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 どうしようもないオチの物語だが、ここで終わりではない。

 ちょっとした後日譚がある。

 文化祭当日のことだ。

 放送メディア研究部主催のミスコンは全校生徒を一堂に集めて行われる大トリのイベントだった。

 推薦された候補者男女合わせて十名が体育館のステージに上がる。

 候補者の推薦人も後ろに並ぶことになっていて、俺も全校生徒の前でさらし者にされてしまった。

 地味系男子歴イコール年齢の俺だから、視線を浴びることには慣れていない。

 自意識過剰かもしれないが、緊張しすぎて膝がガクガク震えてしまう。

 それに比べたらうちの名探偵殿は堂々としている。

 やはり育ちが違うようだ。

 夏服の生徒たちの中で、一人だけ黒ずくめの団長殿が目立つ。

 萌乃の後ろで顔が真っ赤だ。

 全校生徒と一般の観客で満員の体育館は蒸し暑く、俺なんか額から汗がたれてしまうというのに、あの格好で大丈夫なんだろうか。

 こんなときにチラリと萌乃と目が合ってしまった。

 やめろ、ここで俺に手なんか振るな。

 全校生徒の前で殴られるのは嫌だぞ。

 司会の放送メディア研究部部長がマイクを握って登壇する。

「さあ、皆さんお待ちかね、文化祭最後のイベント! ミステリー・コンテストを開催いたします!」

 場内がざわつく。

 どういうことよ?

 ミスコンだよね。

 ミステリーって?

 それこそミステリーだよな。

 謎、神秘?

 客席のみならず壇上の面々もまったく予想もしなかった展開に困惑している。

 そんなざわつく空気などおかまいなしに司会者が発表する。

「栄えあるミステリー・クイーンはエントリーナンバー四番、左衛門真琴さんです」

 スポットライトが当たり、うちの名探偵殿が一歩前に出る。

 なんだよ、これ。

 出来レースかよ。

 司会者からマイクを渡された名探偵の姫君は客席を見回しながら左手の人差し指を立てた。

「この中に犯人がいます」

 振り向きざまにステージ上の俺たちを指さしたお嬢様は高らかに宣言した。

 いつになく晴れやかな表情だ。

 名探偵なら一度は言う台詞を口にして相当満足したらしい。

 しかし、壇上の俺たちの方は困惑していた。

 犯人って何?

 こんなの聞いてないし。

 俺たち何もしてねえよな。

 おまえ何かやったんじゃねえの。

 んなわけあるかよ。

 つい出来心でってか。

 と、そのときだった。

 候補者の一人、演劇部の橘先輩がステージ中央に出てきたのだ。

「ヨ、ヨクゾミヤブッタナ……。サスガ……、ミッ、ミステリーノジョオウダ」

 こりゃあ、噂通りのすごい大根役者だな。

 しかしサプライズはこれだけではなかった。

 ステージ上手袖にスポットライトが当たり、マイクを持った一人の男性が現れた。

「もう終わりにしよう、橘君。下手な芝居はやめるんだ」

 うわ、それは言わないであげて。

 場内からも失笑が漏れる。

 しかし、次の瞬間、それは一転して大歓声に変わった。

 おい、あれ、湯けむり刑事じゃん!

 ウソ、直木藤人!?

 本人?

 そっくりさんじゃないよね!?

 本物だよ!

 なんで、マジで?

 保護者見学席のおばちゃんたちも総立ちでキャーキャー声援を送っている。

 収拾がつかないまま司会者が声を張り上げた。

「本日のサプライズゲスト! 我が校が誇る湯けむり刑事宇神田金剛役、直木藤人先輩です!」

 盛大な拍手で迎えられ、イケメン俳優がステージ中央に歩んでくる。

 さすがに今日は丸腰ではないし、湯けむりスモークも流れてこない。

 しかし、やはり人気俳優だけあって、長身で脚の長さが際立つ細身のスーツがよく似合っている。

 うちの名探偵殿は両手で口を押さえながら大きく目を見開いて固まっていた。

 お嬢様の隣に並んで、直木藤人が右手の人差し指を立てると、ざわついていた場内がようやく落ち着いてきた。

「では、私の方から鍋高祭ミス&ミスターコンテストの結果を発表します」とイケメン俳優がイベントを仕切り出す。「ミスター部門の優勝者は二連覇を達成した橘君! 君だ!」

 舞台上で大根部長がペコペコ頭を下げている。

 どうもアドリブにも弱いらしい。

 続いてスピーカーからドラムロールが鳴り響く。

 宇神田警部補が候補者の一人を指さした。

「そして、ミス鍋高祭は……高橋萌乃君。君が鍋高祭ミス部門の優勝者だ」

 ファンファーレが鳴り響き、客席から歓声が上がる。

 萌乃が優勝?

 マジかよ。

 手を振りながらステージ中央に歩み出る萌乃に対して、客席から三三七拍子が沸き起こる。

 推薦人の団長殿まで壇上で両手に扇を広げて三三七拍子を盛り上げていた。

 も・え・の!

 も・え・の!

 ピッピッピッピッピピピ!

 なんだよ、応援団は全員左衛門派だったんじゃないのかよ。

 あいつがどうしてこんなに人気があるのか俺にはさっぱり理解できないんだが。

 授賞式でも始まるのかと思ったら、意外な展開が待っていた。

 湯けむり刑事がかたわらのお嬢様にトレードマークの手ぬぐいを渡したのだ。

「ミステリー・クイーンの左衛門真琴さん。さあ、この手ぬぐいで容疑者を確保だ」

 夢見る乙女のような表情で二本の手ぬぐいを受け取ると、うちの名探偵殿がステージ中央の二人に歩み寄った。

 大根役者の橘先輩が両腕を前に伸ばしておとなしく縛られる。

 次に萌乃を手ぬぐいで縛って逮捕したところで、場内が暗転した。

 明るさに慣れた目が闇の深さに対応しきれない。

「オーッ、ホッホッホッホッ、ホォーッ」

 スピーカーからボイスチェンジャーの不気味な声が響き渡り、客席から悲鳴が上がる。

「よくぞ見破ったわね。さすがはミステリー・クイーンと湯けむり刑事の名探偵コンビ。でも、ここまでよ。ミス鍋高祭の座は美少女怪盗高橋萌乃がいただいていくわ!」

 ライトが復活して再びステージが照らされたとき、萌乃のいた場所に立っているのは俺だった。

 実は、暗転している間に萌乃が俺を引っ張り出して入れ替わっていたのだ。

 事情が分からなくてもたもたしている俺の背中を無理矢理押し出して、あいつは手ぬぐいを預けて逃げたのだ。

 イリュージョンでもなんでもないが、客席からは盛大な拍手がわき起こる。

 俺は俺でガチガチに緊張して、ただ立っていることしかできない。

 橘先輩以上の大根役者だ。

 左衛門のお嬢様が俺から手ぬぐいを取りはずす。

「まあ、なんということでしょう。名探偵の助手ともあろう者が、まんまと怪盗に逃げられるとは」

 宇神田金剛警部補が左衛門のお嬢様の前に立つ。

「まあいいではありませんか。今日は温泉を血で染めることなく済んだのですから」

「はい」とイケメン俳優を見上げる姫君の頬はいつになく紅潮し、目には涙が浮かんでいる。

 なんなんだよ、この芝居。

 いくらラブコメだからって滑りすぎだろう。

 だが、本物の直木藤人のおかげで、場内は大盛り上がりだった。

 イケメン俳優なら何でもありなのだ。

 直木藤人が客席に向かって手を振りながらステージ中央に立つ。

「さて、お集まりいただいた皆さん。謎解きをいたしましょう」

 何の事件も起きてないんだが。

 ていうか、あなたの登場が一番の謎ですよね。

「まずは放送メディア研究部の部長さんにお礼を。今日は私のために急遽企画を変更してくださってありがとうございました」

 司会の部長さんに向かってイケメン俳優が頭を下げる。

 そして客席に向き直って話を続けた。

「二十年前、私はこの高校の生徒でした。文化祭のこのイベントでミスター鍋高祭グランプリに選ばれたことがきっかけで私も芸能界に進むことになったわけですが、実は、当時の私はとても人前に出るような積極的なタイプではなかったんですね。そんな私をミスター・コンテストに推薦してくださったのが、今教頭を務めていらっしゃる左衛門先生でした。今の私があるのも恩師のおかげです」

 教員席の教頭先生にスポットライトが当たる。

 つるつるの頭が乱反射して後光が差しているかのようだ。

 そして、次の瞬間、信じられないことが起きた。

 超イケメン人気俳優直木藤人がステージ上のうちの探偵殿に歩み寄って、なんと肩を組みやがったのだ。

 姫君は人目もはばからず泣き出してしまった。

 なんだよ、そんなにうれしいのかよ。

 うちの探偵がこんなに乙女なはずがないんだがな。

 狙撃班はどうしたんだ。

 防犯警報も流れないじゃないか。

 イケメンの魅力は左衛門一族の影響力も跳ね飛ばすらしい。

「今日は恩師の姪御さんと共演できて大変光栄でした」

 スピーカーから哀愁を帯びた曲が流れ始める。

 どうやら湯けむり刑事シリーズのエンディングテーマらしい。

「みなさま、お楽しみいただけましたでしょうか」と、司会者がまとめに入った。「ここで、本日のサプライズゲスト、直木藤人先輩から皆様にお知らせがあります」

 宇神田警部補が手ぬぐいを肩にかける。

「湯けむり刑事第八シーズンの放送が決定しました。本日から情報解禁です。九月放送開始に向け、現在、順調に撮影が進んでおります。皆様ぜひお楽しみに」

 番宣かよ。

 結局、それが目的だったってわけか。

 しかし、保護者席のおばちゃん達からはどよめきと歓声が沸き起こり、うちの名探偵殿も涙をぬぐいながら見たことのない笑顔を浮かべていた。

 司会者が再び中央に歩み寄る。

「先輩、どうもありがとうございました。みなさま、あらためて宇神田警部補に拍手を!」

 うちの探偵殿とあらためて握手を交わし、沸き起こる拍手に手を振って答えながらイケメン俳優がステージ袖にはけていく。

 左衛門のお嬢様の視線がイケメン俳優の背中を名残惜しそうに追っていた。

 よかったじゃないか、あこがれの人に会えて。

 今度から、消しゴムには温泉の地図記号でも書いておけよ。