そういうわけで、本格的に練習を始めるまでに時間がかかった。
牛富先輩はしばらく笑い転げていたし、文徳先輩は煥先輩をからかい続けていたし、ブログ担当の雄先輩はスマホにメモを取っていたし。
最終的に、亜美先輩が男四人を取りまとめた。「いい加減にしな」って叱咤して、頭を抱える煥先輩をマイクの前に立たせて、とりあえず事態収束。
「ほら、さっさと練習始める! 昨日のライヴの反省点、覚えてるよね? 一つずつ潰していくよ!」
ライヴの反省点は、活動記録のブログとは別の、鍵のかかったブログで共有しているんだって。いくつかの項目を確認し合ううちに、みんなの表情が引き締まってくる。
亜美先輩と牛富先輩が、提案されたリズムフレーズを合わせてみる。文徳先輩が雄先輩のシンセサイザーの音色に指示を出す。煥先輩はイヤフォンを付けて目を閉じて、歌の世界に入っていく。
しばらくそんな時間が流れた。それぞれの楽器が自分の音色を確かめながら、次第にゆるゆると、誰からともなく歩み寄っていく。
煥先輩がイヤフォンを外した。アイコンタクトが飛び交った。文徳先輩がキャッチ―なフレーズを弾き始めて、それが合図だった。
曲が始まった。
瑪都流の結成当時から演奏してきた、と昨日のライヴで聞いた曲だ。文徳先輩が初めて作曲して、煥先輩が初めて詞を書いた思い出の唄《うた》だという。
ギリギリのところで揺れる心そのものみたいな、攻撃的で繊細で泥だらけでキラキラした、アップテンポのロック。
生のドラムが全身にビリビリと響く。高音質のシンセサイザーがまばゆい音色を放つ。昨日のストリートライヴでは聴けなかった二つの楽器の叫びを、わたしは初めて体感している。
密閉された部屋の中では、音が空に吸い込まれる野外とは、すべての楽器の響き方が全然違う。ベースの存在感は太くて、おなかの底を揺さぶられる。ギターの高鳴りは、生き物の咆哮みたいに躍動的だ。
何より、煥先輩の声に圧倒された。同じ狭い空間でその声を聴けるのは、この上ないぜいたくだ。
透明感と野性味が重なり合う声だ。硬質で、だけどしなやかで。十分に低くて、でも少年的で。美しいという一言でくくってしまうのは、なんだか違う。尖った何かを秘めた、独特の気品と気迫が、聴く人の胸にまっすぐに突き刺さって、そして柔らかく染み入ってくる。
小夜子は煥先輩だけを見つめている。煥先輩は、どこでもないどこかを向いている。ひねくれた優しさを歌う正直なまなざしは、銀色の前髪に隠れがちだ。その前髪にいつしか宿った汗のしずくが、ふとした瞬間、キラリと弾ける。
瑪都流《バァトル》の意味をライヴのMCで聞いた。バァトルとは、勇者だ。ユーラシア大陸に伝わる古い言葉らしい。
その昔、バァトルの称号を贈るのには、敵も味方もなかったという。バァトルは勝者に限らない。誰よりも強く誇り高く、命を懸けて戦う者こそが、勇者と呼ばれるにふさわしい。
瑪都流の面々は、何曲か続けて、通しで練習した。その後、それぞれ自分のパートを練習し始める。
あれをやろうこれをやろうっていう指示があるわけじゃなかった。同じリズムで、暗黙の了解で、全員が動いている。
文徳先輩がギターケースから一冊のファイルを取り出して、それを手に、わたしたちのところへ来た。
「退屈してない?」
「そんなことないです」
文徳先輩はわたしにファイルを手渡した。
「これ、煥が書いた詞。読んでやってよ」
わたしと小夜子は目を見合わせて、ルーズリーフが綴《と》じられたファイルを開いた。
煥先輩の書く字を初めて見た。キレイな字とはいえない。ちょっと幼い印象だ。でも、一字一字、丁寧に刻み込むように書かれている。
綴じられた中でいちばん上にあるのは、新曲の歌詞だった。タイトルは『(仮)ディア・ブルームーン』が二重線で消されて、『ビターナイトメッセージ』という決定版が書き添えられている。
文徳先輩が詞の一ヶ所を指差した。サビの終わりのほうだ。
「青い月のフレーズ、ここがなかなか決まらなかったんだ。流れ星とか、天の川とか、ダークマターとか、煥もいろいろ試してたんだけど」
青い月よ 消えないで
この胸の叫びは飼い慣らせないから
十六日のライヴでは、二回披露した。わたしは合計四回、聴いたことになることになる。印象的なサビはもう覚えていた。
口ずさんでみたとき、小夜子と声が重なった。小夜子も覚えているんだ。
文徳先輩がニッコリした。
「女の子の声で聴くと、やっぱり違うね。華やかになるよな」
小夜子は首を左右に振った。
「煥さんの声じゃなきゃダメです。青い月って、あの切ない声が忘れられません。月を探すみたいに、空を見て歌ってましたよね。その姿も、涙が出そうなくらいステキでした」
小夜子の黒い瞳に光が躍っている。
牛富先輩はしばらく笑い転げていたし、文徳先輩は煥先輩をからかい続けていたし、ブログ担当の雄先輩はスマホにメモを取っていたし。
最終的に、亜美先輩が男四人を取りまとめた。「いい加減にしな」って叱咤して、頭を抱える煥先輩をマイクの前に立たせて、とりあえず事態収束。
「ほら、さっさと練習始める! 昨日のライヴの反省点、覚えてるよね? 一つずつ潰していくよ!」
ライヴの反省点は、活動記録のブログとは別の、鍵のかかったブログで共有しているんだって。いくつかの項目を確認し合ううちに、みんなの表情が引き締まってくる。
亜美先輩と牛富先輩が、提案されたリズムフレーズを合わせてみる。文徳先輩が雄先輩のシンセサイザーの音色に指示を出す。煥先輩はイヤフォンを付けて目を閉じて、歌の世界に入っていく。
しばらくそんな時間が流れた。それぞれの楽器が自分の音色を確かめながら、次第にゆるゆると、誰からともなく歩み寄っていく。
煥先輩がイヤフォンを外した。アイコンタクトが飛び交った。文徳先輩がキャッチ―なフレーズを弾き始めて、それが合図だった。
曲が始まった。
瑪都流の結成当時から演奏してきた、と昨日のライヴで聞いた曲だ。文徳先輩が初めて作曲して、煥先輩が初めて詞を書いた思い出の唄《うた》だという。
ギリギリのところで揺れる心そのものみたいな、攻撃的で繊細で泥だらけでキラキラした、アップテンポのロック。
生のドラムが全身にビリビリと響く。高音質のシンセサイザーがまばゆい音色を放つ。昨日のストリートライヴでは聴けなかった二つの楽器の叫びを、わたしは初めて体感している。
密閉された部屋の中では、音が空に吸い込まれる野外とは、すべての楽器の響き方が全然違う。ベースの存在感は太くて、おなかの底を揺さぶられる。ギターの高鳴りは、生き物の咆哮みたいに躍動的だ。
何より、煥先輩の声に圧倒された。同じ狭い空間でその声を聴けるのは、この上ないぜいたくだ。
透明感と野性味が重なり合う声だ。硬質で、だけどしなやかで。十分に低くて、でも少年的で。美しいという一言でくくってしまうのは、なんだか違う。尖った何かを秘めた、独特の気品と気迫が、聴く人の胸にまっすぐに突き刺さって、そして柔らかく染み入ってくる。
小夜子は煥先輩だけを見つめている。煥先輩は、どこでもないどこかを向いている。ひねくれた優しさを歌う正直なまなざしは、銀色の前髪に隠れがちだ。その前髪にいつしか宿った汗のしずくが、ふとした瞬間、キラリと弾ける。
瑪都流《バァトル》の意味をライヴのMCで聞いた。バァトルとは、勇者だ。ユーラシア大陸に伝わる古い言葉らしい。
その昔、バァトルの称号を贈るのには、敵も味方もなかったという。バァトルは勝者に限らない。誰よりも強く誇り高く、命を懸けて戦う者こそが、勇者と呼ばれるにふさわしい。
瑪都流の面々は、何曲か続けて、通しで練習した。その後、それぞれ自分のパートを練習し始める。
あれをやろうこれをやろうっていう指示があるわけじゃなかった。同じリズムで、暗黙の了解で、全員が動いている。
文徳先輩がギターケースから一冊のファイルを取り出して、それを手に、わたしたちのところへ来た。
「退屈してない?」
「そんなことないです」
文徳先輩はわたしにファイルを手渡した。
「これ、煥が書いた詞。読んでやってよ」
わたしと小夜子は目を見合わせて、ルーズリーフが綴《と》じられたファイルを開いた。
煥先輩の書く字を初めて見た。キレイな字とはいえない。ちょっと幼い印象だ。でも、一字一字、丁寧に刻み込むように書かれている。
綴じられた中でいちばん上にあるのは、新曲の歌詞だった。タイトルは『(仮)ディア・ブルームーン』が二重線で消されて、『ビターナイトメッセージ』という決定版が書き添えられている。
文徳先輩が詞の一ヶ所を指差した。サビの終わりのほうだ。
「青い月のフレーズ、ここがなかなか決まらなかったんだ。流れ星とか、天の川とか、ダークマターとか、煥もいろいろ試してたんだけど」
青い月よ 消えないで
この胸の叫びは飼い慣らせないから
十六日のライヴでは、二回披露した。わたしは合計四回、聴いたことになることになる。印象的なサビはもう覚えていた。
口ずさんでみたとき、小夜子と声が重なった。小夜子も覚えているんだ。
文徳先輩がニッコリした。
「女の子の声で聴くと、やっぱり違うね。華やかになるよな」
小夜子は首を左右に振った。
「煥さんの声じゃなきゃダメです。青い月って、あの切ない声が忘れられません。月を探すみたいに、空を見て歌ってましたよね。その姿も、涙が出そうなくらいステキでした」
小夜子の黒い瞳に光が躍っている。