エピローグ 記憶の世界

 ヨーロッパから帰って十日が過ぎたころ、勤務先から家に帰ると、坂田からの手紙がきていた。数日前に坂田がくれた電話によれば、その手紙には、僕にあてた絵里からの手紙が同封されているはずだった。
 佳子と息子がテレビの音楽番組を見ているあいだに、僕は手紙をもって机に向かった。17インチブラウン管のパソコン用モニターが、机のかなりの部分を占めており、その横にはウインドウズMeをOSにした新しいパソコンがある。
 モニターの前で大きめの封筒をあけ、同封されていた封筒をとりだすと、表には松井滋郎様と記され、裏返してみると本田絵里とあった。丸みをおびたその文字には覚えがあった。僕は急いで封をきり、数枚の便箋をとりだした。
〈・・・・・・ロンドンに来てくださいまして、本当にありがとうございました。わずかな時間ではありましたが、松井さんとお話できて本当に良かったと思っております。いまの私を見てもらえましたし、とても素敵な贈り物をいただくことができました。松井さんから祝福の言葉を贈られたとき、私はずいぶん長い間それを待っていたような気がしました。そのように思えるほどに、あの言葉を嬉しく聞くことができました。
 お話できる時間にゆとりがありましたなら、16年前に言えなかったことを、私はあらためて口にしたことでしょう。とは申しましても、今だから言える思い出話ではありますけれど。車の中で語りあった16年前の夜、私には悲しみだけでなく怒りがありました。私はあまりにも悲しく、松井さんからの慰めの言葉を聞くことだけでせいいっぱいでしたから、松井さんをなじることも、ぐちをこぼすこともできなかったのです。松井さんをなじったりすれば、ますます悲しくなりそうでしたし、松井さんとの思い出に傷をつけたくもなかったのです。
 赤い糸で結ばれた人が見つからないまま十年あまりを過ごしてから、CDを買うつもりで入った店のクラシックコーナーで、いまの夫と出会うことができました。勇気をだして近くに居た男性に声をかけ、CDを選ぶための相談に乗ってもらったのですが、そのことをきっかけにして交際が始まり、演奏会にも一緒に行くようになりました。ごく自然に棚から荷物を落とすことができたのも、松井さんのおかげだと思っています。ヒースローで松井さんに感謝していると伝えましたが、本心から私はそう思っております。心の中で松井さんを恨んだこともありましたが、今ではすべてが懐かしい思い出となり、松井さんには感謝の気持ちしかありません。・・・・・・〉
手紙を読み終えると、絵里の幸せを願う気持ちとともに、絵里に対する感謝の気持ちが湧いてきた。16年前のあの夜、絵里は車の中のひとときを、僕に対する怒りを抱いて過ごしたのだ。絵里はこの手紙を書くことで、あのとき口に出せなかったその気持ちを、ようやく僕に伝えることができたのだ。絵里の誘いに乗ってロンドンを訪ねた結果、絵里に祝福の言葉を贈ることができただけでなく、このような手紙をもらうことにもなった。わずかな時間だったとはいえ、絵里と語り合うことができて本当によかった。
 僕は手紙の文字を眺めながら思った。絵里を思い出すときには苦い感情を伴ったものだが、絵里との再会をはたしてからは、そのような苦味も薄らいでいた。絵里がこの手紙をくれたおかげで、これから先に絵里を思い出すことがあっても、記憶の世界の女のひとりとして、穏やかに振り返ることができるようになった。
 僕と佳子は信頼し合い、ふたりの間に不安はないが、佳子の気持ちを乱したくはなかったので、ロンドンで絵里に会ったことは伝えなかった。絵里からのその手紙も、佳子には見せないまま処分することにした。
 その手紙に住所は記されていなかったので、僕からの返事を期待していないことは明らかだった。そうであろうと、感謝の気持ちを絵里に伝えたかった。
 つぎの日、僕は坂田に電話をかけて、絵里にあてた伝言を頼んだ。手紙を読んで感謝の気持ちを抱いたこと。絵里の幸せを心から祈っていること。坂田はひと言「わかった、絵里に伝える」と応えた。僕は「ありがとう、たのむよ」と言った。
 会話を終えて顔をあげると、壁に貼られているポスターの風景写真が見えた。海辺につらなる松林の写真が、防風林の松と松風を思い出させた。
 僕はロビーの電話コーナーを離れて研究室に向かった。