「いや、逃がさないよ」

 振り返ってみると、さぞ嬉しそうな顔のみなみの姿。しかし目が笑っていない。
 腕には爪が食い込み、意地でも俺を逃がすまいとする意志が痛みとして伝わってくる。

 なんと恐ろしい反応速度だ。たった一歩だぞ、たった一歩踏み出した瞬間に俺が逃げることを察知したというのか。

「さてはお前――最初から俺の狙いを……」
「もちろん! 何年一緒にいると思ってるの?」

 あろうことか、みなみは俺が逃げ出す瞬間を見計らっていたのだ。まるで犯人が行動を起こすまで泳がせている刑事のように。
 切り札に裏切られた瞬間だった。

「ほら、たまにはいいじゃん。誠だって息抜きした方がいいよ」
「いや――」
「いいからいいから。グリップとかガットくらいなら私が奢ってあげるからさ」

 その言葉に僅かに心が揺らいだ。だが、そんな甘言に惑わされてはいけない。みなみに作戦がバレていた以上、ここを逃せばもう抜け出す機会はなくなってしまう。

「物で釣るとはな。俺がそんな手に乗ると思うか?」
「乗るよ。だって誠、毎月のお小遣い五百円じゃん」
「……やめてくれ」

 こら、恥ずかしいからバラすな。
 仕方ないだろ、我が家はまとまったお金が貰えるのは正月くらいで、「そのお金で一年間やりくりしてお金の大切さを学べ」なんていう教育方針なのだから。
 お年玉だってそこまでたくさん貰えるわけじゃないから年中金欠だよ。

「はあ……今日だけだぞ」

 みなみを連れてきたのは完全に人選ミスだ。こいつはおそらく、俺が金欠なのを見越したうえでこの提案をしてきたに違いない。とんでもない悪女だ。