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 放課後、いつもどおり萌乃が俺達のクラスにやってきた。

「これ、おまえのだろ」と俺は消しゴムを差し出した。

 だが、どういうわけか萌乃は受け取ろうとしなかった。

「どうしてあたしのだと?」

「中に『タカハシ』って書いてあったから」

 左衛門のお嬢様がおもむろに立ち上がる。

「わたくしにも見せてくださいな」

 探偵の姫君は俺から消しゴムを受け取ると、ケースを外して中を確かめた。

「なるほど、そういうことですか」と、姫君が左手の人差し指を立てる。

 やっかいな迷推理が飛び出さないといいんだが。

「消しゴムに名前を書く理由は二つあります」

 二つ?

「持ち主を示すため以外に、何かあるか?」

「想い人の名前を書いておまじないにするのです」

 想い人って、好きなやつってことだよな。

 まさか今時、小学生でもそんなことしないだろうと言おうとしたが、いたよ、目の前に。

 うちの探偵殿は『ワトソン』に憧れているんだったな。

 いやしかし、それはあなたが変人だからでしょうと言いたいけど、言えるわけがない。

 そんな俺の葛藤など無視するように名探偵の姫君が人差し指を振った。

「これは非常に重要な手がかりです。プロファイリング理論から結論を導き出せば、それだけピュアな乙女心を持った恋に恋する女子高生。または、相手の鈍感さにじらされている幼なじみといった役どころでしょうか」

 萌乃が手をたたく。

「当たってる! さすがは名探偵。ミステリー・コンテストの優勝候補者だね」

 おだてるなよ。

 苦労するのは俺なんだからよ。

 それに、ミステリー・コンテストじゃなくて、ミスコンだぞ。

 文化祭本番までに誤解を解ける気がしないよ。

 しかし、プロファイリングなんて専門用語が出てきただけで、なんだか急に、冷やし中華風探偵が北京ダッグみたいになったぞ。

 食ったことはないんだけどな。

 名探偵殿の推理は続く。

「これはダイイングメッセージのようなものでしょう」

 誰も死んでいないのに?

「どういうことだよ」

「つまり、誰かが誰かに何かを伝えようとして、この消しゴムが使われたということです」

 何のことだかさっぱり分からない。

「誰かに何をって、誰が?」

「直接言うのは面倒だから察してほしいということです」

 ますますわけが分からない。

「漠然としすぎていて、推理になってないと思うんだが」

 名探偵殿は左手を下ろして、じっと俺を見据えた。

「真相が分かれば、プライバシーには口を挟まない。野暮な勘ぐりは探偵の領分ではありません。それで良いではありませんか」

 いいのかねえ。

 俺には何のことだかさっぱりだ。

「じゃあ、結局、この消しゴムはどうしたらいいんだよ」

「持ち主が名乗り出ることはないでしょうから、この消しゴムは優一郎殿が持っていれば良いのではありませんか」

「なんでよ」

「その方がきっと持ち主も喜ぶでしょう。来月の期末試験に向けて、この消しゴムを使い切るくらい勉強に励めば、きっと良い成績がとれるのではありませんか」

 正論過ぎてぐうの音も出ない。

 あんた探偵なんかやめて教師になれよ。

 絶対そっちの方が向いてるって。

「それよりも、萌乃さん、下校の際にお見せしたい物があります」

 左衛門のお嬢様は俺達を連れて廊下を歩いていく。

 玄関口横の掲示板までくると、立ち止まって振り向いた。

 そこにはミスコン候補者の推薦状が張り出されていた。

 ミス部門に六名、ミスター部門に四名の候補者が出場するらしい。

 俺が署名したうちの名探偵殿の推薦状もある。

「さすがはマコっちゃん」と萌乃が探偵殿をほめたたえる。

「当然ですわね」と、うちの探偵が鷹揚にうなずく。

 謙遜のかけらも見せないところがすがすがしい。

「あんたもやっぱりマコっちゃんのこと応援してるんじゃん。助手の鑑だね」と、萌乃が俺の背中をたたく。

 まあ、そのせいでいろいろあったから、今日の俺は燃えかすのようなんだけどな。

 それにしても、今のパンチ、かなり痛いんだが。

 おまえ、グーでやらなかったか?

 背中をさすりながら掲示板を眺めていると、奇妙な用紙を発見した。

「なんだよ、これ、おまえも出るのか?」

『高橋萌乃』と書かれた用紙が張り出されているのだ。

 しかも、推薦人の欄には応援団長殿の署名が記されている。

 団長殿がうちの探偵殿を推薦できなくて困っていると言っていたのは、こういうことだったのか。

 左衛門のお嬢様が推薦状の名前を指さす。

「応援団長殿に、こちらは生徒会長殿、それに男性部門に出場する演劇部の橘殿も萌乃さんの推薦人ですね」

 ああ、あの大根役者の先輩か。

「学内の有力者を取り込むとは、なかなか手強いライバルですね」

「本命のマコっちゃんにはかなわないよ。誰もが認めるミステリー・クイーンなんだから。あたしは盛り上げ役ってことで」

 いつになく萌乃がヨイショしている。

 うちの名探偵殿もうなずく。

「どちらが本物のミステリー・クイーンか。正々堂々戦いましょう。文化祭が楽しみですわね」

 どうやら闘志に火がついて、誤解を解くどころではないようだ。

 まったく困った名探偵殿だよ。