――ときどき、妙な夢を見る。
夢の中のオレは、現実のオレにそっくりだ。銀髪の悪魔と呼ばれているし、ひねくれ者で、バンドマンで、兄貴にだけは、どうもかなわなくて。
でも、一つだけ違ってる。夢の中のオレは超能力者だ。光のバリアを張って、銃弾を防いだりする。
ガキっぽい夢だ。でも、実は相当、気に入ってるのかもしれない。しょっちゅう見てるんだ、その夢。一度や二度じゃなくて、数えきれないくらい何度も。
何の映画の影響なんだろう? バリア、か。本当に使えれば、ケンカの役に立つか?
そんなもんなくても、オレは強いんだが。
夕暮れどきを川沿いで過ごすのが好きだ。五月に入って、気候も温かくなった。
川沿いは、芝生敷きの広場だ。平日の昼は、年寄りや主婦の散歩コース。休日になれば、子どもらの遊び場。
でも、昼間だけだ。西日が差し始めると、変わる。すっと、ひとけがなくなる。
左耳のイヤフォンが鋭いギターを鳴らした。フィニッシュを待たずに、オレは音楽プレイヤーの電源を切る。
感じる。気配と音を。
バイクのマフラー音は、まだ遠い。足音が近い。オレは振り返った。赤い特攻服の連中がいた。ざっと数える。十三人。
オレの背後から忍び寄る予定だったらしい。それより先に、オレが気付いた。連中は開き直った。走って距離を詰めてくる。手に手に武器を持っている。
あの悪趣味な赤は、隣の町のやつらだ。
「煥、あいつら面倒だぜ! 気を付けろ!」
背の高い男がオレに注意を促しながら、駆けてくる。少し遅れて、二人。全員、襄陽の生徒だ。オレは背の高い男に向き直った。顔を見たことある気がする。
「キョトンとするなよ、煥。去年も今年も同じクラスだろうが! 順一だよ、尾張順一」
「あ、そう」
「クールだな、相変わらず。後ろのは、妹分の寧々と弟の貴宏だ」
赤服の連中が、間合いを挟んで立ち止まった。真ん中の男がリーダー格らしい。ニヤニヤしながら口を開いた。
「瑪都流の銀髪野郎に、烈花の残党! 締めてぇやつらが揃ってやがる! ラッキーだな、おい!」
順一がニヤリとして、ささやいた。
「共同戦線ってことで、いいか?」
「信用できるんだな?」
河原の土手の上に、見慣れたシルエットが現れた。けっこうな人数だ。先頭の男がオレに声をかける。
「読みが当たったよ。煥と元・烈花の三人の四人が集まるところに緋炎が来るはず。それも、多勢に無勢を狙った総力戦でな」
ああ、そういえば、赤服の連中は緋炎とかいう名前だった。緋炎のリーダー格がわめき散らす。
「瑪都流の生徒会長さまは姑息だよな! つねに罠を仕掛けてやがる! しかも、自分の弟を餌にするか?」
そのツッコミは、オレも入れたい。今回、オレは何も知らされてなかったぞ。
バイクのマフラー音が近付いてくる。姿が見えた。川沿いを、下流のほうから走ってくる。土煙が凄まじい。さいわい、こっちが風上だ。
ふと、別の方角から、一台近付いてくる音。オレは土手の上を仰いだ。バイクが止まった。ひょいとバイクから降りる男に、兄貴が片手を挙げる。
「援軍か?」
「そういうことだ」
一人きりの援軍がオレたちと合流した。明るい色の髪に、垂れ目の男だ。瞳は朱い。
「初めましてだね~。おれ、長江理仁。文徳のタメで、親友だよ。よろしく~」
軽いノリのしゃべり方が、なんか疲れる。
緋炎の大量の増援も、バイクを止めた。わらわらと、陣を組み始める。人数だけは、そこそこいる。ザコばっかりみたいだが。
土手から身軽に近付いてくる男がいる。グレーの詰襟。緩く波打った髪。目は緑がかっている。彫りの深い顔立ちには笑みがある。
「ずいぶん戦力差があるみたいですね。加勢しましょうか、瑪都流の皆さん?」
兄貴が首をかしげた。
「きみ、確か大都の阿里海牙くん?」
「あれ、知ってました?」
「全国模試で一桁順位だろ」
「そう言う伊呂波文徳くんこそ。このへんでは、有名人ですよね」
次々と現れる、わけのわからないやつ。オレはうんざりしてきた。
「その大都の優等生が、今ここに何の用だ?」
「だから、手伝いたいんですよ。緋炎には迷惑してましてね。大都の生徒と見れば、カツアゲしてくるんです。ぼくは、よく反撃して遊んでるけどね」
「遊んでる?」
大都の優等生は飄々《ひょうひょう》と笑った。
「優等生も、ムシャクシャすることがあるんです。たまにはこうして息抜きしないとね」
瑪都流と、奇妙な援軍たち。一定の間合いを挟んで、隣町の族、赤い特攻服の緋炎。にらみ合いが始まる。さあ、どこから攻めようか。
そのときだった。横合いから声が割り込んだ。
「あなたたち、何をしているの!」
女の声。よく通る声だった。キレイな響きに、一瞬、気をそがれた。姿を見た。襄陽の制服を着ている。着方がまじめだから、進学科か?
「って、おい、こっちに来るな!」
女が、すたすたと近寄ってくる。オレたちと連中の間に割り込むみたいに。
兄貴と、チラッと目配せした。兄貴がオレに無言でうなずいた。オレは女のほうへ駆け出す。緋炎のほうからも男が三人、陣を外れて、その女に向かっていく。
「危ねぇだろうが! 下がってろ!」
オレは女を背中にかばって、緋炎の連中を、まとめて蹴り飛ばした。
オレの背中に、手が触れようとした。迫る気配にとっさに反応して、払いのけた。軽すぎるような手応え。
「痛っ」
女の声。しまった、と気付く。小柄な女がまっすぐにオレをにらんだ。
「いきなり暴力的なことをするなんて。あなた、ちょっと失礼ですよ!」
「今のは、すまん。ただ、オレに触ろうとするな。苦手なんだ」
にらんだ目が、くるっと表情を変えた。驚いた、みたいな。
まともに、その女の顔を見た。オレも驚いた。
黒くて長い髪、白くて小さな顔。作り物かよ? と思うくらい完璧な顔立ち。でも、違う。生き生きと輝く、大きな青色の目。まっすぐな怒りの表情。ふと視線を惹きつけられた唇は柔らかそうで、オレは思わず息を呑んだ。
なつかしい。
いや、違う。会ったことはない。名前も知らない。
なのに、なぜ?
見つめ合ったのは一瞬だった。オレは女の手を握る。迷いはなかった。瑪都流の陣のほうへと、女を連れていく。
「こっちだ。じっとしてろ。守ってやるから」
守る――その響きも、なぜか、なつかしい。
運命というものがあるのなら、それは、多数の枝を持つ大樹のような姿をしているに違いない。何かの本で、そんなふうに読んだ。
少年は夢想する。
「例えば、ぼくに超能力があって、大切な人を守るために戦う運命だったら?」
苦しくても、悲しくても、寂しくても、守り抜くことができるだろうか?
でも、そんなのは子どもっぽいおとぎ話にすぎず、少年の日常は、至って普通に流れている。
「しおにぃ、この問題、どーやんの?」
「ん? どれがわからないの?」
師央は輝貴《てるき》のノートをのぞき込んだ。輝貴は一つ年下の幼なじみだ。中学三年生になって、急に勉強熱心になった。
「だって、しおにぃと同じ学校に行きたいし」
師央は襄陽学園高校の一年生だ。襄陽は両親の母校だから、昔から憧れがあった。制服もカッコいいと思う。つい三年前にリニューアルしたのだ。長江理事長が自らデザインしたらしい。ちなみに、理事長は師央の両親の友達だ。師央もよく知っている。
師央が輝貴に公式を教えようとしたとき、パタパタと廊下を走る足音が聞こえてきた。ノックなしで、ドアが開けられる。
「てるにぃ! おかーさんが、そろそろ帰って来いって」
輝貴の妹の茜《あかね》だ。師央はこっそり、ドキッとした。中学二年生になった茜は最近、何だか大人びた。髪を少し伸ばしたせいだ。寧々さんに似てきたな、と思う。まいってしまう。茜にドキドキするなんて。
輝貴と茜の母親は、寧々という。師央の母の、中学時代からの親友だ。
「茜、おれは勉強中なんだよ。もうちょい時間かかんだけど?」
「てるにぃが頭悪いから、時間かかんの。しおにぃだって、自分の勉強があるんだよ。ほら、さっさと帰る!」
「だぁぁ、うるせー」
輝貴と茜のやり取りは、二人の両親にそっくりだ。二人の父親の貴宏も、師央の母の古い友人だ。師央の父とも、今でも仲がいい。
「輝くん、とりあえず帰りなよ。寧々さんを待たせちゃ怖いんでしょ? わからないところは、メールででも訊いて」
師央に言われて、輝貴はノートを閉じた。そのとたん、輝貴の腹の虫が鳴る。師央も茜も、輝貴本人も、同時に噴き出した。
師央は、輝貴と茜を玄関先まで見送った。と言っても、二人の家は三軒隣だ。
「じゃ、また明日ね、しおにぃ」
茜が、寧々そっくりの笑顔で手を振った。師央は、小さく手を挙げて応える。内心、やっぱり少し戸惑いながら。
師央の初恋は、幼稚園のころだ。当時大学生だった母が忙しいとき、寧々が師央を迎えに来てくれた。師央はいつしか、寧々の笑顔が大好きになっていた。
キッチンから、母が呼ぶ声が聞こえた。
「師央、お願いー。晩ごはんの煮物、お味見してほしいの」
「はーい」
母は、小柄で美人でかわいい。実際の年齢も若いが、さらに若く見える。頭も切れるし、正義感が強い。スクールカウンセラーとして、一生懸命だ。そんな母が、師央のひそかな自慢だったりする。
でも、母は、料理はあまり得意ではない。小学生のころ、師央は、実は自分のほうが母より料理上手だと気付いてしまった。負けず嫌いの母も、それだけは認めている。一緒にキッチンに立つ日もある。そういうのは、ちょっと気恥ずかしい。
鶏肉と根菜の煮物は、何か一味、足りない。蜂蜜と醤油を加えたら、グッとよくなった。
「レシピどおりに作ったのに」
母は不満そうにふくれたけれど、たぶん、新ジャガのせいだ。レシピの想定より、水分が多かったのだ。そういうことを、理路整然と説明した。母は不思議そうだった。
「師央は根っからの理系よね。うちの家系は文系ばっかりなのに」
父方の伯父も文系だ。経済学部で経営を学びつつ、学生のうちに会社を興した。音楽系アミューズメント施設を運営している。特にライヴハウスは、この近辺では最大だ。伯父夫妻も、師央の父や昔からのバンド仲間と一緒に、月に一度はライヴをしている。
「血筋と文系理系は関係ないよ。今、いちばん好きな科目は、物理なんだ。阿里先生の授業が本当におもしろくて」
母が、食卓に皿を並べる手を止めた。
「海牙さん、襄陽に移ってきたんだ。大都は給料がいいって言ってたのに」
「阿里先生と知り合い?」
「高校時代からのお友達よ。やっぱり大都は肌に合わなかったのね」
「自分の時間が持てなかったんだって」
大都高校は実績主義すぎる、理論物理学の研究が進まなくて困った、と言っていた。教師でありながら、独自の解析プログラムを使って理論物理学の論文を発表する阿里海牙は、学界でも特異な存在として注目を集めている。
「海牙さんを引き抜いたのは、理事長でしょ?」
「うん。それこそ、友達らしいね」
母はなつかしそうに微笑んだ。鼻歌交じりで食卓を整えていく。三人ぶんの皿と箸が並ぶ。
「今日、おとうさんの帰り、早いんだ?」
「さっき現場を出たんだって。久しぶりに三人で食べられるわね」
両親の結婚の経緯は、それなりに凄まじい。両親は、高校時代から付き合っていた。父が母より一学年上だ。母が高校を卒業した翌年に師央が生まれている。そのとき、母は国立大学の学生だった。休学しつつ、師央を産んで育てたのだ。
父は意外と慎重で、かなり律儀だ。どうしてそんな無茶をしたんだろう? ずっと不思議だった。
予想どおりというか、母がすべての主導権を握っていたそうだ。
避妊に失敗したと聞いて、父は青くなったらしい。むろん、母が仕掛けをしていた。妊娠したと聞いて、父はまた青くなったらしい。むろん、母は計算済みだった。母は平然と、婚姻届を取り出した。父は当然、書くしかなかった。
そんなこんなで、母は一時期、実家から勘当されていた。でも、赤ん坊の師央の写真を実家に送って、あっという間に仲直りした。父のことも、ようやく認めてもらえた。
今では、昔のいざこざは影も形もない。母の両親である祖父母は、父の大ファンだ。
生まれつき、父は運動能力が飛び抜けて高い。それが、とある芸能事務所の目に留まった。ケンカに明け暮れていた高校時代、父はスタント俳優としてスカウトされた。
十七歳のころ、父はデビューした。殺陣、バイク、ガンアクション、スーツアクション。何でもこなせる、マルチなスタント俳優だ。しかも、銀髪金眼の寡黙なイケメン。実はかなりファンが多い。
今、父は初めての大役に抜擢されている。歴史映画の主役だ。原作は気鋭の若手小説家の出世作で、籠城する守将の苦悩を描く物語だが、表舞台に立つのは柄じゃないと、父はさんざん渋ってきた。最初のオファーから丸二年。説得され続けた父は、ついに折れた。
KHANという映画会社が制作元だ。師央も一度だけ、現場に見学に行かせてもらった。敵役の俳優がたまたま暇で、案内してくれた。父へのライバル心がある、と言ってはいた。でも、案外いい人たちだった。確か、正木さんと世良さんだった。
ふと、表からバイクの音が聞こえた。このマフラー音は、間違いない。父が昔から大切に乗っているマシンだ。
「おとうさんが帰ってきたみたいだね」
ガレージのシャッターが開く音。バイクがガレージに乗り入れる音。エンジン音が止む。シャッターが閉まる音がする。
師央はキッチンから飛び出した。ガレージにつながる勝手口を開ける。
「おかえりなさい!」
ライダースーツに身を包んだ父が振り返る。愛車とのツーショットは、いつ見てもカッコいい。
父は、ヘルメットを外して小脇に抱えた。銀色の髪を、くしゃくしゃと掻き回す。
「ただいま」
よく通る声で言って、父は師央に微笑んだ。
【了】
BGM : BUMP OF CHICKEN『カルマ』