そういえば、屋上の鍵、壊れて空いているんだっけ。いつだったか担任の先生がそんなことを口にしていた気がする。

 放課後、誰もいない屋上前を一瞥してから、私は扉を開けた。
 腰ほどの低いフェンスを乗り越え、下を見下ろす。

 校舎の前を歩いている人たちがまるで蟻のように小さく見えた。ここから飛び降りればすべてが解決する。一歩踏み出せば全てが終わる。

 恐怖はなかった。
 死んだ後のことも、残された家族のことさえもどうでもよかった。

 ただ逃げ出したい。楽になりたい。それだけが頭の中を支配していた。
 よし、行こう。
 覚悟とは違うけれど、これから消えるのだと胸に決めてフェンスから手を離した。

 その時だった。

「やあ」

 どこかから、声が聞こえた。中性的で涼やかな声。
 あたりを見渡してみても人の姿は見当たらない。しかし、代わりと言わんばかりに一匹の白猫が目についた。

 フェンス越し、柵の隙間に手を入れれば容易に撫でることができる至近距離に、その白猫はいた。吸い込まれそうな空色の瞳が綺麗で、つい動きを止めて見入っていた。

「こんにちは、冬木千歳ちゃん」

 目を疑った。というより、耳を疑った。あろうことか目の前の白猫が人の言葉を発しているのだから。