着替えを済ませ、店のドアに一旦「close」の看板をかけてきてから、アリスとともに四人分の昼食を作っているとお腹が鳴った。
途端に恥ずかしくなり頰を赤く染める佳乃に、アリスはくすくすとおかしそうに笑った。
「何もそんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。あなたは大長老様に認めてもらうくらいには働いたのでしょうから、お腹が空いても仕方ないでしょう」
「うぅ、そう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」
縮こまる佳乃をもう一度笑って、アリスは冷蔵庫の中から一つのフィナンシェを取り出した。それを、佳乃に手渡す。
「え…?いいんですか?」
「ええ。あなた、一番最初にこの店に来たときのことを覚えてる?」
それに、彼女は当然のようにうなずく。初めてリウムと出会った日のことだ。
「その時、このフィナンシェを見て美味しそう、って瞳をきらきらと輝かせていたから。いつか食べてもらいたいと思っていたの。それで、今朝お店に並べるようなもののなかから一つ、とっておいたのよ。遠慮なく食べて」
その言葉に、佳乃はこくりと生唾を飲み込む。手のひらに乗るフィナンシェは、その名の意味の通り金塊のように輝いて見える。空腹も相まって、とても美味しそうだ。
一口、食べてみる。途端に口の中に広がるバターの風味に、佳乃は一瞬で幸せ色に染まった。
とても幸せそうに食べる佳乃に、アリスは満足そうに笑い、昼食作りに戻る。
それからの佳乃は、無言でフィナンシェを食べきり、しばらく放心状態だった。
昼食を作り終え、少ししてからもどこかへ意識を飛ばしている佳乃に、流石に心配になったアリスがその肩を叩く。
「佳乃、佳乃。お昼ができたわよ。そろそろ戻ってきて」
一拍置いて、吉野の意識が戻ってきた。
「あっ、すみません。つい」
「あなた、本当にお菓子が好きよね。たまに心配になるわ」
もしとても美味しいお菓子があるよと知らない人物に言われたら、簡単について行ってしまいそうだ。
「大丈夫ですよ」
苦笑する佳乃に、アリスはそれもそうね、とうなずく。あまり心配していても仕方ないだろう。
「さぁ、二人が待ってるわ。早く持っていきましょう」
台の上に置かれた四皿のミートパスタを前に、彼女は笑う。それに、佳乃は大きくうなずいた。
昼食を食べ終えてから「close」の看板を外していると、後ろから声をかけられた。
「ヨシノ」
振り向くと、そこには肩にリウムを乗せたアルバが立っていた。
「こんにちは。リウムさん、アルバさん」
にっこり笑って、彼女は二人のためにドアを開ける。
「ありがとう」
礼を言ってから店内に入ると、アルバは目を瞬かせる。
「あれ、アダム様。どうしてここに?」
流石に予想していなかった同族がいて、彼は首をかしげる。
『アルバ様、それよりも先に挨拶を。お久しぶりでございます、アダム様』
リウムが軽く窘めてから、アルバの肩から飛んだ。そのまま空いている椅子の背もたれに留まり、優雅に羽を折って体を前にかたむける。
アルバは、右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す。
「お元気そうで何よりです。人間界への長旅、ご苦労様です」
男性の礼を、初めて見た。というか、アルバがこのようにかしこまった態度をとること自体、初めて見る。
「かっこいいですね、アルバさん」
彼らよりも少し後から入ってきた佳乃は、素直な感想を言う。彼は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「あはは、ありがとう。あまりこういうかしこまった礼はしないから、慣れてないんだけどね」
それに、ノエルが面白そうに笑う。
「本当にね。アルバがその礼をするのって、それこそ大長老様相手か、精霊王相手くらいだから。私も貴重なものを見れて得した気分だよ」
「うるさいなぁ。ノエルだって同じようなものじゃないか」
不服そうに眉を寄せるアルバに、ノエルは肩を竦める。
「私はいいのよ」
「理不尽な…」
そんな二人のやりとりに、アダムは呆れたように嘆息する。
「まったくお前たちは…せめて、他の長老たちに対して、上部だけでもいいから敬意を払え」
それもそれでひどいような気もしなくもないが、いいのだろうか。
佳乃は口を挟んでいいのかわからないので、三人の話を黙って聞くことにする。
アダムの言葉に、二人は顔を見合わせ同時にうなずく。どうやら、今の一瞬で何か意思疎通をしたようだ。本当にこの二人は仲がいいな、と呑気に思っていると、ノエルが爽やかな笑みを浮かべた。
「だって、自分よりも弱い魔法使いたちに敬意を払えませんよ。せめて、何か一つでも私たちよりも勝ってくれてなければ」
「そうです。僕たちは、年を食っただけの魔法使いを一人前とは呼べません」
「わぁ」
予想以上にひどい言い草に、黙っていようと決めていた佳乃が思わず声を漏らす。
いつのまにか食器の片づけから戻ってきていたアリスと、巻き込まれるのを避けてそのまま椅子の背もたれに留まっているリウムが顔を見合わせ、ため息をつく。まったく、困った主人たちだ。
『お互い苦労するな、アリス』
「ええ、本当に」
アダムは二人の返答に、周りの声が聞こえているのかいないのかはさておき、深く嘆息して文字通り頭を抱える。
一方で、まったく悪びれていない様子のノエルとアルバは、そんなアダムを不思議そうに見つめる。
「あ」
そんな中、佳乃が並んだノエルとアルバを見て、何かを思い出したように手をぽんと打つ。
「どしたの?佳乃」
アリスが不思議そうに首をかしげると、佳乃が目を輝かせる。
「アルバさん、この前どうしてノエルさんと仲良くなったのか、ノエルさんに聞いて、って言ってましたよね!今ならお二人ともいるので、聞いてもいいですか?」
ずっと気になっていたのだが、なかなか聞く機会がなくとてもうずうずしていたのだ。聞くなら今がベストだろう。
「あー…」
アルバが少し気まずそうに隣のノエルをちらりと見る。彼女は、仕方なさそうに肩を竦める。
「まぁ、いいよ。どうせそのうちバレるだろうし、ちょうどいいから大長老様にも聞いてもらおう」
なんだが嫌な予感がして、アダムはそっと立ち上がる。
「で、では、ワシはそろそろお暇させてもら…」
言いかけたところで、流さないと言わんばかりアルバが微笑む。
「movens subsisto」
急にその体制で動かなくなった自分の体に、アダムは焦りの声を上げる。
「な、何をする…」
「まぁまぁ、そう焦って帰ろうとしなくてもいいじゃないですか。聞いて行ってくださいよ、アダム様」
悪魔のように微笑むアルバに、アダムは助けを求めるようにリウムへと視線なげる。無情にも、リウムの首は横に振られた。
『こうなった以上、諦めてくださいませ。私でもアルバ様を止めることなどできませんので』
それに、隣にいたアリスは気の毒そうな視線をアダムに向ける。そして、アリスは店のドアに「close」の看板をかけなおす。
「これでもうお客様はいらっしゃらないわ。私も気になっていたから、聞かせてちょうだい」
「気が利くね。ありがとう。じゃあ…始めるね」
抵抗虚しく、果てしなく嫌な予感がする昔話が始まってしまったことに、アダムは諦めたように肩を落とした。
およそ二百年前。魔法学校を卒業してから、アルバは使い魔を選ぶため、一人旅をしていた。
本来なら魔法学校に在籍中に自分の使い魔を見つけるのが通常なのだが、彼の場合自分と相性のよく気にいる使い魔と出会うことができなかったのだ。
かれこれ卒業から結構な年数が経ってしまっているので、そろそろ見つけなければ色々支障が出てきてしまう。そうなると面倒だ。
紺碧の空に丸い金色の月が浮かんでいる。魔法界は、常にそうだ。人間界では月は満ち欠けを起こしているらしい。使い魔探しが終わったら、行ってみてもいいかもしれない。
などと呑気に考えていると、枯れた一本の木に一羽のフクロウが溜まった。美しい銀の羽が、月の光に反射して光り輝いている。
試しに近づいてみても逃げようとしなかったので、話しかけてみることにする。
『ねぇ、そこのフクロウさん。今お話しできる?』
すると、フクロウはそれまで閉じていた瞼を開いた。現れたのはまさに空に浮かぶ金色の月と相違ない瞳で、アルバはとても嬉しそうに笑った。
『とても綺麗な瞳をしているね』
先ほどの返答がなかったことを気にもとめず、彼はさらに話しかける。すると、呆れたようにフクロウは胸を膨らませた。
『…あなたは魔法使いだろう。それも相当力の強い。なぜこのような寂れた場所に一人でいる?使い魔は?』
それに、アルバは困ったように笑う。
『残念ながら、まだ使い魔はいないんだ。それを見つけるために、一人旅をしている』
『そうか。難儀なものだな』
興味のなさそうに答えるフクロウを、彼はじっと見つめる。
結構長い間見つめ続けられ、流石に居心地の悪さを感じたのかフクロウは身をよじる。
『何か用か?あまりみられると視線が痛い』
『ねぇ、君が僕の使い魔になってよ』
『は…?』
なぜそうなるのだろう。
驚きに目を瞬かせるアルバに、彼はにこにこと笑う。
『うん、それがいい。いいよね?君も、主人がいるわけじゃないんだろ?』
悪びれもせずにっこりと笑って言うアルバに、フクロウは押し黙る。なんで自由な魔法使いだろうか。彼に使い魔がいない理由がなんとなく分かった気がする。だが、呆れる気持ちと共に、フクロウは彼を面白いとも思った。
『ほら、おいで?』
腕を広げて飛んでくるのを待つアルバに、フクロウは少しの間考えこむように目を閉じる。やがてそっと開いた。
『では、私が気にいる名前をつけてくれたなら、あなたの使い魔になろう』
その言葉に、今度はアルバが目を瞬かせる。そして、面白そうに笑った。
『いいね、それ』
そのまま、彼はじっとフクロウの金の瞳を見つめ続ける。
しばらくして、ようやくアルバが口を開いた。
『リウム…オウクリウム。金の瞳という意味だ。どうかな?』
『オウクリウム…気に入った。いいだろう、あなたの使い魔になる』
『やった。じゃあ、今度こそこちらにおいで?』
正式な使い魔にするためには、お互いに契りを交わさなければならない。
バサバサと羽を羽ばたかせて、リウムはアルザの腕の中にすっぽりと収まる。
『ふふっ、予想以上にふわふわだ。これはいい癒しになるね』
ぎゅっと抱きしめるアルバにされるがままになりながら、リウムは呆れたようにため息をつく。
『いいから、早く契りを交わそう』
『あぁ、ごめんごめん。じゃあ、いくよ』
リウムを腕に乗せて、もう片方の手のひらをかざす。
『我が名はアルバ。契約するもの、オウクリウム。これより、両者は主従の関係となることを、ここに誓う』
二人の体が金色に輝く。
『これで君は僕の使い魔だ。これからよろしくね、リウム』
『よろしくお願いします、アルバ様』
こうして、二人は晴れて主人と使い魔という関係性になったのだった。
時を同じくして、ノエルもまた使い魔をさがして一人旅をしていた。といっても、彼女の場合は魔法学校に在籍していなかったので、ただ単に使い魔になるような生き物と出会う機会があまりなかったという点が一番な理由だ。
『どこかにいい子はいないかなぁ…』
そろそろ一人旅も飽きてきたので、話し相手が欲しいのだ。
ぼうっと空を見上げていると、上空に青い蝶がひらひらと舞っている。
『わぁ、綺麗だな… turn circum』
試しにその蝶に魔法をかけてみる。蝶は、くるりくるりとその場を回った。
それを満足げに眺めていると、後ろから声が響いた。
『素敵な魔法ね』
『え?』
振り向くと、そこには綺麗な青い目をした艶やかな黒猫が座っていた。
『今私に話しかけたの、あなた?』
目を瞬かせるノエルに、猫は小さくうなずいた。
『そうよ。あなた、魔女?』
『そうだよ。使い魔をさがしてるんだけど、なかなか見つからなくて困ってるの…あなた、私の使い魔になってみない?』
半分ほどダメ元で聞いてみる。と、猫は意外にもすんなりとうなずいた。
『え、本当にいいの?』
一度使い魔の契約をしてしまえば、それは一生どちらかが死ぬまで続く。だからこそ、簡単には決められないのだ。
思わず確認してくるノエルに、猫はおかしそうに笑い声をあげる。
『構わないわ。あなたの魔法、好きだもの。素敵な名前をつけてね』
それに、彼女はうなずき、猫の瞳をじっと見つめる。
『アリス、っていうのはどう?人間界の御伽噺の中の主人公の名前なの。可愛いでしょう?』
柔らかく笑うノエルに、猫は一つうなずく。
『えぇ、とても素敵な名前だわ。では、契約を結びましょう』
アリスはそっとノエルのそばに座った。彼女はアリスに手をかざす。
『我が名はノエル。契約するもの、アリス。これより、両者は主従の関係となることを、ここに誓う』
二人の体が同時に金色に輝く。
お互いに目を開くと、目を細めた。
『これからよろしくね、アリス』
『えぇ、ノエル様』
『ノエルでいいよ。堅苦しいのは好きじゃないの』
それに、アリスはうなずく。
これまで探し回っていた使い魔が、簡単にできてしまった。それも、とても綺麗な猫だ。
ノエルは上機嫌にアリスを抱き抱える。ふわふわとした毛並みに、さらに気分が上昇した。
これからは、一人で旅をしなくていいのだ。二人でする旅は、きっと楽しいだろうなと思いを馳せた。
途端に恥ずかしくなり頰を赤く染める佳乃に、アリスはくすくすとおかしそうに笑った。
「何もそんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。あなたは大長老様に認めてもらうくらいには働いたのでしょうから、お腹が空いても仕方ないでしょう」
「うぅ、そう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」
縮こまる佳乃をもう一度笑って、アリスは冷蔵庫の中から一つのフィナンシェを取り出した。それを、佳乃に手渡す。
「え…?いいんですか?」
「ええ。あなた、一番最初にこの店に来たときのことを覚えてる?」
それに、彼女は当然のようにうなずく。初めてリウムと出会った日のことだ。
「その時、このフィナンシェを見て美味しそう、って瞳をきらきらと輝かせていたから。いつか食べてもらいたいと思っていたの。それで、今朝お店に並べるようなもののなかから一つ、とっておいたのよ。遠慮なく食べて」
その言葉に、佳乃はこくりと生唾を飲み込む。手のひらに乗るフィナンシェは、その名の意味の通り金塊のように輝いて見える。空腹も相まって、とても美味しそうだ。
一口、食べてみる。途端に口の中に広がるバターの風味に、佳乃は一瞬で幸せ色に染まった。
とても幸せそうに食べる佳乃に、アリスは満足そうに笑い、昼食作りに戻る。
それからの佳乃は、無言でフィナンシェを食べきり、しばらく放心状態だった。
昼食を作り終え、少ししてからもどこかへ意識を飛ばしている佳乃に、流石に心配になったアリスがその肩を叩く。
「佳乃、佳乃。お昼ができたわよ。そろそろ戻ってきて」
一拍置いて、吉野の意識が戻ってきた。
「あっ、すみません。つい」
「あなた、本当にお菓子が好きよね。たまに心配になるわ」
もしとても美味しいお菓子があるよと知らない人物に言われたら、簡単について行ってしまいそうだ。
「大丈夫ですよ」
苦笑する佳乃に、アリスはそれもそうね、とうなずく。あまり心配していても仕方ないだろう。
「さぁ、二人が待ってるわ。早く持っていきましょう」
台の上に置かれた四皿のミートパスタを前に、彼女は笑う。それに、佳乃は大きくうなずいた。
昼食を食べ終えてから「close」の看板を外していると、後ろから声をかけられた。
「ヨシノ」
振り向くと、そこには肩にリウムを乗せたアルバが立っていた。
「こんにちは。リウムさん、アルバさん」
にっこり笑って、彼女は二人のためにドアを開ける。
「ありがとう」
礼を言ってから店内に入ると、アルバは目を瞬かせる。
「あれ、アダム様。どうしてここに?」
流石に予想していなかった同族がいて、彼は首をかしげる。
『アルバ様、それよりも先に挨拶を。お久しぶりでございます、アダム様』
リウムが軽く窘めてから、アルバの肩から飛んだ。そのまま空いている椅子の背もたれに留まり、優雅に羽を折って体を前にかたむける。
アルバは、右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す。
「お元気そうで何よりです。人間界への長旅、ご苦労様です」
男性の礼を、初めて見た。というか、アルバがこのようにかしこまった態度をとること自体、初めて見る。
「かっこいいですね、アルバさん」
彼らよりも少し後から入ってきた佳乃は、素直な感想を言う。彼は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「あはは、ありがとう。あまりこういうかしこまった礼はしないから、慣れてないんだけどね」
それに、ノエルが面白そうに笑う。
「本当にね。アルバがその礼をするのって、それこそ大長老様相手か、精霊王相手くらいだから。私も貴重なものを見れて得した気分だよ」
「うるさいなぁ。ノエルだって同じようなものじゃないか」
不服そうに眉を寄せるアルバに、ノエルは肩を竦める。
「私はいいのよ」
「理不尽な…」
そんな二人のやりとりに、アダムは呆れたように嘆息する。
「まったくお前たちは…せめて、他の長老たちに対して、上部だけでもいいから敬意を払え」
それもそれでひどいような気もしなくもないが、いいのだろうか。
佳乃は口を挟んでいいのかわからないので、三人の話を黙って聞くことにする。
アダムの言葉に、二人は顔を見合わせ同時にうなずく。どうやら、今の一瞬で何か意思疎通をしたようだ。本当にこの二人は仲がいいな、と呑気に思っていると、ノエルが爽やかな笑みを浮かべた。
「だって、自分よりも弱い魔法使いたちに敬意を払えませんよ。せめて、何か一つでも私たちよりも勝ってくれてなければ」
「そうです。僕たちは、年を食っただけの魔法使いを一人前とは呼べません」
「わぁ」
予想以上にひどい言い草に、黙っていようと決めていた佳乃が思わず声を漏らす。
いつのまにか食器の片づけから戻ってきていたアリスと、巻き込まれるのを避けてそのまま椅子の背もたれに留まっているリウムが顔を見合わせ、ため息をつく。まったく、困った主人たちだ。
『お互い苦労するな、アリス』
「ええ、本当に」
アダムは二人の返答に、周りの声が聞こえているのかいないのかはさておき、深く嘆息して文字通り頭を抱える。
一方で、まったく悪びれていない様子のノエルとアルバは、そんなアダムを不思議そうに見つめる。
「あ」
そんな中、佳乃が並んだノエルとアルバを見て、何かを思い出したように手をぽんと打つ。
「どしたの?佳乃」
アリスが不思議そうに首をかしげると、佳乃が目を輝かせる。
「アルバさん、この前どうしてノエルさんと仲良くなったのか、ノエルさんに聞いて、って言ってましたよね!今ならお二人ともいるので、聞いてもいいですか?」
ずっと気になっていたのだが、なかなか聞く機会がなくとてもうずうずしていたのだ。聞くなら今がベストだろう。
「あー…」
アルバが少し気まずそうに隣のノエルをちらりと見る。彼女は、仕方なさそうに肩を竦める。
「まぁ、いいよ。どうせそのうちバレるだろうし、ちょうどいいから大長老様にも聞いてもらおう」
なんだが嫌な予感がして、アダムはそっと立ち上がる。
「で、では、ワシはそろそろお暇させてもら…」
言いかけたところで、流さないと言わんばかりアルバが微笑む。
「movens subsisto」
急にその体制で動かなくなった自分の体に、アダムは焦りの声を上げる。
「な、何をする…」
「まぁまぁ、そう焦って帰ろうとしなくてもいいじゃないですか。聞いて行ってくださいよ、アダム様」
悪魔のように微笑むアルバに、アダムは助けを求めるようにリウムへと視線なげる。無情にも、リウムの首は横に振られた。
『こうなった以上、諦めてくださいませ。私でもアルバ様を止めることなどできませんので』
それに、隣にいたアリスは気の毒そうな視線をアダムに向ける。そして、アリスは店のドアに「close」の看板をかけなおす。
「これでもうお客様はいらっしゃらないわ。私も気になっていたから、聞かせてちょうだい」
「気が利くね。ありがとう。じゃあ…始めるね」
抵抗虚しく、果てしなく嫌な予感がする昔話が始まってしまったことに、アダムは諦めたように肩を落とした。
およそ二百年前。魔法学校を卒業してから、アルバは使い魔を選ぶため、一人旅をしていた。
本来なら魔法学校に在籍中に自分の使い魔を見つけるのが通常なのだが、彼の場合自分と相性のよく気にいる使い魔と出会うことができなかったのだ。
かれこれ卒業から結構な年数が経ってしまっているので、そろそろ見つけなければ色々支障が出てきてしまう。そうなると面倒だ。
紺碧の空に丸い金色の月が浮かんでいる。魔法界は、常にそうだ。人間界では月は満ち欠けを起こしているらしい。使い魔探しが終わったら、行ってみてもいいかもしれない。
などと呑気に考えていると、枯れた一本の木に一羽のフクロウが溜まった。美しい銀の羽が、月の光に反射して光り輝いている。
試しに近づいてみても逃げようとしなかったので、話しかけてみることにする。
『ねぇ、そこのフクロウさん。今お話しできる?』
すると、フクロウはそれまで閉じていた瞼を開いた。現れたのはまさに空に浮かぶ金色の月と相違ない瞳で、アルバはとても嬉しそうに笑った。
『とても綺麗な瞳をしているね』
先ほどの返答がなかったことを気にもとめず、彼はさらに話しかける。すると、呆れたようにフクロウは胸を膨らませた。
『…あなたは魔法使いだろう。それも相当力の強い。なぜこのような寂れた場所に一人でいる?使い魔は?』
それに、アルバは困ったように笑う。
『残念ながら、まだ使い魔はいないんだ。それを見つけるために、一人旅をしている』
『そうか。難儀なものだな』
興味のなさそうに答えるフクロウを、彼はじっと見つめる。
結構長い間見つめ続けられ、流石に居心地の悪さを感じたのかフクロウは身をよじる。
『何か用か?あまりみられると視線が痛い』
『ねぇ、君が僕の使い魔になってよ』
『は…?』
なぜそうなるのだろう。
驚きに目を瞬かせるアルバに、彼はにこにこと笑う。
『うん、それがいい。いいよね?君も、主人がいるわけじゃないんだろ?』
悪びれもせずにっこりと笑って言うアルバに、フクロウは押し黙る。なんで自由な魔法使いだろうか。彼に使い魔がいない理由がなんとなく分かった気がする。だが、呆れる気持ちと共に、フクロウは彼を面白いとも思った。
『ほら、おいで?』
腕を広げて飛んでくるのを待つアルバに、フクロウは少しの間考えこむように目を閉じる。やがてそっと開いた。
『では、私が気にいる名前をつけてくれたなら、あなたの使い魔になろう』
その言葉に、今度はアルバが目を瞬かせる。そして、面白そうに笑った。
『いいね、それ』
そのまま、彼はじっとフクロウの金の瞳を見つめ続ける。
しばらくして、ようやくアルバが口を開いた。
『リウム…オウクリウム。金の瞳という意味だ。どうかな?』
『オウクリウム…気に入った。いいだろう、あなたの使い魔になる』
『やった。じゃあ、今度こそこちらにおいで?』
正式な使い魔にするためには、お互いに契りを交わさなければならない。
バサバサと羽を羽ばたかせて、リウムはアルザの腕の中にすっぽりと収まる。
『ふふっ、予想以上にふわふわだ。これはいい癒しになるね』
ぎゅっと抱きしめるアルバにされるがままになりながら、リウムは呆れたようにため息をつく。
『いいから、早く契りを交わそう』
『あぁ、ごめんごめん。じゃあ、いくよ』
リウムを腕に乗せて、もう片方の手のひらをかざす。
『我が名はアルバ。契約するもの、オウクリウム。これより、両者は主従の関係となることを、ここに誓う』
二人の体が金色に輝く。
『これで君は僕の使い魔だ。これからよろしくね、リウム』
『よろしくお願いします、アルバ様』
こうして、二人は晴れて主人と使い魔という関係性になったのだった。
時を同じくして、ノエルもまた使い魔をさがして一人旅をしていた。といっても、彼女の場合は魔法学校に在籍していなかったので、ただ単に使い魔になるような生き物と出会う機会があまりなかったという点が一番な理由だ。
『どこかにいい子はいないかなぁ…』
そろそろ一人旅も飽きてきたので、話し相手が欲しいのだ。
ぼうっと空を見上げていると、上空に青い蝶がひらひらと舞っている。
『わぁ、綺麗だな… turn circum』
試しにその蝶に魔法をかけてみる。蝶は、くるりくるりとその場を回った。
それを満足げに眺めていると、後ろから声が響いた。
『素敵な魔法ね』
『え?』
振り向くと、そこには綺麗な青い目をした艶やかな黒猫が座っていた。
『今私に話しかけたの、あなた?』
目を瞬かせるノエルに、猫は小さくうなずいた。
『そうよ。あなた、魔女?』
『そうだよ。使い魔をさがしてるんだけど、なかなか見つからなくて困ってるの…あなた、私の使い魔になってみない?』
半分ほどダメ元で聞いてみる。と、猫は意外にもすんなりとうなずいた。
『え、本当にいいの?』
一度使い魔の契約をしてしまえば、それは一生どちらかが死ぬまで続く。だからこそ、簡単には決められないのだ。
思わず確認してくるノエルに、猫はおかしそうに笑い声をあげる。
『構わないわ。あなたの魔法、好きだもの。素敵な名前をつけてね』
それに、彼女はうなずき、猫の瞳をじっと見つめる。
『アリス、っていうのはどう?人間界の御伽噺の中の主人公の名前なの。可愛いでしょう?』
柔らかく笑うノエルに、猫は一つうなずく。
『えぇ、とても素敵な名前だわ。では、契約を結びましょう』
アリスはそっとノエルのそばに座った。彼女はアリスに手をかざす。
『我が名はノエル。契約するもの、アリス。これより、両者は主従の関係となることを、ここに誓う』
二人の体が同時に金色に輝く。
お互いに目を開くと、目を細めた。
『これからよろしくね、アリス』
『えぇ、ノエル様』
『ノエルでいいよ。堅苦しいのは好きじゃないの』
それに、アリスはうなずく。
これまで探し回っていた使い魔が、簡単にできてしまった。それも、とても綺麗な猫だ。
ノエルは上機嫌にアリスを抱き抱える。ふわふわとした毛並みに、さらに気分が上昇した。
これからは、一人で旅をしなくていいのだ。二人でする旅は、きっと楽しいだろうなと思いを馳せた。