彼にしてみれば些細なことだったのだろう。
 迷っている人に道を教えるとか、すれ違った人の落とし物を拾ってあげるとか、その程度の感覚で私を引き止めたに違いない。

 だからぼろぼろと涙をこぼす私のことがわからなくて焦っているのだと思う。

 でも、彼にとっては小さなことでも、私にとってはたまらなく大きなことだった。

 ただ落とし物を拾ってあげただけ。ただ道を教えただけ。
 しかし、もしその落し物がその人にとっての宝物だったらどうだろう。もしその人にとって大切な場所だったらどうだろう。

 きっとその人たちは些細な親切に対し、大げさなほど感謝するに違いない。

「……ありがとう」

 泣かせてしまったと慌てふためく彼を安心させようとお礼を告げた。

「えっと、大丈夫か……?」
「あ、えっと……これは違うの。その、優しくされたのが嬉しくて……気を遣わせてごめんね、ありがとう。心配しないで」
「そうか。ならよかった」

 彼はほっとしたように息をつくと再び扉の前に座りこんだ。熱心にスマホを眺めているが、時折ちらちらとこちらに視線を配ってきている。立っていないで座ったらどうだ、と言いたげな目だった。

 本人がいいと言ったとはいえ、話したこともない相手の近くに座るというのは根暗な私にはハードルが高い。でもせっかくの親切を台無しにするのも申し訳がない。

 悩んだ結果、私は彼より数段下の階段に腰を落ち着けることにした。