ガタッ、ガタガタガタッ!

『ほほえみ茶屋』の入口の引き戸が、物凄い勢いで押された。
『ほほえみ茶屋』の入口は、引き戸だ。なのにお客様は、押している!
「い、いらっしゃいませ!」
いくら押したって構造上、開かないものは開かない。どころか、乱暴にされて戸を壊されてしまっては堪らない。
私は大慌てで入口に向かい、自ら戸を引いてお客様を迎え入れた。
「っっ!!」
お客様を一目見て、私は衝撃で後ろに仰け反った。同時に納得、ヨーロッパ圏のカフェといったら普通、引き戸じゃない……。
「Hi,Are you open?」
暖簾を割った金髪、青目の異国の熟女が、ニコリと笑顔で流暢な英語を披露した。
「……イ、イ、イエスッ!」
ヒィ! 
私の内心の動揺はもう、推し量って然るべき。とにかく私は、アップアップだ。
「ど、どどどど、どうぞお席へ! ええっと、プリーズ テイク エニィ シート ……オッケイ!?」
ちっともオッケイじゃないカタコトの英語と身振り手振りで、金髪青目のお客様を席に通した。
……ご、御用聞きをどうしよう!? そもそもメニューを英語で説明なんて、そんな高等スキルは持っていない!!
私の心の中は、相変わらずの大忙し。誰か、助けてーーっ!!
「とりあえず団子の盛り合わせと、煎茶をお願いします」
んっ!?
ギョッとして、金髪青目のお客様を思わずガン見!
「あぁ私、日本語も大丈夫よ?」
! それ、早く言ってよぉぉぉぉ!!
「お嬢さん、きな粉とあんこはたっぷりのせて頂戴ね?」
思う事や言いたい事もあったけど、それらを口にするには既に心がガリガリと削られて、消耗しすぎていた。
「……か、かしこまりました」
なので素直に了承し、ふらふらとした足取りで厨房に向かった。
うぅぅ、だけど結果としては有難い。英語なんて、学生時代の講義で習ったのが最後だ。それだって今となってはもう、うん十年と前の話だ。
けれど厨房に戻って、ふと疑問に思った。
……異国のお客様って、そもそもここじゃないよね??
ごくりと唾を飲み込んだ。
どう考えてもこれは、アクシデントだ。
私は手早く団子と煎茶の提供を済ませると、急いで十夜を呼んだ。

「……なるほど。よく報せてくれた」
店の外から、窓側の席で団子と煎茶をほっこりと満喫中の異国のお客様を確認すると、十夜は重々しく頷いた。
「十夜、これって当然このままにしていい案件じゃないですよね?」
「あぁ、彼女が三途の川に来てしまった事がそもそも間違っている。ただ、彼女が船に乗る前に気付いた事は不幸中の幸いだ。幸子、俺はあちらの天界に連絡し、彼女の迎えを手配する。すまないが彼女をこのまま店におき、船に乗らないように見ていてくれないか?」
「はい、もちろんです」
私は了承して、店に戻った。十夜は慌ただしく、駆けていった。

カラカラカラ。

「ねぇお嬢さん、この醤油ダレの団子はとても美味しいわね」
店に戻るとすぐ、くだんのお客様が私にニコニコと声を掛けてきた。
「おかわりをお持ちしましょうか?」
「あら! ぜひお願い」
「はい」
この日は幸いお客様が少なく、店内の席にも余裕があった。
店内を切り盛りする私の手にも余裕があって、配膳の傍らや、お会計の合い間など、女性と少し話をした。
「ねぇお嬢さん、日本は便利なところね? どこに行っても接客は丁寧だし、商店はいつでも開いていて買い物にも困らない。それにほら、時間にとても正確。私は日本の配送を利用して驚いたのよ」
女性は日本を「便利」だという。
日本に暮らしていたという女性は、一見の旅行者とは違い、日本の本質に鋭く切り込んでいた。
しかも、ここが彼女の魂の本来の通過点ではないからだろう。女性は三途の川にあって、他の魂よりも、生前の記憶に通じていた。
「便利な日本は、住みやすいところでしたか?」
私は、女性に水を向けてみた。
「うーん、そうね。正直、住みやすいとは思わないわね。正確さを維持する事は、人の余裕を失わせるのかもしれないわ。日本の人達は皆、あくせくと忙しいもの」
身につまされる言葉で、そして日本というところを如実に表していると思った。
「ふふふっ、仰る通りですね。便利になりすぎちゃうと、軋轢も生じてしまうのかもしれません。確かに毎日がとても忙しなくて、皆余裕がないかもしれませんね」
だけどここで『ほほえみ茶屋』を開いているとよく分かる。
ここは生前の全てのしがらみから解き放たれて、魂が集う場所。ここに訪れる誰も彼も、穏やかで優しい人ばかり。
人の本質とは、きっと温かく優しいのだ。
「だけどここは違いますね。時間の流れが緩やかで、とても居心地がいいわ」
女性は穏やかな表情で、窓越しに宙を仰ぐ。
青い瞳にも、ここの景色が同じく映っている事が嬉しかった。
「そう仰っていただけると嬉しいです」
「ところで私は船に乗らなくていいのかしら? 皆さん船乗り場に集まっているようよ……。私は先程も一本、船を見送ってしまっているわ」
間もなく今日、三便目の船が出る。女性以外は、全員が『ほほえみ茶屋』を出て船乗り場に向かっていた。
「はい、ここにいて下さい。お茶を淹れ直します」
「……そう、お手洗いをお借りするわね」
私は空いた湯呑みを取って厨房に戻り、新しくお茶を淹れ直した。
そうしてお茶を手に店内に戻る。客席にまだ、女性は戻っていなかった。
……まだ、お手洗い?
なんとなく胸が騒ぎ、お手洗いの前まで行った。するとお手洗いの扉は青い【空】の表記。
うそっ!?
慌ててノックをして開けてみれば、中はもぬけの殻だった。
「! 船はまだ、出てないよねっ!?」
私は大慌てで店を飛び出し、船乗り場に駆けた。

「本日第三便、出航いたしまーす!」

! 懸人さんの声が上がる。
見れば懸人さんの手が、今まさに係留柱からロープを外すところ!
「懸人さんっ、出さないで! 待って!! 待って下さい!!」
「え!? さ、幸子さん!?」
すんでのところ、私の声を聞き付けた懸人さんが外しかけたロープを戻した。
ま、間に合った!!
「懸人さん助かりました!! この船に異国のお客様が誤って乗船してしまっています! その方を下船させていただきたいんです!」
船に辿り着いた私は、経緯を簡潔に懸人さんに告げた。船の定期運航を妨げる訳には行かない。
ここは懸人さんに協力を仰ぐのが、対処としては最も適切だろう。
「えっ!? ……あ、スカーフの女性っ! 幸子さん、ちょっと待っていて下さい!!」 
懸人さんはまさかと言った表情をした。けれどすぐに、ハッと気付いた様子で、船内に戻っていった。
「幸子さん! こちらのお客様で間違いない!?」
懸人さんはすぐに、中から一人の女性の腕を引いて戻ってきた。女性は顔の造作を隠すように、深くスカーフを被っていた。
けれど一目で分かった。この女性に間違いない!
「その方です!」
そうして女性は、懸人さんの手で船を下ろされた。
「それじゃあ幸子さん、出航時刻を過ぎているから私は行くね」
「はい! 懸人さん、ありがとうございました!」
私は下船した女性の手をしっかりと握り締め、船の出向を見送った。女性は私が握るのと逆の手で、スカーフを取り去った。
女性の金髪が、はらりと宙に舞った。
「……船がいってしまったわ」
女性が寂し気に呟いた。
けれど、どこかぼんやりとした女性の目が、真に寂しいと感じているのかは分からない。
「乗りたかったんですか?」
十夜から頼まれていたけれど、私はどこかで高を括っていたのかもしれない。
だって女性は、生前の詳細な記憶を持たない。
だから船に乗る動機だって持ち合わせてはいないだろうと、そう安易に考えた。けれど女性は、私の目を盗んで船に乗ろうとした。
「夫が乗った船に、私も乗りたかったのよ」
!? 女性の告げた台詞に、私は驚いていた。
「ご主人が日本人だったんですね?」
「そのようね。だって、これにそう書いてあるの」
おもむろに女性が取り出した、一冊の帳面。
それは日記帳か何かだろう。流暢な英文で綴られるそれは、女性がこれと指し示しても、私には判読できない。
「これにはね、夫を亡くした女性の苦悩が綴られているの。その時々の気持ち、他にも労災認定や、慰謝料を求めた裁判の記録なんかもある。最後はね、夫の元に逝きたいって書かれてる。だけど果たして自分は夫と同じ場所に行けるのかって、女性はそれをとても不安に思っていたみたい」
これは執念といえるのだろう。
国境も、言語も、宗教や慣習も越えて、愛情で結ばれた夫婦の絆。
全てを覚えている私とは、少し状況が違う。
けれど確実に、女性は生前の想いに則った道筋を辿っている。
「日本ってまるで杓子定規みたい。キチンキチンって全てを枠に当て嵌めるのだけど、その枠に当て嵌めるために皆が皆、とても無理を重ねてる。夫はまさにその内の一人だった。だけどそんな真面目で勤勉な夫を愛していたの。でも残念、船に乗り損ねちゃったから、私は夫の元にはいけないのかしらね?」
返す言葉に詰まった。
どう返していいのか、見当もつかなかった。
「そんな事はない。貴方は巡り巡る生の中で、またいつか夫と巡り合う」
「十夜!」
後ろから聞こえた十夜の声に振り返れば、そこには十夜ともう一人見知らぬ少年がいた。
!!
ちなみに少年は、金髪碧眼に羽背負って、頭に金の輪っかをのっけている。……言わずもがな、これは天使というやつだろう。
三途の川と天使の共演……これは二目と見られるものではない気がする。
「十夜殿の仰る通りです。国や人種が違えど、人の理は変りません。国や人種で経由する道に多少の違いはありますが、死に人は皆まっさらな存在となって新たな生を受けます。そこでまた、出逢えます」
天使の少年が女性の肩をそっと抱き、諭すように語る。
「同じ道を、行っては駄目なの?」
女性は静かに天使の少年に問いかけた。
「それは上手くありません。絶対に駄目とは申しませんが、それを強行すれば貴方の来世がジリ貧になります。せっかく巡り逢えても夫と幸せにはなれませんよ?」
! ジリ貧!?
天使の少年が語った予想外の台詞に、私の目が点になった。
取り込み中の天使の少年と女性の間に割って入るのは躊躇われ、私は十夜の袖を引いた。
「と、十夜? 今のジリ貧って、どういう事ですか?」
「弔いは死者の魂を彩ると言ったろう?」
それはお母さんを見送った時に、十夜に聞かされていた。
「はい」
それとこれとが、どう関係してくるのか。
「彼女にあてた弔いが、この地には届かんのだ。一切の祝福を受けぬまま転生を果たせば当然その魂は煌かない。その魂はジリジリと貧しくなり、たとえ夫と巡り逢っても幸福にはなれないという事だ」
なるほど! また出逢えたって、幸せになれなければ、それは本末転倒だ。
それはなんとしても彼女の本来の場所から転生を果たして欲しい。
船から下ろせて、本当に良かった!
見れば、女性も同じ事を天使から聞かされたのだろう。女性は納得した様子をしていた。
女性は一言二言天使の少年に告げると、その腕を出た。そうして私に歩み寄ると、躊躇なく私を抱き締めた。
「お嬢さん、なんだか騒がせちゃってごめんなさい。それから、ありがとう。お団子もお茶も、とっても美味しかったわ。さようなら」
頬を寄せて、ポンポンと私の背中を擦る。握手でなく、抱き合っての抱擁がなんとも女性らしい異国風だ。
「私も、お会いできて、色々お話しが出来てよかったです。お達者で、よい旅路を」
私もトントンと抱き返し、微笑んで別れを告げた。
天使の少年とも、会釈を交わす。
そうして抱擁を解くと、女性は天使の少年に伴われ、三途の川に背を向けて歩いて行った。
「あぁ、そうだわ。それからもし、次の世で巡り逢う事があったら、私の開く英会話教室にいらっしゃいな? きっと私、次の世も日本で英会話教室をやっていると思うの。お嬢さんの英語、少し残念よ。それじゃあね」
!!
振り返った女性が、最後の最後に、特大の爆弾を投下した。
思いっきり被弾した私は、身も心も木っ端みじんに砕け散りそうだ。
隣りで十夜が肩を震わせている。
「……十夜、なに笑ってるんですか?」
「いや、笑っていないぞ。……おっと! それより幸子、店に戻らんと客が来ているかもしれないぞ?」
「! やだ、大変!」
慌てて『ほほえみ茶屋』に走る。十夜も、私の一歩後ろを付いてきた。

「……お客様、いませんね」
けれど大急ぎで戻った店内に、お客様はいなかった。
「そうだったか?」
十夜に笑われて、誤魔化されて、……なんだか私は、釈然としない。
「! ほら幸子、可愛い顔が台無しだぞ?」
ぷぅっと膨らませた頬を、十夜がツンツンと突く。
「いいんですよ。どうせ元々、可愛くなんてないんです」
「? 幸子は可愛いだろう?」
!!
膨らませた頬も、一瞬で空気が抜ける。ギョっとして十夜を見れば、正面に見つめる十夜は至極真面目な顔をして、寸分も笑っていない。
恥ずかし紛れに俯いて、慌てて隠してみせたけど、私の頬は熱を持って火照っていた。きっと、真っ赤に染まってる。
「幸子は、可愛い」
そう言って、十夜は私の頭を撫でた。
その後、お客様が来店して私は接客に戻り、十夜も店を出ていった。
……だけど胸の鼓動は、いつまでも鳴りやまなかった。