せて文化祭を回っていたら、騒ぎになってしまうので今回は諦めてもらった。
「へぇ…これが人間の文化祭か。賑わってるね」
アルバが面白そうに笑って言うと、二人はうなずく。
「私たちも初めてきたから、とても新鮮だね」
「えぇ、まずは佳乃のクラスがやっている喫茶店に行ってみましょうか」
門の前で手渡された出店マップを手に、アリスが言う。それに、二人はうなずいた。
佳乃のクラスについた三人は、結構な賑わいに感心した。
「なかなか繁盛してるね。ヨシノは、調理担当なんだっけ?」
「そのはずですよ…あら?」
うなずきかけたところで、見覚えのある横顔を二つ、アリスは見つけた。
「佳乃、岬さん」
名前を呼ばれて、二人同時に振り返る。
「アリスさん!こんにちは」
「お久しぶりです、店長さん」
佳乃は嬉しそうな笑顔を向け、悠斗は少し照れ臭そうに軽く頭を下げる。
それもそのはず、二人の着ているものはとても可愛らしくかっこいいメイド服に似たスカートと、どこか高級なお店のウェイターのような服装をしていたのだ。
「似合ってるじゃない。佳乃、髪型もとても可愛いわ。けど、あなたは調理担当じゃなかったの?」
不思議そうに首をかしげるアリスに、彼女は困ったように笑う。
「それが、予想以上に混んでいるので調理担当の人も何人かこっちで接客することになったんです。それで、調理場の子たちが今頑張ってくれてます」
とても忙しそうに調理場を動き回る調理部だと言う生徒たちを見て、佳乃は気の毒そうに眉を寄せる。
「人手が完全に足りてないんですよね…」
苦々しく笑う悠斗に、アリスはにっこりと笑った。
「よかったら、私手伝いましょうか?」
「え?」
「え」
「え!?」
佳乃、悠斗、それと、そのすぐ近くにいた花崎が、驚きに目を丸くする。
「いいんですか!?」
花崎が、アリスの手を思わずがっしりと掴む。佳乃が慌ててその間に割って入った。
「ちょ、花崎くん!少しは遠慮しようよ」
「いいや三鷹。こういう時は素直に気持ちを受け取っておくのが礼儀だ…というのは建前で、本音を言うと本当に人手が足りないから、料理ができる人間が増えるのなら大変助かる」
ものすごい勢いに、その必死さが窺える。
若干引き気味の佳乃には構いませず、彼はもう一度アリスに向き直る。
「お願いできますか、店長さん!!」
「はい、承ります」
にっこりと笑って承諾したアリスに、ノエルとアルバは苦笑し、佳乃と悠斗は顔を見合わせる。
なんだか、おかしなことになってしまった。
午前のシフトがようやく終わって、佳乃はぐったりと空き教室で体を突っ伏した。
「お、終わった…」
「お疲れ」
疲れ果てている様子の佳乃に、共に休憩に入った悠斗が苦笑混じりに言う。
「岬くんもお疲れ様。それにしても、アリスさんが手伝ってくれてよかった。たぶん、それがなかったらきっと私たち、休憩入れなかったよね」
結論から言って、アリスが調理場に入ってくれたことは大成功だった。
それまで溜まっていた注文の品があっという間に次々に生み出されていく様は、まさに圧巻の一言に尽きる。
「本当にな。お前の場合、せっかくの貴重な好きな人との時間がなくなるところだったんだから、よかったよな」
「うん」
アリスには本当に感謝の気持ちしかない。
その時、端末のバイブ音が震える。蒼からだった。
「あ、着いたみたい。行かなきゃ」
ぱっと表情を明るくさせて、佳乃は立ち上がる。じゃあね、と教室を出ようとした佳乃の手を、悠斗はぱしりと掴んだ。
「どうしたの?」
「…その、お前に好きな人がいるのはわかってるんだけど…」
先ほどとは打って変わって、真剣な表情を浮かべてじっと見つめてくる悠斗に、佳乃は困惑する。
なぜだろう。今、彼の瞳を晒してはだめな気がする。
「…俺、三鷹のこと好きなんだ」
「え…?」
「一年の時からずっと、気になってた。自分の気持ちに気づいたのは、妹の誕生日にティラミスを一緒に作った時。好きだ、三鷹」
この状況で、友人的な意味での好きでないことは流石にわかる。
佳乃の瞳が、ひどく困った様子でゆらゆらと揺れている。
けれど、彼女は蒼のことが好きなのだ。彼の気持ちに応えるわけには行かない。
「ごめん、なさい…岬くんは、すごくいい人だと思う。私にはもったいにくらい」
その言葉に、彼はそっと手を離す。
うつむきがちだった佳乃が、顔をそっとあげる。
「私には好きな人がいます。岬くんの気持ちには、応えられない」
「…うん。わかってる。聞いてくれてありがとう」
穏やかに笑う悠斗に、彼女はうなずき、教室を出た。
その背を、彼は見送る。
「フラれちった…あーあ」
こみ上げてくる涙をグッと堪えて、彼はその場で突っ伏した。
とぼとぼと廊下を歩いていると、もう一度端末が震える。
蒼からだ。
『三鷹さん、どこにいる?』
それに、彼女はそっと端末を切る。申し訳ないとは思いつつも、とても今は彼のことを考えたくなかった。
「岬くんが、私のこと好きだったなんて…」
知らなかったとはいえ、好きな人のことを相談したりと結構残酷なことをしてしまっていた。
深く嘆息して俯いていると、後ろから肩を叩かれた。ゆっくりとした動作で振り返るとノエルとアルバがいた。
「どうしたの?顔色悪いよ」
心配そうに言うアルバに、彼女は瞳に涙を一瞬で溜める。
「ど、どうしたの??」
慌てふためくノエルの隣で、アルバが佳乃の涙をそっと拭った。
「…大丈夫だよ。君は悪くない。ちゃんと自分の気持ちを伝えただけだから」
「…っ、はい」
ぼろぼろと泣き始める佳乃の頭を子供をあやすように撫でた。
ノエルは、状況がいまいちよくわかってないので黙ってその様子を見守る。
少しして、ようやく泣き止んだ佳乃に、アルバは柔らかく笑った。
「落ち着いた?」
「はい…すみません、ありがとうございました」
恥ずかしそうに赤くなった鼻をすする。
「大丈夫。さぁ、今度はヨシノが自分の大切な人に気持ちを伝えなきゃ。頑張って」
「仮にもしダメでも、私たちがいるから。安心して行ってきてね」
底無しに優しい笑顔を浮かべて背中を押してくれる二人に、佳乃は力強くうなずく。
佳乃は端末を見て蒼の居場所を確認し、その場所へと走り出した。
そんなこんなで9月があっという間に過ぎていき、すでに文化祭前日の日曜日。佳乃は、珍しく客が一切来ないので、暇を持て余していた。アリスは、裏の畑に作物をとりに行っている。
「ラウラさんのお姉さん、幸せそうだったなぁ」
一昨日、わざわざこの間のガトーショコラの礼と感想を言いに来店してくれた時は、とても嬉しかった。ラウラにも会えて、それまでの疲れが一気に吹き飛んだことを覚えている。
「結婚って、やっぱり幸せなものなのかな。すごいなぁ、好きな人と両思いになってずっと一緒にいる誓いをするなんて」
うんうんと一人感心したように頷いていると、店内に軽快な音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
気を取り直して、佳乃は笑顔で来店者を出迎える。入ってきたのは蒼だった。それに、彼女は一瞬固まりかけたが、気づかれないように深呼吸をして平常心を取り戻す。
9月中、蒼とはアルバの策略により文化祭のチケットを渡した日以来、会っていなかった。彼は忙しかったのか、一度もNotaを訪れなかったのだ。なんどか会いたくて、アルバにチケットを渡した時の道から帰ってみたりもしたのだが、会えたことはなかった。
「こんにちは。元気そうでよかった。なかなか来れなくてごめんね、明日楽しみにしてるから」
申し訳なさそうに笑って、彼は手に持っていた紙袋を佳乃に手渡す。
佳乃は、首をかしげた。
「これ、三鷹さんにあげる。明日、できればこれをつけてくれると嬉しいんだけど…」
差し出されたそれを受け取り、中身を確認する。
中に入っていたのは、淡い水色をした花のピン留めだった。光を受けて、キラキラと光り輝いている。
「わぁ、可愛いですね。でも、いいんですか…?こんなものいただいちゃって」
逆に申し訳なくなってくる。それに、彼はにっこりと笑った。
「君ならそう言うと思った。だから、君は作れればでいいから、明日手作りのお菓子を僕にちょうだい。それが一番嬉しいから」
そんなことでいいのなら、もちろん作る。
蒼の言葉にうなずいて、佳乃は笑う。
「ありがとうございます、明日つけますね」
「うん、楽しみにしてるね」
嬉しそうに笑う蒼に、彼女はうなずいた。そして、蒼はドアへと足を向ける。
「ごめんね、今日はこれからやらなきゃならないことがあるから、帰らなきゃならないんだ。また明日」
その言葉に、佳乃は残念に思って少しだけ眉を下げる。でも、明日また会えるのだからここは我慢だ。
「わかりました。じゃあ、また明日。本当に、楽しみにしてますね!」
それにうなずいて、彼は店を後にする。ドアベルの軽快な音だけが、店内に響いていた。
とれたての果物を両手に抱えて店内に戻ると、惚けた様子の佳乃の姿があったのでアリスは不思議そうに首をかしげる。
「どうかしたの?佳乃」
「あっ、いえ…今、倉木さんがきて、これをくれたんです」
先ほど渡されたか髪留めを見せる佳乃の表情は、とても嬉しそうだ。
「そう。よかったわね。デザインも大人になってからも使えそうだし、あの人これをあなたにずっと使っていて欲しくてこれにしたんじゃないかしら」
「いやぁ…そんなことはないと思いますよ?」
そうする理由が、蒼にはないはずだ。
「まぁ、それは後で本人に確認してみなさい」
明日会うんでしょ?と続けるアリスにうなずいて、佳乃は大切なことを思い出す。
「あの、さっきかのピン留めのお返しに何がいいか倉木さんに聞いたんです。そしたら、私の作ったお菓子がいいって言われて…何を作りましょう」
それに、彼女は考えるように目を閉じる。
「そうね…」
佳乃はじっと答えを待つ。アリスは、右手の人差し指をピンと立てた。
「マカロンはどうかしら?」
「マカロン、ですか」
虚をつかれたように目を瞬かせた後、佳乃は不安そうに眉を寄せる。
「とても素敵だと思うんですけど、マカロンって作るの難しくないんですか?失敗しないか不安です…」
それに、彼女は一つうなずく。
「たしかに、あまり慣れていない人が作るには少し難しいかもしれないわ。けど、マカロンには『あなたは特別な人』と言う意味があって、バレンタインなどのイベントに、よく使われているの。思い切って、明日倉木様に告白してみたら?きっとうまくいくわ」
自信に溢れたアリスの瞳に、佳乃は不思議と勇気が湧いて出てきた。
告白。彼を好きになって、今思えばもうすでに二ヶ月以上は経っているのだ。そう考えると、月日の流れはあっという間だ。
もしも自分がウジウジと告白できぬまま今の関係を続けていて、蒼に彼女ができてしまったらと考えて、それは嫌だなと首を横に振る。
「…わかりました。頑張ります」
目の前にはお菓子作りのプロがいる。きっと、難しいマカロン作りもうまくいくだろう。
堅い決意を宿した瞳に、アリスは満足げにうなずいた。
文化祭当日。佳乃は蒼からもらった髪留めをしっかりとつけて、学校へ登校する。もちろん、昨夜作ったマカロンもしっかりと持った。
クラスに入ると、悠斗が佳乃の髪に気づき、首をかしげた。
「はよ、三鷹。珍しいな、お前がそういうのつけてくるの」
「おはよう。うん、昨日…その、好きな人にもらって。今日、一緒に文化祭回る約束してるから、つけてきて欲しいって言われたの」
嬉しそうに笑う佳乃に、彼は少し複雑そうな顔で笑った。
「そうか。よかったな」
それはうなずくと、佳乃の肩にぽんと手が置かれた。振り返ると、にまにまと笑う友紀の姿が。
「話は聞かせてもらったよ、佳乃ちゃん!私が可愛くしてあげる!!」
「え?」
どういうことだろう。とういか、いつからそこに。
「こっちきて、時間ないから急いでやらなきゃ!!」
どういうことなのかを聞く前に、友紀は佳乃の腕をぐいぐいと引っ張っていき、あっという間にどこかへ連行されていってしまった。
残された悠斗は、二人が消えた場所を唖然と見つめ、その瞳に決意の色をのせた。
文化祭に訪れたアリス、ノエル、アルバたちは、辺りを物珍しそうに見渡す。リウムも行きたがっていたのだが、流石にフクロウを肩に乗せて文化祭を回っていたら、騒ぎになってしまうので今回は諦めてもらった。
「へぇ…これが人間の文化祭か。賑わってるね」
アルバが面白そうに笑って言うと、二人はうなずく。
「私たちも初めてきたから、とても新鮮だね」
「えぇ、まずは佳乃のクラスがやっている喫茶店に行ってみましょうか」
門の前で手渡された出店マップを手に、アリスが言う。それに、二人はうなずいた。
佳乃のクラスについた三人は、結構な賑わいに感心した。
「なかなか繁盛してるね。ヨシノは、調理担当なんだっけ?」
「そのはずですよ…あら?」
うなずきかけたところで、見覚えのある横顔を二つ、アリスは見つけた。
「佳乃、岬さん」
名前を呼ばれて、二人同時に振り返る。
「アリスさん!こんにちは」
「お久しぶりです、店長さん」
佳乃は嬉しそうな笑顔を向け、悠斗は少し照れ臭そうに軽く頭を下げる。
それもそのはず、二人の着ているものはとても可愛らしくかっこいいメイド服に似たスカートと、どこか高級なお店のウェイターのような服装をしていたのだ。
「似合ってるじゃない。佳乃、髪型もとても可愛いわ。けど、あなたは調理担当じゃなかったの?」
不思議そうに首をかしげるアリスに、彼女は困ったように笑う。
「それが、予想以上に混んでいるので調理担当の人も何人かこっちで接客することになったんです。それで、調理場の子たちが今頑張ってくれてます」
とても忙しそうに調理場を動き回る調理部だと言う生徒たちを見て、佳乃は気の毒そうに眉を寄せる。
「人手が完全に足りてないんですよね…」
苦々しく笑う悠斗に、アリスはにっこりと笑った。
「よかったら、私手伝いましょうか?」
「え?」
「え」
「え!?」
佳乃、悠斗、それと、そのすぐ近くにいた花崎が、驚きに目を丸くする。
「いいんですか!?」
花崎が、アリスの手を思わずがっしりと掴む。佳乃が慌ててその間に割って入った。
「ちょ、花崎くん!少しは遠慮しようよ」
「いいや三鷹。こういう時は素直に気持ちを受け取っておくのが礼儀だ…というのは建前で、本音を言うと本当に人手が足りないから、料理ができる人間が増えるのなら大変助かる」
ものすごい勢いに、その必死さが窺える。
若干引き気味の佳乃には構いませず、彼はもう一度アリスに向き直る。
「お願いできますか、店長さん!!」
「はい、承ります」
にっこりと笑って承諾したアリスに、ノエルとアルバは苦笑し、佳乃と悠斗は顔を見合わせる。
なんだか、おかしなことになってしまった。
午前のシフトがようやく終わって、佳乃はぐったりと空き教室で体を突っ伏した。
「お、終わった…」
「お疲れ」
疲れ果てている様子の佳乃に、共に休憩に入った悠斗が苦笑混じりに言う。
「岬くんもお疲れ様。それにしても、アリスさんが手伝ってくれてよかった。たぶん、それがなかったらきっと私たち、休憩入れなかったよね」
結論から言って、アリスが調理場に入ってくれたことは大成功だった。
それまで溜まっていた注文の品があっという間に次々に生み出されていく様は、まさに圧巻の一言に尽きる。
「本当にな。お前の場合、せっかくの貴重な好きな人との時間がなくなるところだったんだから、よかったよな」
「うん」
アリスには本当に感謝の気持ちしかない。
その時、端末のバイブ音が震える。蒼からだった。
「あ、着いたみたい。行かなきゃ」
ぱっと表情を明るくさせて、佳乃は立ち上がる。じゃあね、と教室を出ようとした佳乃の手を、悠斗はぱしりと掴んだ。
「どうしたの?」
「…その、お前に好きな人がいるのはわかってるんだけど…」
先ほどとは打って変わって、真剣な表情を浮かべてじっと見つめてくる悠斗に、佳乃は困惑する。
なぜだろう。今、彼の瞳を晒してはだめな気がする。
「…俺、三鷹のこと好きなんだ」
「え…?」
「一年の時からずっと、気になってた。自分の気持ちに気づいたのは、妹の誕生日にティラミスを一緒に作った時。好きだ、三鷹」
この状況で、友人的な意味での好きでないことは流石にわかる。
佳乃の瞳が、ひどく困った様子でゆらゆらと揺れている。
けれど、彼女は蒼のことが好きなのだ。彼の気持ちに応えるわけには行かない。
「ごめん、なさい…岬くんは、すごくいい人だと思う。私にはもったいにくらい」
その言葉に、彼はそっと手を離す。
うつむきがちだった佳乃が、顔をそっとあげる。
「私には好きな人がいます。岬くんの気持ちには、応えられない」
「…うん。わかってる。聞いてくれてありがとう」
穏やかに笑う悠斗に、彼女はうなずき、教室を出た。
その背を、彼は見送る。
「フラれちった…あーあ」
こみ上げてくる涙をグッと堪えて、彼はその場で突っ伏した。
とぼとぼと廊下を歩いていると、もう一度端末が震える。
蒼からだ。
『三鷹さん、どこにいる?』
それに、彼女はそっと端末を切る。申し訳ないとは思いつつも、とても今は彼のことを考えたくなかった。
「岬くんが、私のこと好きだったなんて…」
知らなかったとはいえ、好きな人のことを相談したりと結構残酷なことをしてしまっていた。
深く嘆息して俯いていると、後ろから肩を叩かれた。ゆっくりとした動作で振り返るとノエルとアルバがいた。
「どうしたの?顔色悪いよ」
心配そうに言うアルバに、彼女は瞳に涙を一瞬で溜める。
「ど、どうしたの??」
慌てふためくノエルの隣で、アルバが佳乃の涙をそっと拭った。
「…大丈夫だよ。君は悪くない。ちゃんと自分の気持ちを伝えただけだから」
「…っ、はい」
ぼろぼろと泣き始める佳乃の頭を子供をあやすように撫でた。
ノエルは、状況がいまいちよくわかってないので黙ってその様子を見守る。
少しして、ようやく泣き止んだ佳乃に、アルバは柔らかく笑った。
「落ち着いた?」
「はい…すみません、ありがとうございました」
恥ずかしそうに赤くなった鼻をすする。
「大丈夫。さぁ、今度はヨシノが自分の大切な人に気持ちを伝えなきゃ。頑張って」
「仮にもしダメでも、私たちがいるから。安心して行ってきてね」
底無しに優しい笑顔を浮かべて背中を押してくれる二人に、佳乃は力強くうなずく。
佳乃は端末を見て蒼の居場所を確認し、その場所へと走り出した。