六月の下旬だが、朝から気温が三十度を超えていて、雨が降ってもこれぞまさに焼け石に水状態の毎日だ。

 地球温暖化どころか灼熱化と言った方がいいんじゃないかというレベルだ。

 教室にはエアコンがついていて、フル稼働しているはずなのに汗が止まらない。

 そんな中、俺の右隣の女子は涼しげな顔でなにやらノートに書いている。

 昼飯前の地理の授業中だが、黒板には何も書かれていないから落書きということになる。

 それくらいの推理は名探偵の助手でなくても当然だ。

 名探偵って?

 俺の右隣の席に座る女子、左衛門真琴のことだ。

 中学からの同級生なんだが、高校に進学した途端、『今日からわたくしは名探偵になろうと思います』なんてのたまいだしたのだ。

 冷やし中華じゃあるまいし『名探偵始めました』ってなんだよ。

 そのうち、『夏こそ、密室』なんてポスターが廊下に張り出されそうだ。

 一人でやってくれるならどうぞご自由になのだが、どういうわけか勝手に俺を助手として巻きこもうとしているんだから勘弁してほしい。

 彼女は左利きで、そのくせして消しゴムをいつも机の左側に置くから、ものを書くたびに手が当たって消しゴムが落ちる。

 それを拾ってやるのも俺の役目なんだが、だからってくだらない探偵ごっこにまでつきあわされるのはたまったものではない。

 だが、うっかり遊びなんて口にしたらとんでもないことになる。

「遊びとは何事ですか、真面目にやらないとクビですよ」

 クビにしてくれた方がありがたいのだが、左衛門一族はこの街の名家だから、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

 おまけに、その消しゴムにはなぜか『ワトソン』と書かれている。

 今時、消しゴムに好きなやつの名前を書くなんて小学生でもしないだろうけど、そもそもなんでそこは『シャーロック・ホームズ』じゃないんだろうか。

 そんなツッコミどころだらけの自称『冷やし中華風』名探偵殿は、さっきから手を止めることなく文字を書き連ねている。

 左利きだから、左隣の俺からは手が邪魔で何が書いてあるのかは分からない。

 こういう場合、たいてい『何を書いたか当ててご覧なさい。当て推量は認めませんよ』なんて言って俺を試すんだ。

 俺の視線に気づいたのか、左衛門のお嬢様がこちらに顎を向けた。

 偉そうな態度のようだが、生まれつきの育ちの良さで、まったくそのような雰囲気はない。

 今日はどういうわけか推理させるのではなく、ノートを俺の方に突き出してきた。

 読めと言っているらしい。

 なんだか面倒なことになりそうだ。

『あなたが今これを読んでいるということは、わたくしはもうこの世にはいないのでしょう』

 ちょっと、なんだよ、これ。

 名探偵気取りのお嬢様が鷹揚にうなずく。

「ダイイング・メッセージです」

 いや、これ遺書だろう。

 しかも、一番ベタなやつ。

 それに、今、まだこの世にいるのに、俺に見せたら台無しだろ。

 ツッコミどころが多すぎて困る。

 授業中なので本当はしゃべらなくてもいいのだが、無視するわけにもいかないのでなるべく小声で返事をしておく。

「それが何か?」

 左利きの名探偵殿が人差し指を立てた。

「日々の研鑽です。名探偵たる者、事件のない時も事件を忘れてはいけません」

 忘れちまえよ。

 今は授業に集中しろ。

 ヨーロッパ連合の前身であるヨーロッパ共同体について先生が説明しているところじゃないかよ。

 まあ、俺の方も、中学の時にEUを『ヨU』なんて書いてしまったくらいだから、あんまり偉そうなことは言えないのだが。

「で、その意味は?」

「意味ですか?」

「いや、あの、ダイイング・メッセージっていうのは、被害者が犯人のヒントを伝えるために残す物じゃないんですか」

「ですから、それを示す前に息絶えてしまったのです」

 じゃあ、意味ないじゃないかよ。

 なんなんだよ、これ。

 そんな前置きどうでもいいから、ズバリ犯人の名前を書けば良かったじゃないかよ。

「おい、高橋! うるさいぞ!」

 雷が直撃だ。

「いえ、犯人は俺じゃありません」

 俺の間抜けな返事が教室を凍りつかせ、先生の怒りに油を注いだ。

「さっきからしゃべってるのはおまえだろうが!」

 ごもっともです。

「はい、すみませんでした」

 とんだとばっちりだよ。

 俺よりも、むしろ隣の迷探偵殿が犯人なんだけどな。

 まあ、探偵が犯人というのは推理小説では一番ダメなトリックだから、助手の俺が責任を持って犯人役を引き受けるしかないのだろう。

 そもそも俺だって助手になったつもりはないんだがな。

 でも、この学校では左衛門の姫君に関わりたい者などいないから、俺がすべての面倒を引き受けなくてはならないのだ。

 まったく困ったお嬢様だよ。