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英語の小テストの結果は納得のいかないものだった。
俺の点数ではない。
隣の名探偵の姫君のことだ。
あんなチラシの内容も勘違いするくせに、英単語テストは満点だったのだ。
「ふだんから練習しておけば良いではありませんか。あらかじめ日時と出題範囲は指定されているのですから」
正論ですけどね。
なんだろう。
この人に言われると理不尽としか思えない。
燃え尽きた俺が休み時間にトイレに行こうと廊下を歩いていたら、高橋萌乃に鉢合わせた。
化学の教科書と筆記用具を持って実験室に移動中だったらしい。
俺の顔をのぞき込んで首をかしげる。
「なによ、あんたどうしたのよ。疲れ切った顔して」
理由その一、おまえのイタズラのせい。
理由その二、おまえと団長殿のせい。
理由その三、うちの探偵のせい。
一つ目の理由については、悪かったわねの一言でスルーされたが、二つ目に関連して俺は気になったことを尋ねた。
「なあ、おまえ、この学校に好きなやつなんているのか?」
「いるよ」
え、マジで?
意外とあっさり認めるんだな。
「誰だか知りたい?」
「いや、べつに」
「何よ、自分で聞いておいて。少しは興味持ちなさいよ」
萌乃が俺の脇腹に肘を押しつけてくる。
「何するんだよ」
「なんでもないわよ。ごめんなさいよーだ」
三つ目の話は萌乃も頭を抱えていた。
「うわー、ミステリー・コンテストとは、またベタな勘違いだね」
「どうしたらいい?」
「あたしは美少女怪盗だから関係ないもん」
ああ、そうですか。
役に立たない怪盗だよ、まったく。
美少女でもないくせに。
と、そんな立ち話をしていると、視界の隅に黒ずくめの一団が目に入った。
応援団の連中が廊下の端からこちらに向かって歩いてくる。
やばい。
萌乃と一緒にいるところがばれたらこの学校にいられなくなる。
俺の顔色に気づいたのか、萌乃が振り向こうとする。
「見るな!」
小声で言う俺を見て萌乃がにやける。
「え、なんで?」
「説明は後だ」
俺は萌乃と同じ方向に歩き出した。
「なんであんたまでこっちに来るのよ。あんたは化学じゃないでしょうよ」
「とりあえず、逃げるんだ。角を曲がるところまで」
「なによ、美少女怪盗はあたしでしょう。あんたが怪盗みたいじゃん。怪盗はイケメンじゃないとサマにならないでしょうよ」
よけいなお世話だ。
危険回避だって探偵の助手に必要な能力というものだ。
まあ、俺だってべつに探偵の助手になったつもりはないんだがな。
渡り廊下の角を曲がったところでいったん立ち止まる。
萌乃がスマホの画面を見て首をかしげている。
「あんた何かやらかしたの?」
画面には応援団の連中が写っていた。
廊下を歩きながらスマホで後方を撮影していたらしい。
とっさにそんな機転が利くなんて、おまえの方がよっぽど名探偵みたいじゃないかよ。
「おまえのせいだよ」
「なんでよ」
「話は後で。とにかく今は行ってくれ。早く」と俺は萌乃の背中を押した。
「なによ、もう!」と俺の手に一発パンチをたたき込んでから萌乃は渋々去ってくれた。
と、ちょうどそのときだ。
「おい、タカハシイ!」と、背中から声をかけられた。
うわっ、またかよ。
「は、はい。なんでしょうか」
振り向くとそこには黒ずくめの一団が勢揃いしていた。
団長殿が一歩間合いを詰めてきて、拳を突き出す。
やっぱり萌乃と一緒にいたのがばれてたのか。
俺は思わず目をつむった。
しかし、どうも違ったらしい。
「これ、おまえんだろ。今ここで拾ったんだ」
は?
目を開けると、団長殿の拳が芙蓉の花のように開き、中から消しゴムが現れた。
え?
俺、消しゴムなんて落としてないですけど。
「中に名前が書いてあったぞ。ほらよ」
ケースをずらすと、確かにシャーペンの薄い筆跡で『タカハシ』と書かれていた。
さっきうちの探偵がこの学校には高橋は二人しかいないって言ってたよな。
俺のじゃないってことは、萌乃のってことか。
さっき急がせたから落としてしまったんだろうか。
ここは素直に受け取っておいて、あとで渡しておくことにしよう。
とにかく、この場から早く逃げ出したい。
「ありがとうございます。いやあ、探してたんですよ。アハ、アハハ」
団長殿が俺の肩をポンポンとたたく。
「いいってことよ、兄弟」
キョウダイ?
「それよりよ、一つ頼みがあるんだが」と団長殿が俺に一枚の紙切れをつきつけた。「文化祭のミスコンなんだけどな。推薦状に署名してくれねえか」
候補者の氏名欄には『左衛門真琴』と書かれている。
うちの探偵?
「なあ、キョウダイ、おまえは左衛門のお嬢様の身内だよなあ?」
ミウチってどういう意味でしょうか。
しかし、ここはあえて否定する必要はないだろう。
「ええ、まあ、同級生ですね」
「じゃあ、名前書いてくれや。五人分集めなくちゃならなくてよ」
正直、あのお嬢様が勘違いしている方のミステリー・コンテストならともかく、本来の意味のミスコンにふさわしいとは思えない。
それに、別に俺じゃなくても、団員が十五人もいるじゃないですか。
「他の団員の人たちでもいいんじゃないですか?」
無駄なあがきとは分かっていても最後の抵抗だ。
団長殿が俺の肩をがっしりとつかんだ。
「そりゃあもちろん、全員左衛門派だけどよ。なるべく他にもたくさん支援者を集めた方がいいだろうが。票集めってやつだよ」
そのわりに、推薦状には団長殿の名前が書かれていない。
「センパイはどうして署名してないんですか」
「それはだな、俺はその……、もう他の候補者を推薦しちまっててよ。二重応募は不正になるからできねえんだよ。それで困っちまっててさ」
なんだそりゃ。
だったら別にうちの探偵なんかに関わらなければいいのに。
団長殿がため息をつきながらスマホを取り出す。
「ついさっき、アフリカの左衛門先輩から電話が来てよ。衛星回線の都合で切れちまって、後でこのメールが届いてさ」
アフリカ?
衛星回線?
『ミスコンにうちのかわいい従妹を推薦してやってくれ。よろしく』
やっぱりイトコンだったらしい。
しかし、そんなことよりも、添付写真に目が釘付けになってしまった。
ライオンの首に片手を回した自撮り写真だ。
野生動物ってライオンのことかよ。
それにしても素手で押さえ込むって、無茶苦茶だろう。
「これ、CGとか剥製じゃないですよね」
「馬鹿野郎。左衛門先輩だぞ。野性の本能で感じ合うんだよ。百獣の王だろうがマンモスだろうが強い者の前では絶対服従が自然の掟ってもんだろ」
「え、でも、腕相撲が弱いって……」
「馬鹿か、おまえ。腕相撲なんかとんでもねえよ。組んだ瞬間に手首折られるぞ。マッチ棒よりやべえよ」
左衛門一族の力は財力、権力だけでなく、物理的な力にまで及ぶとは。
そしてその食物連鎖の頂点に立つのがうちの探偵殿ということか。
ため息しか出てこない。
団長殿が俺の首に腕を回してきた。
あの、俺、ライオンでも何でもないですけど……。
「なあ、いいだろ、キョウダイ。協力してくれよ。マジでやべえんだって、な」
高校の廊下で失神したくないし、マッチ棒みたいにもなりたくなかったので、俺は不本意ながら同意した。
まあ、うちの探偵殿に貸しを作っておくのも悪くはないからな。
俺は廊下の窓ガラスを下敷きにしながらなるべく下手くそな字で署名した。
「おう、サンキュー、キョウダイ」と団長殿が俺の肩をポンポンと叩く。
アハハ、お役に立てて何よりですよ、アハハ。
「ようし、行くぞ」
ウィッス!
団長殿の号令に全員が呼応して、一団が去っていく。
あの人たちは休み時間ごとにああやって集まって校内を巡回しているんだろうか。
黒い背中を見送っていると、チャイムが鳴ってしまった。
そうだ、トイレに行く途中だったんだ。
今日は災難つづきだよ、まったく。